同じことの繰り返しは、飽きよりも疑念を生む

眞壁 暁大

第1話

「やっぱり靄がかかってた」

「そっか」


 友人の答えを聞いて、僕は腕組みをした。

 嘘を吐いているかどうかは分からない。

 ただ、信じるならばこれで5回連続で靄のかかった月しか見られなかったことになる。やはり何か引っかかる。




 進学してから、僕たちはささやかな特権を得ることになった。

 誕生月の満月の日に限り、この街の・・・街と言ってよいのか?・・・の最も高いところに上り、そこから月を見ることができる。

 分厚い防護ガラスと、ごつい窓枠に遮られて視界はかぎられていて、特に地平線水平線は、視界ゼロ。

 それでも、この街では一握りの人しか見ることを許されない外を見ることができるのは大きな特権だった。

 僕にも相応に厳しい競争を経て進学した自負はあったから、教師がはじめて

「外を見せてやる」 

 と言った時、級友たちの多くが上げたどよめきにもつられることなく平静でいられた。

 すんなり進学する枠の子が

「どうせ外のシリンダーのことでしょう? 社会見学で見られなかったところも見せてくれるんですか?」

 と斜に構えてまぜっかえすようなことを言っても、同調はしなかった。


 それでも、教師がニヤリと笑って

「ホンモノの、外の世界だ。きみたち、月は見たことがあるか」

 と語り始めたのにはさすがに驚いた。


 教師は続けて教室の壁に月の映像を投射する。

 見慣れたものだ。端末の中では。

「すでに学んでいると思うが、この街のある地方は大気が安定しない土地でな」

 投射した鮮明な月を脇目にして教師が語る。

「これほどくっきりと見えることはそうそうないが、しかし、見られるぞ。きみたち自身の目で」

 自慢げにそういった教師の顔は、今でも忘れられない。



 最初に月を見た級友の興奮と言ったら相当なものだった。

 第一声が

「ほんとうに光ってた!」

 だったのに、周囲で話を聞こうと取り囲んでいた僕を含めた全員がただそれだけで興奮してしまった。

 思い出してみれば陳腐な感想だったが、それでも彼の興奮が本物だというのは、興奮を抑えきれずに大げさに振る身振り手振りでよくわかった。

 僕たちは次々に質問を浴びせていく。

 どの質問にも得意げに答える級友だが、特に映像で見るほど月は大きくないぞ、というのを伝える時には自慢を抑えきれずにニヤついていた。

「先生が最初見せた映像もそうだけど、俺たちが今まで見てきた月は大きすぎるんだよ。ホンモノはもっとずっと小さい。けどめちゃくちゃ明るいんだ。

 靄がかかっててもハッキリ分かる。あんなに明るいとは思わなかった」

「靄がかかっていたのか」

 誰かが言った言葉に、級友は小さく肩をすくめた。

「先生も言ってただろ、『大気が安定しない土地柄』って。雨も降らず見られただけマシさ」

 その時は、僕も「たしかに」と頷いていた。


 翌月に上った級友は、最初の級友の教訓を生かし、小さな双眼鏡を携えていった。

「ヤバかったよ、とにかく狭い。もう少し大きな双眼鏡だったらアウトだった」

 この旧友もやはり、満月のあけた翌朝には僕ら同級生に囲まれて自慢げに語ってくれた。

「持ち物検査もこことは比べ物にならないのな。まかり間違えば曝露することになるからって隅々調べられるんだ」

「僕の時もあったけど、そんなでもなかったぞ」

「きみは双眼鏡なんてもっていかなかったからだろ。僕がいちばん注意されたのは双眼鏡だった」

「そうか」

 知っている者同士のほのかな優越と連帯の感じられる会話のあと、級友は言った。

「すげえよ、ホント。月ってホントに写真のとおりなんだ」

 ぼこぼこしてて、それに眩しくてさ。一番外の縁の方は眩しすぎて光しか見えないんだよ」

 そこまで一気に語った後、少し残念そうに

「まあ靄がかかっていたから期待したほどくっきりとは見えなかったんだけどさ」

 と付け加えて、写真のよりぼやけた感じにしか見えなかったんだよな、それだけが残念だよ。と締めくくった。

 最初に見た級友が「また来年があるさ」と慰めるのと、まだ見ていない級友たちが「僕の時は晴れますように!」と願いを唱えるのとが重なって騒々しかった。


 三番目の級友は悲惨だった。

 満月のちょうどその日、運悪く酷い曇りだったのだ。

 待ちに待ったその当日に厚い雲に覆われた彼はしかし、思ったほどには沈んでいなかった。

「雨は降ってなかったけど、雨の降る雲と、そうじゃない雲があるってどうやら本当らしい」

 と、奥の方の雨を降らせるだろう雲と、手前の方で流れていく雲との違いに気づいたと語っていた。

「あんなに真っ暗なのに分かるのか?」

「月しか見えなかったぞ」

 すでに上っていた級友二人が疑問を呈するが、彼は譲らなかった。

「本当だって! 何とか見れないか思ってギリギリまで粘ってるうちに目が慣れたのかな、ほんの少しだけ違いが分かるようになったんだ。後ろの雲も薄いところがあって、そこが月にかかるとぼんやり光ってるのが分かるんだよ。

 あと手前の雲は、よ」

 僕も含めたまだ上っていない級友はその言葉にうさん臭さを感じていたが、月を見た二人が「たしかに目を凝らしているうちに立体感があるように見えた」と言ったことで、教室全体が落ち着きを取り戻す。

 彼の言っていることが本当かどうかは、自分が上った時に確かめればいいのだ、とだれもが納得した。



 はたして、四番目の級友はそれを確かめてきた。

 彼は小さな展望室の中に、双眼鏡ではなく、メモ帳と見まがうほどに小さなスケッチブックを持ち込んで、月と雲とを写生してきたのだ。

 級友の中でも絵心があることで知られている彼の絵は全員の手から手へ渡り歩く。

 暗闇に浮かぶ月もよく描けていたが、雲がどうやら数種あることを描いてあるのが目を引いた。

「手前、真ん中、奥、の三種類ぐらいはなんとか見分けられた。

 ホントによ。すごい勢いで月の前を過ぎていくんだ」

 月を見た二人の級友がその言葉に深く頷いている。月を見損ねた級友も自説の正しさを証明されたことで、こころなしか、胸を張っている。

 僕はそうした級友たちの反応の中で、どこか疑問が湧いてくるのを抑えきれなかった。



 そうして、五人目の級友は答えた。「靄がかかっていた」と。

 なにかがおかしいと僕は思った。


 ざっくり晴・曇り・雨 の三つの天気、五回連続で曇りなどということがあるだろうか。確率的には、およそ1/255。まだ偶然で片づけてもいいかもしれない。

 いや、三回目は実質雨だったとカウントすれば、おおよそ1/8の確率で雨か曇りが続くこともおかしくはない。

 おかしくはないが・・・どこか不自然さがある。

 そもそもなぜ「誕生月の満月の日」だけ、上に上れるのだろう?

 月を見せることが最大の目的だとしたら、晴れた日に見せてやればいいのではないか。

 いやそもそも、誕生日に上に上れるようにしてくれた方が、より一層特別な感じがするのが普通じゃないだろうか?

 そうした疑問を級友にぶつけてみると、幾人かは同調してくれた。

「けど誕生日はうちで過ごすからなぁ」と答えるものも多かったが、皆がそのアイデアは悪くない、と褒めてくれた。


 僕は、そのアイデアを自分の誕生月の満月の日に、教師にぶつけてみようと思った。

 


「それで、どう思ったんだい?」

 教師の問いに、僕は即答した。

「おかしいと思います」

 僕の番は10番目だった。そして、10番目の僕の誕生月の満月の日も、曇り。


 10回連続で、曇りだ。

 曇りに限れば およそ0.0006%

 雨を含めても およそ0.6%


 不自然にもほどがある。 

 けれど、なぜこんな偏った数字になるのかはぜんぜんわからなかった。

 教師は何か思いつくか、と尋ねたけれども、まったく見当がつかない。

 靄のかかった月を見ることもそっちのけで食い下がる僕に、教師は信じがたいことを言った。


「明日は休日だったね。夜明け前にここに来なさい」

 日中は気温の上昇も影響してウィルスが飛散しやすく、絶対に外部と暴露する可能性のある行動をしてはならないとやかましく指導されてきた。

 それと真っ向からぶつかる教師の指示にただならぬ雰囲気を感じて、僕はつばを飲み込んだ。



 翌朝。夜明け前に狭い展望台に上った僕は、ずっと曇り続けていた正体を知る。


 雲ではなかった。


 教師が特別に用意してくれた踏み台の上に立ち、展望ガラスの天井に顔をくっつけるようにして眺めて、ようやく気付いた地平線近くに幾つも林立する煙突。

 そこから吐き出されるオレンジ色の煙が、消えることなく幾重にも空に積み重なっている。

「青空」と習った場所は、首がいたくなるほど真上を見上げてかろうじて見える範囲にしかない。



 これがいまの空だ、と教師は言った。

 このシリンダーの外にも人はいる。そうした人々の営みがアレだ。

 このシリンダーだけでは不足する各種資源・エネルギーなどの供給も担っている。

 

 立て続けの衝撃に僕は踏み台の上で固まってしまった。

 そんな僕を意に介さず、教師は告げる。


「さすがとまでは言わないが、きみくらいの頃で満月の不自然さに気づいたのは褒めてあげよう」

「これからはこちら側で暮らすことになる。これからよろしく」

 

 感情を交えない教師の言葉の背後で、僕が先ほどくぐってきた扉がロックされる音と、反対側の扉が開く空気の抜ける、かすかな音が重なった。

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