恐怖の加減は匙ひとつ

熊坂藤茉

鳴り止まぬ音が止む理由

 ミステリー。推理小説としての側面を強く打ち出されがちな昨今ではあるが、言葉そのものの意味としては怪奇小説もその中に含まれる。要は神秘性を軸にした物語であればよい、という事なのだろう。

 結果、このジャンルはホラー――恐怖小説との相性も大変よい。〝謎〟が〝謎〟のままであればある程、恐怖を生む要因を止める手立てが解き明かせず、神秘性を保った怪奇小説としての描写が盛り上がる。……まあ、その神秘性を何らかの手段で解体するまでがお約束ではあるのだけれど。


 さて、何故私が今そんな話をしているのかというと。


 ――ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。


 先程から丑三つ時過ぎに近所迷惑ガン無視で押されている、この玄関チャイムがめっちゃ怖いのである。ていうかここオートロックマンションの三階だぞどういう事なの……。


 ――ピンポン。ピンポン。ピンポン。ピンポン。


 段々とチャイムの間隔が短くなっている。居留守がバレているのか、それとも何らかのルーチンとしてそういう動きをしているのか。

「『怪物は正体不明であるからこそ恐怖の対象たり得る』とはよく言ったものだよなあ」

 そう、幽霊の正体見たり枯れ尾花みたいなアレで全然怖くないモノの可能性に賭けて、さっきちょこっとチャイムに接続されてるドアカメラの映像を確認したのだ。そしてその結果。



 見事に誰も映ってねえ。



「いやこれ詰みでは?」と真顔になった私が映像確認モニタ付きの通話機真下で三角座りで震えているというのが今のこの状況だ。開けて確認すればいいんだろうけど、それで何か起きたらそれこそ詰む。

「へーるーぷぅー……」

 携帯端末を握り締めて、SNSのTLを眺めて必死にやり過ごす。ここで「何かガンガンチャイム押されてんだけど!」などと言い出そうものなら、昨今のネットストーカー来訪案件よろしく身バレとかに繋がるので気軽に相談も出来やしねえ。そもそも普段なら深夜ドラマ見ながら晩酌しとる時間じゃ人の花金返せ! 久々に休出なしなんだぞこっちは!



 ――ピンポン。ピンポン。ピンポン。ピポン。ピポン。ピポン。ピポン。ピポ。ピポ。ピポ。ピポ。ピポ。ピポ。ピポ。ピポ。ポポポポポポポポポポポポポポポポ。



「やめろやめろマジでやめろお隣さんとか上下の人とかに迷惑だからホントやめて職場からの距離と家賃の兼ね合い一番いいのここなんだから-!」


 ギャー! と最小の声で悲鳴を上げる。もうどうしろって言うんだと頭を抱えたその時。



 ――ポポポポポポポポポポポポポ、ピンポーン。



 連打されるチャイムが、その最後の音と共にぴたりと止まる。突然の終了で現場を確認しに行くかと立ち上がったものの、私はそのまま寝室へと足を向けた。

「陽が昇る前に行くのは死亡フラグだって、こないだホラー映画一挙配信で覚えたからな! 私ってば賢い! イエーイ!」

 早く来い来い日の出の時刻。ベッドに潜り込んでおやすみ三秒。ぷるぷると小刻みに震えながら、私は意識を朝へとワープさせるのだった。


* * * * * * * * * *


「……で、その結果がこれぇ……?」

 陽が昇ってから玄関の外を確認した私の目に飛び込んで来たのは、ドアカメラの死角になる位置へべっちゃりとぶちまけられた何某かの血液。時間経過で酸化したからか、カラーリングこそ生々しくはないものの、それでもほんのり錆っぽい匂いと共に「何の血なんだよ」という謎が残されて完全にヤバい状況だ。

「うわ、凄い事になってる!?」

「あ、おはようございますお隣さん」

 出勤するのだろう隣室のサラリーマンが、うちの玄関先を見て一瞬引いていた。まあ、引かなかったらびっくりするよね……。

「いやあ、昨日は深夜にめちゃめちゃピンポン押される悪戯されまして。鳴り止んだから寝たんですけど起きたらこの状況で」

「ピンポン? 昨夜ゆうべはベランダで星見てましたけど、周囲一帯静かなものでしたよ」

「えっ」

「ああ、それでこんな事になってるのかあ。何年振りだろうなあ、ここまでのは」

 なるほどなー、と納得して「じゃあ自分は仕事なので」とその場を離れようとするお隣さん。いやいや聞き捨てならなすぎる台詞しかないぞコレ!?

「ちょ……っと待って下さい! 何ですか前に何があったんです!?」

「何って――そうか、報告義務の対象から外れる物件になってたんですね。特に問題なく入居と退居がありましたからね」

 そう返すお隣さんから聞き出したのは、以前あったという次のような話だ。


 曰く、この建物全体で霊障が発生する時期が続いていた。原因の心当たりになるようなものもなく、お祓いをしてもお供えをしても何をやっても収まる気配が微塵もない。

 そしてある日、近所の霊障――その時はラップ音だったらしい――にブチ切れた霊感の強い男性が、現場に乗り込んで自身の手首を勢いよく切って腕を振り抜いた。


「いやなんで?」

「血を周囲に撒き散らす為?」

「いやだからなんで???」


 そもそも何で手首切ったんだとお隣さんに問えば、「霊がビビり散らして引っ込むと思ったらしいですよ」との答え。え、そんな脳筋近所にいたんだ!?


「で、実際にそれで引っ込んじゃったんですよ霊障」

「そりゃ人も霊も関係なくびびりますよ、そんなんやられたら……」

「ただまあ霊障なんで、気付く人と気付かない人の差が大きいんですよねえ。で、その人は霊障に気付いたら追い返すべく血をぶちまけに来るようになった――というそんな話です。ここ何年もなかったのですっかり忘れてましたが」

「知りたくなかったなぁ~……」


* * * * * * * * * *


 貴重な話を教えてくれたお隣さんの出勤を見送りながら、私はふとある事に気付く。つまりその推定脳筋の霊感持ち男性はまだここに住んでるという事で。

「似たような事が起きる可能性があるのちょっとやだよねぇ~」

「アタシはアンタのその他人事っぷりが信じらんねえんだけど」

 通話アプリで友人に愚痴を言えば、やや引いた様子で返される。流石にちょっと心外だ。

「だって出血するのは自分じゃないしさぁー。痛いのやだからやってくれるなら御の字って」

「そもそもなんだけど」

 喰い気味にこちらの言葉を遮った彼女の様子はなんだか酷く真剣で。どうしたのだろうと言葉の続きを待った私は、それを聞いて引っ越しの決意を即座に固める事になった。



「それ、霊が血に怯えて逃げたんじゃなくってさ。〝血を流してもらう事が目的だから用が済んで引っ込んだ〟とかだったりしねえの? 久し振りに出て来たのは、前の分血で溜め込んでた〝何か〟が尽きたから回収したいとかの可能性も――」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恐怖の加減は匙ひとつ 熊坂藤茉 @tohma_k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ