第六話:歴史による瑕疵


 走っていた。息を切らせながら、とにかく動く。

 ヤエヤマとラムノイは現場の周辺を走り回って、カラナの夫が居ないか探していた。その容姿はセプトから送られた公道監視カメラの画像ですでに認知している。しかし、いくら探してもそれらしき人物はそこには見当たらなかった。


「ここで見失ったはずなのにどこにも居ないじゃないか」

「本当にここで見失ったわけ?」


 フードの中の顔が訝しげに眉をひそめた。ヤエヤマは懐から、再び地図を取り出して広げる。次の現場を指す「q」の文字は確かに現場の上にあった。

 彼は顎をさすりながら、目を細めて地図を凝視した。


「それにしても、以前と同じところで犯行を行うとはな」

「待った、今回の犯行は『殺人者 J 事件』と連続するなら7番目の被害者だよね?」

「ああ、そうなるが」

「ちょっと貸して」


 ラムノイはヤエヤマの手にあった地図を奪い去り、何かを確認するように地図の上に視線を滑らせていった。彼女は一通り確認を終えると、嘆くように息を漏らした。


「これ、bだったんだよ」

「どういうことだ?」

「qじゃない。bで合ってたんだ」


 ラムノイはパーカーのポケットからペンを取り出して、地図の端に二列の文字列を記してゆく。片方は「p, fh, f, t, c, x, k, q」という文字列で、もう片方は「p, c, t, k, f, fh, b, s」という文字列。

 ヤエヤマは腕を組んで不思議そうにそれを眺めていた。


「カラナの出自、調書を取る前に調べたから分かってるよね」

「ああ、1998年にクワイエ共和国で生まれた大災害前世代フォントリェゼイティレーの一人だが、それがどうかしたか」


 大災害リェゼイティルは、2000年に科学実験に使われた動物が暴走し、この惑星全土がそれに覆い尽くされた歴史の大きな転換点である。ユエスレオネ連邦は機械化異能で動く空中要塞ユエスレオネを中心に、それらからの自衛のために滅びた五大国――クワイエ共和国・ラネーメ共和国・リパラオネ連邦共和国・レアディオ共和国・デーノ共和国――の民が協力して作り上げた国家であった。


「やっぱり……」


 ラムノイは察していたようにそういった。


「言語保障監理官になるときに勉強した。今のデュテュスン・リパーシェの文字順は、言語翻訳庁の前身である計算機開発・言語監査特別委員会が2003年に規定したもの。これが規定された理由は、大災害リェゼイティルまでは国ごとにラネーメ式とか連邦共和国式とかクワイエ式とか文字順が統一されてなかったから」

「つまり、大災害以前生まれのルーヴァは監査委員会式を使っていなかった可能性があるってことか」

「そうだとすれば、次の犯行を計画していたのは『q』じゃなくて『s』のところってことになる」


 ヤエヤマは地図を投げ捨て、カラナの部屋を飛び出した。ラムノイもその背中を追いかけた。

 静寂になった部屋にひらりひらりと地図が落ちてゆく。「s」で示された場所に書いてあったのは「連邦首相府」であった。


* * *


 超危険運転で飛ばした挙げ句、現場マンションから首相府についた間は数十分であった。ヤエヤマは運転席から飛び出すように出て、ホルスターから銃を取り出して構えようとしたところで自分が銃を持っていないのに気づく。

 助手席からへろへろになって降りてきたラムノイはいつも通り日に当たってなさそうな青白い肌を見せながら、自分のホルスターから銃を抜き取ってスライドを開ける。銃口の方を掴んで、マガジンと共にヤエヤマに渡した。


「お前はどうするつもりだ?」


 ヤエヤマは首相府の入り口に進みながら、ラムノイに尋ねる。彼女はフードを深く被りながら、捜査官身分証を見せて警備に道を開けてもらう。


「あたしは能力者ケートニアーだから、大丈夫」

「そうか」


 警備は何事かという表情でヤエヤマたちに視線を向けていた。首相府は静寂に包まれており、厳戒態勢という様子ではなかった。

 今の所、『殺人者 J』の次の目的を知っているのはヤエヤマとラムノイだけのようだった。その事実に気づいたヤエヤマは即座に書類を両手で掴みながら、横切ろうとした職員を捕まえる。


「連邦捜査官だ、不審な人物は入ってきてないか?」

「えっと……そんなこと聞いてないですけど……」

「首相は今どこに居る!」

「首相ならこちらの表口から、お車で保健省を視察されますが……」

「今すぐ中止しろ! 首相が狙われている!」

「と、言われましても……」


 職員の視線の先には首相――アレス・デュイネル・エレンが秘書たちと幾らかの議員を引き連れて表口に出てきていた。ヤエヤマが近づこうとするのもつかの間、ラムノイがシャツの背中を掴んで引っ張った。


「なんだ!」

「あの男、バッグに手を突っ込んでこっち見てるよ」


 ラムノイの指す方向に居た男はヤエヤマの視線に気づくと、脱兎のごとく走り出した。ヤエヤマは無言でその後を追いかける。ラムノイは首相を指差して、いつもの彼女とは見違えるような声量で退避を指示した。



「待てッ!!」


 逃走しだした男を追いかけて、走り続け、路地裏に入り、右に入り、左に入り、そろそろ追いかけるのが面倒になってきたところでヤエヤマが放ったのが先の一言であった。

 男は何も答えずに走り続けていた。次の角を曲がった瞬間、一瞬ヤエヤマの視界から犯人は消える。彼はすぐに視界に戻ると思っていたが、角を曲がって突き当りに至るとそこには追っていた男は居なかった。


「一体どこに……」


 次の瞬間、ヤエヤマの首の前に刃物が現れる。彼は気味の悪い舌なめずりと共に背後の気配に気づくことになった。


能力者ケートニアーか」

「あァ~そうだよ、分かるのかいィ?」

「イカサマかまして、俺の背後に物音も無く這い寄れる奴は能力者ケートニアー以外に居ない」

「ひゃっはっはっァ! そうかもなあァ!!」


 ルーヴァと思われる男はヤエヤマの首に当てたナイフをゆっくりと滑らせる。薄っすらと切られた皮膚から紅い液体が垂れる。


「首相は良いのか?」

「はッ、前提から違うね。俺が狙ってたのは、首相じゃない。お前だよ、ヤエヤマ特殊捜査官」


 ギャハハとルーヴァは笑う。


「そもそも、民間人の反革命主義者フェンテショレーを処刑してきたってのに、いきなり首相に飛び級するわけねえだろ。俺をずっと追ってきたくせして、やっぱ馬鹿だな。お前」

「……そうか」

「ま、A・D・エレンはイェスカ主義を歪めた張本人だ。あいつを殺しても良かったが、お前を殺さねえと俺は捕まるからな。数年超えで死ぬべき奴が見つかっちまったが、余計な足が付いちまった」


 ルーヴァはナイフを持ち直して、ヤエヤマを掴む手を強張らせた。そこにフード姿の少女――ラムノイが一人で突き当りの入り口に立っていたからであった。


「お嬢ちゃんも捜査官か」

「そうだけど」

「その割には、丸腰で被疑者に近づくんだなァ……」


 ラムノイが一歩踏み出すと、ルーヴァはナイフを更に強くヤエヤマの首に食い込ませた。ヤエヤマの顔は苦痛に少し歪んでいたが、その目はラムノイの方をまっすぐと見ていた。


「おっとォ、それ以上近づくと相棒が血まみれになるぜェ!」


 ルーヴァの言葉にラムノイは全く動じなかった。いつも通りのアンニュイな表情を崩さずにルーヴァに灰色の視線を向けていた。


「これ以上近づく必要はない」

「あァ? そっからどうやって俺を捕まえるつもりだ?」

「ヤエヤマ」


 ラムノイの視線がヤエヤマに移る。彼の目はお互いの意図を読み取ったように力の籠もった視線を彼女に投げ返していた。


「……じゃあ、覚悟してね。ルーヴァさん」

「あッははァ! お前何を言って――」


 ルーヴァの言葉を全く聞いていない様子のラムノイはフードを頭から取り去った。ふわっとしたショートヘアが顕になり、ぴょこりとアホ毛が跳ねる。

 その瞬間、ラムノイの背後から強い光が現れ、生理的な驚異を感じるような音が耳を劈いた。訓練されていない人間は本能的な脅威を感じると一瞬、体が硬直する。戦場ではその一瞬が命取りとなる。ルーヴァもその一人であった。

 本物の素早さには追い付けなかった。


「ギャアアアアアアアアアア!!」


 電撃の束がルーヴァとヤエヤマを包む。その瞬間、二人は体を痙攣させながら、その場に倒れた。ルーヴァはピクピク体を痙攣させて白目をむいていたが、ヤエヤマのほうは痙攣しながらも目を瞑っていた。

 ラムノイはフードを被り直してから、ゆっくりとヤエヤマに近づいてゆく。そして、彼女は倒れてノビているヤエヤマの肩を優しく叩いた。


「ごめん。でも、死なないから」

「ああ、やる前に目を瞑っていて良かったぜ。白目を剥かなくて済んだ。次からは5mA下げろよ。体が弱ければマジで死ぬからな」


 ラムノイの驚いた表情にヤエヤマはニヤケ顔を返した。

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