第四話:ヤクとマフィアと平行線
レイの研究室は異様な風景になっていた。子供部屋のような壁紙が張ってある壁に所狭しとビーカーやら顕微鏡、質量分析計、ガスクロマトグラフィーなどの科学捜査に用いる主な機器だったり、犯罪捜査を続けてきた捜査官でも全く分からない実験装置も置かれていた。
ヤエヤマも見たことがない機器があり、彼は顔を近づけた。するとぴょんと脇にレイが飛び出してきた。
「触るんじゃない」
「触ってないが」
「顔を近づけたら、次は触るっていう合図なんじゃ」
「そうかい」
ヤエヤマが機器から顔を離すと、レイは飴玉を口に入れてから大型画面の前に鎮座するコンピューターの電源を入れた。高速起動した特警研専用OSが「FFLA」のロゴを画面に映した。レイは画面を見ながら、キーボードを打つ。画面には何かのグラフが表示された。
ラムノイはフードを深く被り直してから、画面に近づいた。
「何のグラフなの?」
「被害者の血液サンプルの分析結果じゃ。血中から大量のアルカロイド類とウェルフュームなどが検出された」
「ファークか」
ファーク、といえば連邦があるファイクレオネに生える
それが被害者から検出されたとなってくると、話は更に拗れてくる。
「リュギュヒンギとかいう男、殺人者 J に殺されなくてもヤク絡みで死んでたろうな」
「まあ、わらわも最初はそうだと思っていたんじゃが、そうとも言い切れんのじゃ」
レイはキーを叩いて、画面のグラフの一部を展開する。そこから新たなグラフが表示された。
「今回、検出されたタイプのアルカロイド類は血中濃度が高まると吐き気や吐血などの症状を起こすタイプなのじゃ。このレベルの濃度じゃと嘔吐でトリップどころじゃないじゃろうな」
「つまり、毒を盛られて殺害されたということか」
「単純にクスリのディーラーが質の悪いものを渡した可能性もあるが、トリップを目的とする常習者であれば適量で留めておくはずじゃ。自分でこの量を飲むことは考えがたい」
「ヤクの成分について分かったことはそれだけか」
「特警研の薬物データベースに良く似た成分のクスリのデータがあったから、そちらの本部に送っておいたのじゃ。他にも科学捜査の検証結果を送ってある」
「分かった。ラムノイ、本部に戻るぞ」
ラムノイはレイに頭を下げると、足早に出ていくヤエヤマの後を追った。レイは両手を振って二人を見送った。
* * *
バラバラに散っていた捜査官たちがFMF本部の一室に戻っていた。ホワイトボードに貼られたいくつかの資料は、彼らがこれまで集めてきた努力の結晶である。ヤエヤマはそれを仏頂面で眺めていた。
シュヴェーカが立ち上がって、ホワイトボードマーカーを取ってボードの前で指揮棒のように振った。
「捜査資料や公判資料で、リュギュヒンギはファークに手を染めていたという記述は無かったわ。少なくとも、クスリ市場に関連したトラブルで殺されたわけでは無さそうね」
今度はセプトが立ち上がって、手元の資料を見ながら報告を始めた。
「過去30年のインヴィル鴨の連邦関連密輸組織について調べました。ほとんどはシェルケン系過激派組織など有名所のテロ組織でしたが、少し気になることが」
「というと?」
「特別警察研究所から送られた資料によると、今回の成分の違法薬物を取り扱っている組織はデュイン地域のマフィアと関係があったようなんです」
「そういえば、リュギュヒンギって名字はラッビヤ人の氏族名だった」
ラムノイが思い出したように呟く。ラッビヤ人といえば、デュインのイェテザル自治区に住んでいる民族の一つだった。
セプトはその言葉に頷きながら、先を続ける。
「そのデュイン系マフィアなんですが、DAPEや対マフィア戦争のときにシェルケン系過激派組織との繋がりを疑われています」
「インヴィル鴨は奴らの収入だったわけね」
「はい、おそらく密輸に手を貸さなくなったリュギュヒンギを見せしめに殺して、仲間だけに分かるように過去の連続殺人に見せかけたというのが筋なのではないでしょうか」
セプトは真面目な顔で推理を開陳していたが、ヤエヤマは仏頂面のままだった。
「どうもしっくり来ない」
「といいますと?」
「話が出来過ぎている」
「ヤエヤマさんが捜査にあたっていた時は2000年代初頭、まだ連邦環境保護法の禁輸品目にインヴィル鴨が追加されていなかった時期です。正式な手続きを踏めば、農業開発院からの警告もなく鴨は運べました。被害者に足がついていなくて当然です」
ヤエヤマはセプトの理論に首を振った。彼はどうやらもっと根本的なところに疑問を持っていたようだった。
「それで、過去の被害者はインヴィル鴨の密輸に関わってたのか?」
「あっ……い、いえ、それはまだ確かめてません……」
「それに殺人事件は模倣犯罪の予防のためにその詳しい手法に関する報道を制限している。犯人がマフィアだったとしても殺害手法や印の刻み方までは知らないだろう。それにマフィアであれば、もっと確実な死体処理を知っているはずだ。
「それは……」
セプトは自分の推理がまだ煮詰まりきっていないことに気づいて意気消沈という様子になっていた。
「ヤエヤマさんは今回の事件が本当に30年前の連続殺人の延長だと考えているんですか?」
「それを調べるのが俺達の仕事だ」
「でも、クスリからの繋がりは途切れちゃったわ。一体どの線で捜査を続ければ良いのかしら?」
シュヴェーカはまたマーカーを指揮棒のように振っていた。それを止めるかのごとく、ヤエヤマは一枚手元の書類を彼女に突き出した。
「特警研が送ってきたものはクスリについてだけじゃなかった」
「残留ウェールフープ線検出検査……」
シュヴェーカは書類の題名を読み上げて、はっとした顔になる。セプトはその様子を見ながら、疑問を顕にした。
「そ、その検査は一体?」
「
「確か検死結果では被害者は
「現場に入れたケートニアーは……」
セプトが手元の資料を慌ただしくめくり始める。その手は「出入り口調査資料3」と書かれた書類で止まり、彼はゆっくりと顔を上げた。
「一人です」
* * *
取調室には一人の女が座っていた。部屋のドアが開いて、ヤエヤマが入って席に座る。隣の取調控室とは小窓で繋がっており、そこからはラムノイ、セプト、シュヴェーカが尋問の様子を眺めていた。
「レナ・ルーヴァダ・ノヨミッハ・カラナさんですね」
「え、ええ、いきなり取り調べなんていうから驚いちゃったのよ! 一体何の事件なの? 私、すぐに帰れる? ていうか、警察って初めてなのよね~緊張しちゃ――」
「静かにしていただけますか」
ヤエヤマが書類を机に叩きつけると、カラナは目を丸くして黙った。
「あなたは
「
「昨日の18時頃、どこで何をしていましたか」
「えっ……と……昨日は仕事が終わった後にカヴィーナ駅近くの『クマーマス』ってダンスクラブに行ってたわ」
「証明できる者や証拠は?」
「店員に聞けばいいわよ」
「この尋問は殺人事件の捜査です。もっと確実な証拠が無ければアリバイを立証できません」
「殺人って……ウソでしょ……」
カラナは口を覆って、目を左右させる。ヤエヤマはその様子を静かにじっくりと見つめていた。視線に気づいた彼女は慌てたように口をパクパクさせる。
「違うの、『クマーマス』は会員制のダンスクラブなの。会員カードがないと入れないし、出入りは厳重に管理されているわ」
「ラムノイ、裏を取れ」
小窓の方を向かずにヤエヤマは言う。しかし、小窓から顔を出してきたのはラムノイではなく、セプトだった。
「もう取ってます。入ったのが17時27分で、出たのが19時00分です」
「ね? 私は刺してないわよ」
ヤエヤマはすかさず机の上の書類を開いて、リュギュヒンギの写真を取り出す。
「今回の被害者、リュギュヒンギです。知ってますか?」
「ええ、同じマンションの住人よ。まさか、死んじゃったの?」
ヤエヤマはカラナの質問には答えずに席から立ち上がった。
「何故『出入り口調査資料』に彼女の名前が載っていた!」
ヤエヤマはラムノイ達がいる取調控室に聞こえるように大声を張る。セプトはそれに驚いて座っていた椅子から転げ落ちそうになった。
「あ、あのマンションの住人用出入り口は電子ロックになっていて、カードキーが無ければ入れないシステムになっているんです。調査資料は電子ロックのシステムログに残っている開閉記録に基づいたものです」
ヤエヤマは目を細めて、カラナに視線を向ける。
「カードキーを無くしたことは?」
「えっと、無くしたことはないけど家に忘れて管理人さんに一回だけ入れてもらったことはあるわね」
「なるほど、承知しました」
「ねえ、いつになったら帰れるの?」
「まだしばらくは居てもらうことになります」
書類をまとめて、カラナに背を向ける。不安げな表情の彼女を置いて、ヤエヤマは取調室を後にした。そして、取調控室に飛び込んだ。
「セプト、裁判所から勾留令状を取ってこい。カラナを勾留する。シュヴェーカは管理人に犯行当時のアリバイと連絡を受けて通した者が居るかどうか訊け、俺とラムノイは現場に戻る」
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