第111話 レーバスさんと、森の逃避行


 森の中を、執事さんが歩く。


 お昼の時間は、とっくに過ぎた。

 太陽は真上から傾き始めているが、まだまだ夕方には遠い時間帯、森の中の木漏れ日は、とても強く影を落とす。


 もう、夏だ。


 季節が変わったと実感して、そっと太陽を睨む。そんな気持ちを味わう余裕のない執事さんは、つぶやいた。


「船旅にこだわりすぎたか………夕方までは――」


 レーバスさんは、逃避行の最中だった。


 遠くの町へ行って、出直そう。

 あの町へは、そう思って流れ着いた。

 つてがなくとも、戦闘技術に身の振る舞いが優れていれば、用心棒として雇ってもらえる確率が高い。表向きは執事である。


 そうして、金貸しガーネックの執事であり、用心棒というか、脅す手段としての使われ方をしてきたレーバスさんだ。


 死に神の印象のある。それはもう、用心棒として有用だ。

 危険と判断すれば、逃げるという約束だけは、ぜひとも交わす必要があるのだ。


「まったく、ガーネックめ、ドラゴンに関わるからだ………巻き添えに――」


 とっさに、戦闘体勢を取る。


 身をかがめてこぶしを握り、防御にも、攻撃にも転じることが出来る姿勢である。なぜ、森の中でも執事服であるのか。その一着しかもっていないのか、着替えも全て執事服であるのか、レーバスさんにしか分からない。


 森の影におびえる姿であっても、死に神の印象は、変わらない。

 カサコソと、森の影から、リスが現れた。


「………リスか、おどかしおって………」


 突然、ドラゴンが目の前に現れる。


 そのような不安が、足を急かせるのだ。

 せめて、あの炎の気配がなくなるまで、進もうと。好奇心が旺盛おうせいな子犬のように、パタパタとドラゴンの尻尾を振っていたのだ。空を飛ぶ、炎を背負ったバケモノに見えた。

 姿は少女であったが、レーバスさんは気付いた。


 ドラゴンだ――と


 かつて、なにかがあったらしい。相手がドラゴンだと気付くと、覚悟を決めたのだ。一か八か、かかって来いと――


 もう、逃げることが出来ない、追い詰められた人間が抱く、覚悟である。


 幸いにして、昨晩は助かったのだが、逃げる手段も奪われた。ワニさんとドラゴンちゃんが、仲良く大暴れをしたのだ。

 執事さんも、ついでに暴れたのだが、か弱い人の身では、さほどの被害もなかったはずだ。


 何メートルもジャンプをして、とび蹴りを見舞っただけだ。

 10メートルを超える巨大なワニさんの尻尾の攻撃に、炎をまとったドラゴンちゃんの大暴れにと比べれば、微々たるものだ。


 おかげで、手漕ぎボートは全滅だ。


「船旅より遅いが、仕方ない」


 空を仰ぎ見て、夕暮れまでの時間を計る。

 森の中であるために、石畳に囲まれた街道よりは涼しいのだが、そんなことは関係なかった。

 目立たない、誰にも見つからない逃避行を選んだ。

 密輸ゲートの運搬業者さんと言う手段も、つぶされた。


「………なんだ、木こりか?」


 ひたすら森を進むと、丸太小屋が現れた。


 少し、残念な気分だった。

 ずいぶん進んだつもりだったが、まだまだ、あの都市の影響範囲ということだ。ならば、森の中に丸太小屋があることなど、珍しくない。木こりや狩人の休憩場所として、都市が運営することもある。


 むやみな伐採や狩猟を見張るために、森林保護隊もいる。個人単位では見逃していいが、大量伐採は困るのだ。


「出発も遅かったからな………しかし、保護隊の休息所か………」


 すこし疲れていたレーバスさんは、丸太小屋へ近づいた。

 一息つき、情報をもらおうと考えたのだ。森のプロならば、方角や距離くらいは、分かるはずだ。近隣の都市を飛ばして、遠くへと逃げたかった。

 お金もあることだし――と、丸太小屋へと足を進めた。


 レーバスさんは、本当に、疲れていたようだ。

 肉体的と言うより、精神的なものだろう、ドラゴンの影におびえているためだった。


 突如として小屋が現れる。


 御伽噺の定番であり、警戒が先ではないのか。普段はしっかりと警戒をする上、ドラゴンの影におびえているレーバスなら、なおさら慎重に進むはずなのだ。


 無警戒に進むと、水遊びの音と、子供の声が聞こえた。。


「だれか、いるのか………」


 世間を捨てた老人か、あるいは、保護隊の隊員が泊りがけで退屈していると予想していたのだ。

 ところが、子供の声がしたのだ。


 住み込みで、子供が遊びに来ていたのか。それとも、子供がピクニックに訪れるほど、ここはまだ、森の入り口であるのか。


 緊張しすぎて、距離感もおかしい。

 このまま森の中をぐるぐると回り続けるのかと、情けなさに笑みがこぼれるレーバスさんだったが………


「ははは………ドラゴンめ………先回りしていたか」


 はははと、乾いた笑みを浮かべて、ちょっと危ない。


 レーバスさんの目の前には、赤いロングヘアーの、元気いっぱいの女の子がいた。まだ声をかけなければ気付かれない距離だが、はっきりと見えたのだ。


 赤いロングヘアーに負けない、赤い輝きの尻尾が、水しぶきを上げていたのだ。

 好奇心いっぱいの子犬のように、ぱたぱたと水面を叩いて、遊んでいた。 もう、夏なのだ。お昼も過ぎ、とても熱い時間帯ではしかたがない。


 可愛らしいという気持ち以前に、恐怖がレーバスさんの心臓をわしづかみにしていた。


 即座に、覚悟を決めた。


「ドラゴンよ、昨日の続きが望みか………」


 うっすらと笑みを浮かべながら、レーバスさんは森の木々をかき分け、進んだ。


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