第103話 ねずみと、騒動の翌朝


 まぶしい太陽の輝きが、シーツを照らした。

 初夏と思っていたが、もう、夏の日差しになっている。


 もう、朝なのかと起き上がると、ねずみはあくびを一つ、漏らした。


「ちゅぅ~………」


 少し、寝不足気味だ。


 絵本のクマさんの顔が刺繍ししゅうされたシーツが、まぶしく照らし出されている。

 すっかり朝であるが、まだ少し、まどろんでいたい。久々に、仲間たちと騒動に巻き込まれたという、心地よい疲労感だった。


 ねずみは、手を伸ばした。

 目の前のニセガネの銀貨の山から、円盤が一つ、飛んできた。無意識に物体を浮かべて、操るという芸当も、魔法に優れた人物なればこそだ。


 優越感に浸っていたのは最初だけ、今はただ、歯のお手入れの時間だった。

 ねずみの歯は、死ぬまで伸び続けるという。そのために、硬いものをかじって、お手入れをする必要があるのだ。ねずみを飼うには必須の『かじり石』や『かじり木』の代わりに、ねずみには、ニセガネの銀貨が与えられていた。


 カーネナイ事件解決の功績による、褒美ほうびだった。

 山とある銀貨の山は、ねずみの一生では、とてもかじり終えることは出来ないだろう。一つの財産として、ちょっと優越感があるのだ。


「ちゅぅ~………」


 やれやれ――と、ねずみは大きく口を開けて、銀貨をくわえた。


 かりかりかりかり――


 屋根裏部屋に、硬いものをかじる音が響く。本日くらいは、のんびりと過ごしたいのだ。頭上の宝石ものんびりと輝いていた。


 周りの宝石の皆様も、ぎゅうぎゅう詰めであっても、ゆったりとくつろいでいるようだ。


 ちょっとまぶしいが、その程度のことだ。

 むしろ、財宝に囲まれた、優雅な朝の時間を満喫する気分だ。ガーネックの真似のようで少し複雑だが、意外と悪くない。あくどいことをしたわけではないのだ、何を気にする必要がある。


 それに、昨晩は大変だったのだ。

 昼間に引き続き、ワニさんとの追いかけっこだ。野外劇場での大決戦は、前座に過ぎなかった、ワニさんからは逃げるしかないのだ。まかり間違って、街中へと解き放たれれば、大変だ。


 そのために、地下迷宮での追いかけっこに、戻ったわけだ。解決方法は、昼間に生み出されている。

 ねずみが魔法の輝きでワニさんをおびき寄せて、仲間を森へと帰したのだ。


「ちゅぅ~………」


 ねずみは、役目を終えたという満足感で、ため息をついた。

 そして――


 かりかりかりかり――


 ねずみは、朝の歯のお手入れをしながら、本日の予定を考えた。

 まずは、ご家族の方々へのご挨拶だ。昨晩の夕食は、欠席をしてしまったおびもしなくてはならない。


 それに、感謝もだ。


 ねずみのための出入り口と言う玄関には、ビスケットが一切れ、置かれていた。誰の気遣いであろうか、夕食にありつけなかったねずみには、とてもうれしかった。


 宝石の山を見て、オーゼルお嬢様が魔法少女デビューをした事が頭をよぎった。ねずみは、あれは夢と思い込んでくれればよいと思った。

 それほど、不思議な出来事であった。誰が予想できるというのか、お嬢様が宝石の皆様を従えて、夜のお散歩に飛び出すなど。


「ちゅぅ~、ちゅううう………」


 気にしてもしかたがない。なにより、自分はねずみなのだからと、気楽に構えていた。

 手入れが終わったねずみは、朝食にありつくため、そして、お屋敷の皆様に挨拶をするために、屋根つき玄関と言う、ねずみの専用の入り口へと向かった。

 三角屋根の玄関から、のんびりと顔を出した。


「ちゅう、ちゅうぅ――」


 皆様、おはようございます――


 明るい日差しが、ねずみの視界を奪う。

 輝き一色に、世界が支配される、この時期の朝の洗礼である。無意識に、片手でまぶたを覆って、しばし目がなれるまで待つ。

 すぐに、状況が目の前だ。


「ちゅっ、ちゅぅうううう?」


 な、なんだとぉおおおっ――


 ねずみは、叫んだ。

 目の前では、巨漢のアーレックが土下座をしていた。

 その前では、怪物を退治した勇者のごとく、サーベル使いのお嬢様が、仁王立ちをしていた。


 このお屋敷の長女様の、ベーゼルお嬢様である。

 アーレックの野郎の恋人でもあるが、立場は見ての通りだ。


 ベーゼルお嬢様が、お怒りだった。


「ふふふ………分かっているの、アーレックは公僕ですもの」


 アーレックの野郎は、昨晩の夕食に、顔を出すことはなかったようだ。

 いいや、夕食を毎日ご一緒することはない。毎日のように勘違いしていたねずみだが、数日に一度、事前に予約をしていたのだ。


 『本日は、婿むこ殿がいらっしゃる日だ』――と、食事係のベテランさんの掛け声が、アーレックが夕食に参加する合図だ。


 大皿を、用意しろと。


 まぁ、あの巨漢のための皿は、大変だろう。昨日も、食事の約束をしたわけではない。約束をして、すっぽかしたのなら、大変だが………


 ベーゼルお嬢様は、お怒りだった。


「ねずみさんなら、何か知ってるかしら?」


 逃げろっ――と、ねずみの本能が叫んだ

 もちろん、逃げられるわけがない。ねずみの玄関の目の前で繰り広げられている地獄絵図を前に、立ち尽くす以外に、なにが出来るだろうか。


 一つだけ、思いついた。

 いいや、思いつくというよりは、これは、本能的なものだ。目の前の恐怖を前に、ねずみと言う小さな存在が出来ることは、たった一つだった。


「ちゅ、ちゅぅうううううっ」


 お、おゆるしをぉおおっ――


 土下座をしていた。

 空気を読んだのか、いつもねずみの頭上にいる宝石さんは、席をはずしてくれていた。透明モードになったのではなく、ねずみさんの玄関の裏だった。


 目で確認したわけではないが、ねずみには気配でわかるのだ。

 玄関の裏に、身を潜めてくれているのだと。さすがは魔法の宝石である、ねずみを上回る、勘のよさだ。


 逃げやがったな――と

 そこへ、妹様がやってきた。


「あぁあああ、ねずみさん、みつけたぁああああっ」


 オーゼルお嬢様が、お人形を胸元に抱いて、現れた。


 ぎゅっと抱きしめられているために、フリルのドレスをつけたお人形さんがうつむいている。


 そのお顔が、ちょっと怖い。

 まるで、こちらを睨んでいるように見えるのだ。 ねずみは、目の前で不動の土下座スタイルのアーレックを見習うことにした。


 土下座だと。


 ひたすら、ただ、ひたすらに土下座だと、ちゅぅ~――と、鳴いた。

 突然の妹様の登場でも、アーレックの野郎は微動だにしない、安定の土下座スタイルで出迎える。

 オーゼルお嬢様には珍しくない光景らしい、でっかい下僕に見向きもせずに、土下座をするねずみの前まで進み出た。


 お姉さまを真似て、仁王立ちだ。


「昨日は、どこ行ってたのっ」


 さすが、姉妹である。

 アーレックを問い詰める、姉のセリフが聞こえていたのだろう、お姉さんぶっていた。


 昨日、宝石の方々とご一緒に夜空のお散歩へしゃれ込んだことは、夢と思っているようだ。

 それは、ありがたいことだ。枕元で、夢ですよ~、あれは夢ですよぉ~――と、念じた甲斐かいがあったというものだ。


「「ちょっと、きいてるの?」」


 姉妹そろって、同じセリフであった。


 もしかすると、このお屋敷の主様も、このような姿をさらしていたのかもしれない。当主となって、お子様も大きくなった現在は目にしないほうがいい。

 今は、巨漢と一匹が、土下座をしていた。


「お仕事ですもの、朝からお酒の匂いをさせていても、怒るわけにいかないわ。男って、お酒を飲むのもお仕事ですものねぇ~」

「ねずみさん、わたし、怒ってませんのよっ」


 誰が、このようなセリフを教えたのだろうか、若き日のお屋敷の主様の苦労が目に浮かぶ。

 奥方の前で、土下座をしていたのだろう。アーレックの野郎は、さすがにわきまえているらしい、ただひたすらに無言で、土下座をしていた。


 夏は、本格的に始まっている。

 朝も早くから、輝くほどの日差しがカーテンの隙間から室内を照らし、黄金の髪の毛を、神々しく照らしている。


 土下座をする以外に、なにが出来よう。

 巨漢と一匹は、土下座をしていた。



 ――20分後



 木製の机やイスに、目立たない程度の、上品な彫刻が施されている。

 手入れも、きっと楽だろう、ホコリをぬぐって、ニスを塗れば木材の輝きは、長く続くはずだ。


 このイスを主が使うようになって、どれほどの年月が過ぎているのだろうか、騎士様のお屋敷の主さまが、哀れみの瞳だった。


 頭を下げる、一人と一匹へと、向けられていた。


「………まぁ、夕食の約束をしていたわけではなし、酒を飲んでいようと、きみの私生活に干渉するつもりもない………付き合いもあるだろうからな」


 自らも、たどった道なのだ。

 

 ——同情


 一言で表すなら、騎士のお屋敷の主さまのこの態度は、それである。

 キミ、大変だったな――と


 それは、間違えても口から発してはならない。もしも口にしたのなら、奥様がにこやかにやってこられるからだ。


 あなた、どうかいたしまして?――と


「ははぁ~」

「ちゅぅううう~」


 いつもはお義父上ちちうえさまと呼び、緊張するアーレックも、心が救われる想いであった。

 察していただいて、ありがとうございます――と


 アーレックの肩に乗っているねずみもまた、その言葉が身にしみた。

 オーゼルちゃんは、まだ真似っ子をして遊んでいるだけの気もするが、逆らえるわけもない。

 昨晩の野外劇場でのワニさんとの大騒ぎは、夢と思ってくれているだろうか、あぁ、口止めをしなくてはと、ねずみは頭を抱える。


 頭を抱えているのは、ねずみだけではなかった。アーレックは、おそる、おそると主へとお伺いを立てる。

 目線で続きを促すお義父ちち上様に、アーレックは酒の匂いの理由を話した。


 ガーネック関係だと。


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