第101話 ワニさんと、騒がしい夜(下)
ねずみは、浮かび上がった。
頭上に相棒の宝石を輝かせて、偉大なる力の加護を受けた、選ばれた勇者の気分だ。
今こそ、本気を見せてやる――と、調子をこいていた。
ただし、ねずみだ。
両手を挙げて、ちゅ~、ちゅぅ~鳴いている姿は、ちゅぅ~、ちゅぅ~と、ねずみが鳴いている姿にしか見えないのだ。
「くっ、くま?」
「な、なんだワン」
「い、いいから、もう、限界~っ」
フレーデルほどの魔力の持ち主でもなければ、とっくに限界なのだ。今も、ふわふわと浮かんでいる姿が、恨めしい。
赤く輝くカーペットも、ふわふわ飛んでいる。すごい夢を見ているつもりなのだろう、無邪気に興奮している姿が、とっても愛しい。
「レーゲル姉、ねずみさんがっ」
赤いロングヘアーを元気に振り乱し、フレーデルちゃんが指差す。それなりの距離があるのに、ねずみのように小さな姿が、よく分かるものだ。
しかも、夜である。
魔法の力なのか、あるいは、野生の力なのか。
ねずみは、叫んだ。
「ちゅぅ!」
行くぜ――
全身を魔法の力で輝かせ、頭上の宝石さんも輝いている。空を飛んだことのないねずみであったが、この浮遊感は、たまらない。
選ばれし、勇者。
そんな気分で、仲間のピンチを助けるならば、誰が笑うものか。ねずみは光り輝く姿で上空へと浮かび上がると、突撃した。
小さな光の塊が、ワニさんの顔面めがけて――
だが、ねずみだ。
小さな、小さなねずみなのだ。全長10メートルを超える、巨大なワニさんの顔面に突撃をかました、そこまではいいのだが………
「ちゅぅ~………」
吹っ飛んでいた。
うるさい羽虫だと、ワニさんが顔を
ただの野生動物であったのなら、後ろへと倒れてくれたかもしれない。それほどの力で、ねずみは突撃したのだ。例えクマさんであっても、無事ではすまない、タンコブを作っただろう一撃だった。
だが、それで十分だった。
「はぁ、はぁ………た、助かった」
レーゲルお姉さんは、ワニさんが首を振った
最後の力を
銀色のツンツンヘアーも、汗でびっしょりだ。すぐにでも、水浴びがしたくなる。
水浴びは、確定である。
とっさに飛び上がった先は、ワニさんが首を振ったタイミングだったのだ。勢いに
「あぁ~………お姉ちゃん、落ちちゃった」
「うん、レーゲル姉が落ちた………」
「ははは、若いもんは、元気だなぁ~」
観客席が、ちょっとひどい。
心配する声もあるが、ピンチになっても助けてくれないところが、一番ひどい。
そんな気分で見つめていられるのは、一瞬だ。レーゲルお姉さんは、必死で泳いだ。
水の中なのだ。
ワニさんの、得意分野だ。
「ごぼぼお、ぼごご」
あまり清潔とはいえない水であるが、下水の水よりはマシであろう。しかも、このあたりは水が豊富ということで、廃れた野外劇場のこの水もまた、常に流れ続けている。
おかげで、裏家業の方々は、ボートを使った運搬業務が出来るわけだ。
180センチを超えた猫背の彼と、怒鳴り散らしていた笑顔の小太りが、叫んだ。
「わわわわわ、ダンジョンの主の登場だぁあっ」
「ちきしょう、ボートをかえせっ、このっ」
おびえながら、小石を投げる。
せめて、ワニさんの注意を引く攻撃をして欲しい。
その一つは、宝石だった。
「ちゅぅううううう」
ねずみも、セットだった。
魔法の宝石の力のおかげで、空中へとデビューしたねずみさんだ。操り糸か、バルーンのひもか何かのように、つながっているのだろう。
ひょいっ――と、石ころを投げる力で、ちゅぅ~――と、投げられた。
力場に引っ張られ、空中へと逆戻りだ。
その様子は、もちろんドラゴンちゃんがお見通しだ。
「わぁ~、ねずみさん、がんばるなぁ~」
「え、ねずみさん、どこ、どこぉ~」
「はっ、はっは………フレーデルは目がええなぁ~」
観客席は、とっても穏やかだ。
ただ、ねずみの涙目までは、気付かないようだ。がんばっているというより、ピンチに救いを求めて、泣き叫んでいそうだ。
アニマル軍団は、仲間のピンチに叫んでいた。
レーゲルお姉さんは、水中へと着水、おぼれていないようだが、岸辺までは何メートルもある。ワニさんとどちらが早いか、競争だ。
獲物の水しぶきを感知して、追いかけてきた。
「くまぁ~、くま、くまぁあああ」
「早く、こっちだワン」
バシャバシャと激しく水しぶきを上げて、岸辺を走るクマさん。
必死で泳ぐレーゲルお姉さんを迎えようと、腰まで水浸しだ。クマの脚力なら、人よりもすばやく水中を走れる。背中にレーゲルお姉さんを乗せれば、間に合うはずだ。
レーゲルお姉さんは必死に泳いでいるが、ザバザバ――と、ワニさんに水しぶきが近づいてくると思うと、方向転換をしたばかりと思っても、冷や汗ものだ。
駄犬ホーネックは、岸辺でワンワンと吠えて、応援していた。本当に、何をしに来たのだろう、駄犬は、懸命に吠えていた。
ねずみは、またも鳴いた。
「ちゅ、ちゅううう~………」
お、おたすけぇええ~………
涙目だった。
またも、ワニさんが頭を振った衝撃で、吹っ飛んでいた。
自在に、空を飛べる力があるはずなのだが………
「あの輝いてる石って………なんなんだ」
「わぁ~、兄貴、魔法少女って、本当にいたんだねぇ~」
「くぅ~、そうなのよ、少女ってところが肝心なのよ。魔法使いなんて、はいて捨てるほどいるんですものっ。かわいい女の子じゃなきゃ、いけないのよっ」
「………バルダッサ、何か、あったのか?」
観客は、ここにもいた。
先ほどまでは、必死に手漕ぎボートで逃げていた四人組であるが、ワニさんのターゲットがアニマル軍団へと変わったことで、見学する余裕が出来ていたのだ。
では、誰がワニさんのお相手をしているのだろうか、小石を投げている密輸ボートのでこぼこコンビではないだろう。
アニマル軍団は、ようやくレーゲルお姉さんを岸辺へと引きずり上げたところだ。
執事さんが、
「おまえら………楽しそうだな」
すっと、アニマル軍団の背後に着地した。
水しぶきを上げるワニさんと戦って、なぜ、髪型一つ乱れていないのだ。このまま、ティーセットを持ってきても失礼のない、整った執事姿の、執事さんだ。
レーバスという死に神の印象の執事さんは、ワニさんを指差した。
「ただのワニではない。モンスターだ」
びしっと人差し指をさして、宣言した。
いや、それはそうだろう。何を今更――そんな顔のアニマル軍団だが、見た目に反して、心がお疲れの様子の執事さんの意見には、同意したかった。
執事さんは、根拠らしいものを、示した。
「ただの巨大生物なら、オレの攻撃でダメージを受けるはずだ。と言うか、貴様らのほうが専門家だろう――っ」
死に神さんは、空へと消えた。
瞬間、巨大なワニさんの尻尾が、岸辺の大そうじをした。木材を南国の植物群に加工した上に、色を塗っただけの南国をイメージした岸辺が、すっきりとしたものだ。
破片すらも残さず、空へと舞い上がる。
ねずみは、空中だった。
「ちゅ………ちゅうう………」
こ………ここは………――
吹っ飛ばされた衝撃で、しばし、お休みだったらしい。勇者の気分だったねずみは、頭上を見つめる。
「ちゅうっぅううう」
ねずみは、叫んだ。
言葉にならない悲鳴で、目の前のワニさんの牙を見つめて、叫んでいた。意識を失うほど、振り回されたのか、魔力の使いすぎか、調子に乗って、勇者の気分を味わっていたねずみの目の前は、ワニさんの口だった。
「ちゅう、ちゅ、ちゅうう」
そうか、これが、終わりなのか――
ねずみは運命を前に、覚悟を決めた。
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