第100話 ワニさんと、騒がしい夜(中)


 良い子は、そろそろベッドへと向かわねばならない時間帯、あるいは、すでに夢の中のつもりかもしれない。

 オーゼルお嬢様は、はしゃいでいた。


「わぁ~、すごいすごい、ねずみさんもクマさんも、すごいっ」


 宝石のカーペットの上で、大はしゃぎだ。

 100を超える、空中に浮かぶ宝石の皆様の仕業である。なぜ、ここにいるのかという疑問を吹き飛ばす、元気なお子様だ。


 すたれた野外劇場での、ワニさんVSアニマル軍団の戦いは、見ごたえが十分らしい。

 もう一人のお子様も、大満足だ。


「ほらみて、執事さんも、ぴょん――って」


 炎を身にまとい、空中に浮かぶフレーデルちゃんだ。

 突然、光るカーペットで登場したお嬢様とご一緒に、大興奮だ。


 レーゲルお姉さんは、そんなお子様達を見上げて、つぶやいた。


「あんたら、姉妹?」


 なんだか、遠吠えをしたくなってきた。

 そんな気分のレーゲルお姉さんは、銀色のツンツンヘアーが月夜に映える。まるで、狼のようだ。

 これで、一人で水辺にたたずんでいれば、カッコイイお姉さんなのだが、その湖は、にぎやか過ぎた。


 ワニさんにクマさんに、ねずみや執事さんに、見知らぬ二人組みと、もちろん、手漕ぎボートの四人組が飛び回っている。

 自ら飛び上がったのか、ワニさんの尻尾で吹っ飛ばされたのかは、悲鳴が教えてくれる。


「どうしろってんだ………ワン」


 冷静に、駄犬ホーネックが前を見つめる。

 忠実な犬のごとく、レーゲルお姉さんの足元にしゃがみこみ、傍観者ぼうかんしゃを気取っていた。

 中身は魔法使いの少年、ホーネックである。

 だが、扱える魔法の力は、小さな物を動かすことと、しゃべることが精一杯の、無力な駄犬だ。安全地帯で戦いをを見つめる以外に、なにが出来よう。


 この野外劇場において、いいや、おそらくはこの都市において、最強の魔法の力を備える雛鳥ひなどりドラゴンちゃんは、謎の魔法少女と、仲良くおしゃべりをしている。

 空中であるため、見上げるしかない己の無力は、受け入れるべきだ。


 カツン、カツン――と、恐怖の足音を聞きそびれるという失態は、そうして起きた。犬の耳は、人よりも優れているはずなのに、この恐怖の足音は、身にしみているというのに………


 シワシワの顔が、現れた。


「ほぉ~………やっとるなぁ~」


 ミイラ様が、やってきた。

 空中を、わざわざ杖を突いて歩く老婆など、ミイラ様と言う大魔法使いのほかに、誰がいるだろうか。

 長いローブを引きずって、シワシワの顔と、杖を突く枯れ枝のような手をのばす姿は、正にバケモノ。


 駄犬は、悲鳴を上げた。


「きゃわわわわん、だ、ワン」


 全身の気が逆立って、とたんに、尻尾も耳もぺたりとして、しゃがみこんだ。

 ワニさんを前にしても、ここまで驚かなかったと思う。何も見ていません、怖いものなど、そこにいませんという敗北姿勢は、見事である。


 レーゲルお姉さんも、怖気づいてしまう。


「お、お師匠様………」


 ワニさんとの遭遇という事態は、失態に当たるのか、それとも、お師匠様が解決してくれるという、甘い期待を抱いていいのだろうか………

 かなえられないために、期待してしまうのだ。


 ミイラ様は、指さした。


「ほらほら、若いもんが、なにぼぉ~っとしとる。はよ、いけ」


 け――と聞こえたのは、きっと勘違いだ。

 なぜか、魔法の力を備えるねずみさんのおかげで、仲間のクマのオットルは無傷だが、巨体ゆえに、尻尾に吹き飛ばされてばかりだ。

 何を思ったか、参戦した執事さんも、ぴょんぴょん飛びねてばかりで、たまにキックをワニさんの頭に命中させるが、効果は期待できない。


 木材の破片を懸命に投げている、手漕ぎボートの四人組と、ボートの持ち主らしいでこぼこコンビの攻撃は、さらに寂しい。

 そう、にぎやかなだけで、決め手にかけるのだ。


「ほれ、とっとと」


 触れるだけで、折れてしまうのではないか。

 そんな、枯れ枝のようにもろいシワシワの手が、レーゲルお姉さんの襟首えりくびをつかんだ。


「お、お師匠様、待って、フレーデル、あんたも――」


 一人でってたまるかと、せめて道ずれをと、手を伸ばすレーゲルお姉さん。

 のんきに、産毛の生え残っているドラゴンの尻尾をふらふらとさせているフレーデルである。レーゲルお姉さんは、その尻尾をつかんでやろうとしたのだが………


 その手は、むなしく空中をつかんだ。

 お師匠様に、ぽい――と、放り投げられたためである。しかも、意地の悪いというか、ナイスコントロールと言うか………


 レーゲルお姉さんは、叫んだ。


「ぎゃぁあああああ」


 ワニさんの牙が、目の前だった。

 口の端が、笑みにゆがんでいるように感じたのは、勘違いとは思えない。のんびりとした傍観者から、突如、絶体絶命になったレーゲルお姉さんは、魔力を限界まで引き上げる。


 リーダーの力を見せてやる。

 そんな気持ちなのか不明だが、覚悟はできたようだ。両手のこぶしに魔力を集め、それはたちまちに、巨大な土の塊となる。

 魔法の力だけで、土を生み出すことも出来るのだ。

 魔力量と制御能力、どちらもなければ、形にならない魔法の一つ。優れた術者は、鋼鉄の刃であっても跳ね返す強度を生み出すという。


 はたして、レーゲルお姉さんは………


「フレーデルぅうう、援護、援護射撃ぃいいいっ」


 ピンチだった。

 銀色のツンツンヘアーのお姉さんは、なみだ目だ。魔力で生み出した土の塊は、あまりお役に立たないようだ。

 炎の弾丸を撃ちまくれと、いつもは暴走を叱るドラゴンちゃんの名前を叫ぶ。


 その間にも、レーゲルの生み出した土の塊は、巨大な牙に噛み砕かれていく。ガリガリと、もろい木材を砕くがごとく、直系1メートルほどの土の塊が、崩れていく。


 そのたびにレーゲルお姉さんは、追加で土の塊を生み出す。

 魔法使いの見習いのグループで、リーダーとなっているのだ。必然、それなりの実力の持ち主でもある。世話焼きが最大の理由だが、それなりの力も、あるのだ。

 触れるだけで崩れてしまう、そんなもろい土の壁ではなく、ある程度の防御力を有してる。


 ただし、一定の強度を維持するには、魔力を流し続ける必要があるらしい。

 しかも、直接触れる必要があるのだ。小さな範囲であれば、駄犬を串刺しにようと脅す程度ならば問題ない。


 だが、巨大なワニさんの牙から逃れるサイズの土の塊は、維持するだけでも大変だ。

 しかも、砕かれていくのだ。


 そのため、次から次へと、土の塊を生み出す必要がある。土のかたまりが消えれば、今度は自分のこぶしが、あの牙の餌食なのだ。


 丸太小屋メンバーは、叫んだ。


「くまぁあああ」

「ちゅぅううう」

「わぉおおおん、だ、ワン」


 アニマル軍団が、突撃だ。

 なぜか、傍観者を気取っていた駄犬ホーネックも加わっているが、お師匠様に投げられたためである。


 涙目で、ヤケであった。

 そんな仲間たちを眺めるフレーデルちゃんは、恐る恐ると、となりに浮かぶミイラ様に伺いを立てた。


「えっと………お師匠様、私はいいの?」


 自分も、ぽい――と、投げられているはずなのに、不気味だった。

 レーゲルお姉さんが叫んでいるのに、フレーデルはなぜか、空中にとどまったまま、お師匠様と傍観者を気取ったままだ。


 お師匠様が、待ったをかけているのだ。

 ミイラ様は、シワシワの顔を、さらにシワシワにして、笑った。


「ははは、今のお前さんが本気で突っ込んだら、みんなが巻き添えだ。そんなにワクワクした気持ちではなぁ~」


 楽しそうだ。

 理屈はわからないが、突撃してはいけないのだと、フレーデルは思った。それは、下水の逃避行で、本気でワニさんに立ち向かわなかった理由かもしれない。


 ドラゴンなのだ。


 産毛が残っている雛鳥ひなどりドラゴンちゃんであっても、その力はドラゴンなのだ。人間程度が、抗えるはずのない力を誇る。

 シワシワの顔を、シワシワさせて、ミイラ様は笑った。


「フレーデルや、気付いとるなぁ~、尻尾が生える前より、ずっと強い力が使えるようになっとる………と。尻尾が生える前から、制御が大変だったのになぁ~」

「うぅ~………物は、壊してない――」


 つまらなそうに、口を尖らせた雛鳥ドラゴンちゃんだったが、お師匠様の指摘の通りに、力が跳ね上がっていた。感覚で抑えていたものの、少しの加減が、大惨事だ。


 廃棄された野外劇場の下水出入り口が、無残だった。

 フレーデルとしては、鉄格子の扉を押し開ける程度の圧力のつもりだった。


 周囲を一緒に、ふっ飛ばしていた。


 ボートが通れる幅は、ワニさんには狭いだろう。余裕でワニさんが通れるほどに、広がっていた。


 誰が、そんなドラゴンを止められる。

 それは、隣に杖を突いて座る老婆と言う、大魔法使いであっても同じだ。人間という種族の最高位のお師匠様だが、あくまでも“人間”という種族の範囲だ。

 特に――と、お師匠様は光るカーペットを指差す。


「人間なら、ちょっと力が増える程度だ。けどな、おまえさんが力を出したら、えらいことなんだわ」


 面白そうに、それは面白そうに、お師匠様は笑った。

 長く生き過ぎたために、魔法組合の組長さんなら、卒倒するような大事件さえ、面白い出来事に思えるのだろう。

 たった一つでも、魔法使いの力を底上げしてくれる宝石である。それが、百を超える数が、しかも、ドラゴンちゃんの隣にあるのだ。


 それはもう、火薬が詰まったタルの山の前に、松明を持ったいたずらっ子がいるような状況なのだ。本人の力が暴走しなくとも、火薬の詰まったタルの山がどうなるのか、想像するだけでも、大変だ。


 アニマル軍団は、絶体絶命だ。


「もぅ、フレーデルは何やってんの」

「お、お師匠様が止めたんだワン」

「く、くああぁあ?」

「ちゅ、ちゅうう?」


 な、なんだとぉおお――

 オットルというクマさんの叫びは分からないが、ねずみは、絶望に、鳴いた。

 どう考えても、最強の魔力の持ち主を、観客にしていい状況ではない。それこそ、お師匠様も参加して、このピンチを切り抜けるべきなのだ。

 当然、お師匠様は参加しない。


 そう、楽しんでおいでだ。

 試練に打ち勝ち、成長すればよし、死なばそこまでと言う、鬼なのだ。いいや、ミイラだったと、ねずみはお師匠様の性格を侮っていたと、頭上の宝石を見上げる。


「ちゅちゅう、ちゅう」


 しかたない、やるぞ――

 ねずみは、ビカビカと光る宝石に、改めて協力を要請した。ねずみが本気で望めば、しっかりとサポートしてくれる、ありがたい相棒なのだ。

 ねずみの全身を魔力の光が覆い、ついに、浮かび上がった。


「ちゅぅっ」


 気合一発、さぁ、行くぞ――と


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