第99話 ワニさんと、騒がしい夜(上)


 広大なる、野外劇場。


 円形の、階段のようなすり鉢形状の客席は、どこへ座っても、目の前の演劇を楽しむことが出来ただろう。人の手で生み出された、楽園が、背景にある。南国の樹木に囲まれた湖には、優雅にボートが浮かび………

 維持費が大変だったに違いない、今は廃墟となった劇場で、ねずみは大慌てだ。


「ちゅ、ちゅぅううううっ?」


 お、お嬢様ぁあああ?――

 ワニさんへ向けて両手をかざしながら、上空に現れたオーゼルお嬢様を見上げていた。

 意識の端では、魔法の力を高めている。ワニさんを追い払える圧力を維持しつつも、ねずみは固まっていた。


「く、くまぁあああ?」

「お、女の子が空を飛んでるワン」

「へ?私だって飛べるよ?」

「いや、フレーデル、あんたはいいのよ。ドラゴンなんだし………」


 どこか間の抜けたフレーデルちゃんの言葉はともかく、丸太小屋メンバーは、突然現れた魔法少女に、混乱していた。


「あ、あれ………昼間の宝石?」

「わぁ~、兄貴………魔法少女って、本当にいたんだねぇ~」

「くぅ~………悔しいわ。やっぱりそうなのよ。小さな女の子のほうが、見栄えがいいのよぅ」

「いや、バルダッサ、それ以前――なんでもない」


 手漕ぎボートの四人組も、しばし、上空へと意識が飛んでいた。では、目の前のワニさんは………


 さぁ、昼間の続きだ――


 明るいものに引き寄せられる。そんな習性が、ワニさんにあるらしい。それも、魔法の輝きが強いほど、ひきつけられるのだ。

 手漕ぎボートの四人組から、ターゲットは変更された。

 上空にいるというのに、宝石さんたちへ向けて、まっしぐらだ。

 ねずみは、パニックだ。


「ちゅ、ちゅうう、ちゅううぅううう」


 や、やらせはせん、やらせはせんぞぉおおおお――


 改めて、魔法の力を高めるねずみ。

 小さなねずみの体を、すでに数倍する輝きが周囲をおおっていた。丸太小屋メンバーの仲間たちも、負けてはいない。


「く、くまぁ、くまぁあああ」

「は、早く逃げるんだワン」

「うん?あの子は大丈夫だよ。だってワニさん、空を飛べないもん」

「………フレーデル、なんか、余裕よね………ちょっと悔しい」


 男連中は必死だが、いつもは暴走するフレーデルちゃんは、余裕だった。

 自らも空を飛べるためか、宝石の方々の魔力を感じたためか、宝石の方々に連れられた女の子、オーゼルちゃんの心配は、あまりしていなかった。


 自らも、空中にふわふわと浮かび、のんびりとしたものだ。

 赤いロングヘアーと同じく、赤いドラゴンの尻尾も、のんきにゆらゆらとさせて、本当に余裕だった。

 レーゲルお姉さんは、ちょっと悔しそうだ。そんな感想を持つ時点で、レーゲルお姉さんも余裕であろう。


 ワニさんがざぶん、ざぶん――と近づいていた。


 クマさんは、すでに覚悟を決めたとばかりに、両足で立ち上がる。

 ここは、まかせな――と、言っているのかもしれない。逃げるために四速歩行だったが、ぬっと立ち上がり、大きく腕を振り上げた。


 そして、吠えた。


「くまぁあああああ」


 人間の身長を大きく上回る巨体で、その姿は正に、森の王者である。

 ただ………


「オットル、危ないワン」

「おぉ~、クマさんが、飛んだ………」

「フレーデル、あとでちょっと、話いいかな………」


 クマさんが、飛んだ。

 十メートルを超えようという巨大なワニさんを前に、森の王者とはいえ、分が悪すぎた。

 ワニさんの尻尾の一撃で、吹き飛ばされた。


「ちゅ、ちゅうううう~」


 ねずみも、吹っ飛んでいた。


 魔法の力を高めたところで、巨大なワニさんの尻尾がやってきたのだ。正面から突っ込んでくると思っていたための、油断であった。


 そして、フレーデルちゃんが、ちょっとひどい。

 きっと、仲間を信じているからだ。保護者役のレーゲルお姉さんの静かな怒りは、今は気にしなくてもいいだろう。


 もちろん、クマさんは無事である。

 ねずみも、無事である。 宝石によって高められた防御力が、二人とも守ったようだ。


「く、くまぁ~………」

「ちゅ、ちゅぅうう………」


 クマさんが、両手を上げて、立ち上がった。

 ねずみも、クマさんの頭の上に立ち上がり、肩を怒らせていた。宝石さんも、びか~――と輝いて、力を高めている。


 フレーデルちゃんは、のんびりと観戦していた。


「二人ともぉ~、早く防御しないと、次がくるよぉ~」

「………ほんと、余裕ね、雛鳥ひなどりちゃんは………」

「………ワン」


 決死のクマさんと、ついでにねずみの姿に、のんきな声を上げるフレーデルちゃん。危機感がないのか、それとも、本当にフレーデルにとっては、お遊びなのか………

 いつものごとく、お子様だからに違いない。


 もう一人のお子様は、はしゃいでいた。


「わぁ~、すごいすごい、ワニさんもクマさんも、すごい」


 ねずみの応援もしてあげて欲しい。

 オーゼルお嬢様は、宝石の方々という光るカーペットの上で、下水のワニさんと、魔法使い達との対決を観戦していた。


 こちらは、まだお子様であるために、許してあげて欲しい。

 本人は、夢を見ていると思っているのかもしれないし、ねずみもおそらくは、夢だと思い込んで欲しいと、願っているだろう。

 全ては、この戦いが終わってからのことだ。


 ねずみは、改めて力を高めていた。


「ちゅぅうううう――」


 クマさんも、気合を入れていた。


「くまぁああああっ」


 今度は、負けない――とでも、叫んでいるに違いない。闘志をむき出しに、森でこの状態のクマさんに出会えば、死を覚悟する。そんな叫びだった。


 そこへ、不運な方々が、やってきた。

 ここは、野外劇場である。出入り口は無数にあり、排水のために、もちろん下水にもつながっている。

 当然、観客席からも、裏口からもつながっており………


「本当ですって、ボートの数が合わなくって………」

「だから言ってるだろ、ロープはしっかりむすべって。水の流れをあなどるなってよぅ」

「いや、下水扉も開いててさぁ」

「はぁ?閉めとけよな~………もし、俺たちの密輸ゲートだって知られたら――」


 今、知られたようだ。


 ボクたち、悪者です――というスタイルで身を守るコンビであった。

 小柄で太ったマヌケそうな男が偉そうに、がたいのいい男を怒鳴りつけていた。肉体的な優劣は、明らかに小太りが劣っているため、ちぐはぐの印象を受ける。アーレックほどではないが、180センチを超えたあたりの、がたいのいい男が猫背で、おびえているのだ。


 二人、仲良くこちらを見ていた。


「えっと………いい、夜ですなぁ」

「先輩………違うと思う………」


 先輩と呼ばれた小太りの男は、人目があることに気付いて、商売スマイルを浮かべていた。その後ろの、猫背の男は、違ったものに目を奪われた。

 おびえた指で、恐る恐ると、指差す。


 ワニさんが、にっこりと、笑みを浮かべた気がした。


「「ぎぃいいやぁあああ」」


 本当は、仲良しなのだろう。二人仲良く抱き合って、悲鳴を上げていた。

 その背後からは、運の悪いお方が、現れた。


「どうした、オレが乗るボートが………」


 死に神です――


 自己紹介は、それで決まりのレーバスと言う執事さんが、現れた。

 すでに、自称・善良な金貸しのガーネックさんの執事を辞めたお方だが、執事服で現れた。

 闇夜に現れた執事服姿は、違和感もあって、死に神の印象を強める。


 白い手袋をはめた片手で、顔を覆った。


「………また、お前らか………そんなにドラゴンが好きだとは………」


 皮肉なのか、見た目どおりなのか。見知った顔を四人ほど見つけて、ため息をついた。手漕ぎボートの四人組とは、ガーネックつながりで、顔見知りのレーバスさんである。


 ガーネックという雇い主を見限った理由が、ドラゴンの宝石なのだ。そんなレーバスさんの前にあの輝きがあり、あの四人組みがいたのだ。


 なにかの呪いのように、目の前にいたのだ。


「や、やぁ、奇遇だな………レーバスさんよぅ」

「ガーネックの屋敷以来………かな?」

「あらん、相変わらず、いい男ねぇ~」

「残念、逃げそびれたか………」


 顔見知りのデナーハの兄貴さんを筆頭に、挨拶を交わす。

 密偵のベックなどは、密偵らしく、屋根裏に潜んでいたはずだが、些細ささいなことだ。


 そして、常に女装をして、奥様達に混じって噂話を集めるという、地味であるが、最強の情報網を駆使くしする変装のバルダッサは………語るまい。

 冷静な運び屋のバドジルだけが、まともだった。


 いいや、現実逃避と言う言葉がふさわしい、目の前では、先ほどまで死闘を演じていたワニさんが、楽しそうに尻尾を振って、遊んでいるのだ。

 ザバン、ザバン――と、水しぶきを盛大に上げて、演出のための木々の破片が、あたりに散らばる。


 ワニさんは、大喜びだ。


 今夜は、獲物がいっぱいだ。

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