第96話 ねずみさんと、下水の騒動


 夏を感じる今日この頃。ねずみ生活が始まった初夏から数えて、日々はまたたく間に過ぎていく。それでも、ネズリーというねずみが地下迷宮で危機を感じたことは、あまりない。

 ワニさんと遭遇そうぐうという不運は、本日のことだ。


 ねずみは、叫んだ。


「ちゅぅううううっ!」


 ――にげろぉぉおおおっ!


 お昼に続いて、二度目だった。

 ぎゃぁ~――と、ねずみの頭上で、宝石も輝く。しかし、そんな輝く宝石の明かりなど、マッチの明りに等しい。フレーデルちゃんの炎は、周囲を明るく照らしていた。

 ドラゴンの尻尾も、パタパタと元気に、楽しそうだ。


「わぁ~い、逃っげろぉ~」


 遊びに興奮した、子犬のようだ。

 計画では、今頃、静かに暗闇を歩いているはずだったのだが……仲間たちは、悲鳴を上げていた。


「あんたって子はっ、炎は抑えろって言ったでしょぉおおおっ」

「あ、あれじゃ、怒らせただけだワンっ」

「く、くま、くま、くまぁああああ」


 目立つ輝きを消し、おとりに、魔法の光を放り投げる。昼間に、ワニさんから逃れた方法である。


 細道へと追い込まれていたため、まずは、ワニさんにどいてもらおう。一時的に巨大な炎を生み出し、ワニさんがひるんだところへ、遠くへと炎を生み出す。

 お怒りになるかもしれない、それでも、その怒りの矛先が、自分達でなければいい。魔法の輝きが遠くへと行けば、ワニさんは追いかけて、自分達は助かる。

 それが、計画だった。


 だが………


「なんで、炎を出したままにしたのよぉ~」

「だって、だってぇぇええ~」

「ふ、船が見えるワンっ」

「く、くまぁ、くまぁああ?」

「ちゅ、ちゅう、ちゅうううう?」


 ――こ、小船だと?


 ねずみは、叫んだ。

 宝石さんも、驚いたように、ビカっ――と光った。


 あるいは、クマさんというオットルお兄さんも、同じ感想だったかもしれない。運の悪い連中だ。それは、自分達も同じという、相憐れむ関係である。

 小船が幅広い下水のせせらぎを、進んでいた。


 叫び声が、聞こえた。


「ま、またたワニだぁぁあ?」

「あ、兄貴ぃいいいっ」

「に、逃げるのよぉぉおおっ」

「………あれ、今の輝き………」


 新たな水しぶきが、盛大に上がった。


 その速度は、小さな手漕ぎボートとは、とても思えない。二メートルのマッチョな淑女しゅくじょが、必死の形相で、オールをこいでいた。

 優雅ゆうがにボート遊びをする。そのようなフリルのついた服装は、何の冗談だろう。ムキムキマッチョが、引き裂いていた。


 それは、必死さを物語る。

 それはもう、常識ではありえないスピードである。小さな手漕ぎボートが、船首から半分ほどは浮かび上がって、全速力を上げていた。

 臭気漂う岸辺での、全力疾走と、手漕てこぎボートの全速力。その勝敗をかけたレースが今、始まった。

 負けたチームは、ワニさんが歓迎だ。


 ねずみは、ボートに追いつきつつ、叫んだ。


「ちゅう、ちゅううっ」


 また、お前らかっ――

 昼間に出会った、謎の四人組であった。

 宝石も、挨拶あいさつのつもりか、ぴかぴかと、瞬いた。必死の輝きを光らせていたくせに、余裕があるらしい。感情があるのか、いまだに答えの出ない、不思議な宝石である。


 手漕ぎボートのメンバーが、先に声をかけてきた。

 相手は、クマさんだった。


「お、おう、そこのクマさん………昼間は、ありがとな」

「あんがとな、クマさん」

「ほんとう、助かったわ~」

「感謝………」


 クマさんに怪我をしたらしいメンバーを載せて、逃げ延びたのだ。その感謝は、まずはクマさんにささげられた。

 中身はオットルお兄さんと言う、メンバーの最年長だ。


「く、くま、くまぁ~」


 何を言っているのだろうか、ねずみにはわからない。おそらくは、気にするな――とか、いいってことよ――とか、格好をつけているのだろう。

 ワニさんが迫っているのに、余裕なことだ。


 一方の、残るアニマル軍団も、ご挨拶だ。


「あんた達、昼間の………」

「やっほぉ~」

「奇遇だワン」


 疑問を抱くお姉さんに、無邪気にご挨拶のフレーデルちゃんだった。

 ただ………駄犬ホーネックは、しゃべってよかったのだろうか。気を使って、

ねずみは鳴いた。


「ちゅぅう、ちゅううう~」


 もちろん、鳴き声だけでは、誰にもわからない。ねずみは、下水のせせらぎを進む手漕ぎボートを、ちらりと見る。


 間違いなく、昼間の連中である。

 フレーデルの炎が、明るく下水を照らしているおかげで、はっきりとわかる。女装をしたマッチョがいる四人組みなど、どれほどいるというのか。

 しかも、下水を好む連中など、どれほどいるのか。


 何が目的なのか、ねずみにはわからない。

 ただ、運がないやつらめ――と、同情の眼差しを送るに、十分な不運だった。


 相手も、ご同様だ。


「また会ったな」

「なんで、ワニを連れてるんだよぉ~」

「ちょ、ちょっとその炎………尻尾?」

「………いまさら?」


 臭気漂う下水の岸辺を走る丸太小屋メンバーと、せせらぎをゆく手漕ぎボートの面々は、しばし、現実から逃れていた。このまま、下水のお散歩としゃれ込めれば楽しかった。


 ざざざざ――と、恐怖が追いついてきた。


「ちゅぅううう………」

「く、くまぁ?」

「き、来たんだワンっ」

「フレーデル、どこ向かってるのよっ」

「え~っと………わかんな~いっ」


 フレーデルちゃんは、どこか楽しそうだ。

 アニマル軍団が必死である中、さすがは雛鳥ひなどりドラゴンちゃんだ。その、人並み外れた力が恩恵をもたらすことも多い。結果的には、感謝をささげるという、なんとも悔しい気持ちになるだけだ。

 今回は、どのように活躍かつやくするのだろうか、フレーデルちゃんが、振り返った。


「ねぇ、宝石さん、光ってるよ?」


 明るく迷宮を照らす炎に囲まれて、よく、気付いたものだ。ねずみの頭上の宝石さんが、ピカピカと光っていた。

 ワニさんに追いかけられて、助けを求めているようにも感じる。


 仲間たちよ、集え――と


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