第89話 ミイラ様と、魔術師組合の組長さん
初夏の太陽が、強く影を落とす時間帯。そろそろ、初夏というよりは、夏に入ったという強い日差しは、お肌の天敵だ。
小娘と呼ばれた時代を懐かしく思う女性が、ため息をついていた。
「はぁ、シワ………増えてないかしら」
色々と気にするお年頃の女性が、立派なつくりの手鏡を取り出して、年齢を生きたという自らの顔を映し出していた。
シワが刻まれるほど、苦労をした立派な大人である。そのように強情を張るには、まだ少し早いというお年頃の女性は、ため息をつく。
近頃は、シワが深くなってばかりだ。
つい最近生まれた都市伝説が、シワの元凶である。
夜な夜な、空を歩く老婆がいるという。それは、数多くある、都市伝説のひとつに過ぎない。
そう言って、笑い飛ばすことが出来れば、どれほどいいだろうか。下水のワニに下水の幽霊、しゃべる犬や、森に現れた不思議な丸太小屋など、心当たりがいっぱいだった。
夜な夜な、空を歩く老婆などは、実在を知っているというか、訪れないでくれと
その噂が、やってきた。
窓の外から、やってきた。
コン、コン、コン………
窓をノックする音がした。そんなことは、あるはずがない、ここは最上階なのだ。不気味な音に振り向くと、そこには、ミイラと表現する以外になんと言おう、ミイラ様がいらっしゃった。
「はよぅ、開けろや」
にっこり笑顔で、おっしゃった。
魔術師組合の組長様は、ただちに――と、ダッシュした。
下っ
この都市の領主様とも気軽に会話できるご身分の彼女をして、ただの下っ端のように腰を低くさせる存在が、いらっしゃったのだ。
すなわち、バケモノである。
「なんか、久々にマイム・マイムも、見たいもんだなぁ?」
にっこりと、シワシワがさらに深くなっておいでだ。
相対する組長のおば様は、それはもう、愛想笑いをした。バケモノの前に連れてこられた生け
ただのマイム・マイムではない、顔だけを地面から出して、その周りをクモやヤスデや
悪夢は、目の前だ。
二百という大台に
組長さんは愛想笑いで、ご用件を
「は………ははは、あまり操ってあげると、クモ様たちが可愛そうですよぉ~」
ぱたぱたと、手をひらひらとさせて、お話を楽しんでますアピールをする組長さん。有象無象のクモという八本足の恐怖の象徴を、クモ様とお呼びするほど、経験の持ち主である。
ならば、とことん罪のない下っ
魔法使いの頂点である、神殿に仕える魔法使いのお一人を前に、地方都市の魔術師組合の組長ごときは、下っ端なのだ。
このミイラ様と表現して違和感のない老婆の、数え切れない教え子の一人であることが、腰を低くする最大の理由である。
「お、お師匠様はところで、今夜はどのようなご用件で………」
だらだらと、いやな汗をかく。
メシを食わせろというなら、即座に組員にご用意せねばならない。宿で休みたくなったといわれれば、組長の職権を乱用せねばならない。
退屈だ、遊び相手になれというのならば、生け
最も可能性の高いのは、ドラゴンの宝石の件である。
こちらは手を出さなくてもよいと、ミイラ様と言う老婆は確かにそう言ったわけであるが、事態が変わることも、よくある。
「なぁに、そんなに気を張らんでもええ、やんちゃをするバカどもが
この笑顔のあとには、よくないことが起こる。
ニコニコと、シワシワの顔に、さらにシワを刻んで笑うミイラ様の笑顔の、なんとも恐ろしいことか。
それは魔術師組合の組長としての予言というか、経験と言うか、ともかく、よくないことが起こる前兆と感じるのだ。
人の限界を超えて長く年月を生きるミイラ様が、ここまで楽しそうにする出来事など、どれほどあるだろうか。
あぁ、大変だ――と。
「た………大変ですね………やんちゃをする前に、組員からお手伝いでも――」
愛想笑いをしつつ、組長という年季の入った小娘さんは、腰を低くしてご機嫌を
主に、部下の連中が。
下のみなさまにはいい迷惑であるが、権力は、使ってこそ価値がある。飾り立てるだけの地位ではない、魔術師組合の組長は、その権限で、組員を使い走りに出来るのだ。
今が、そのときだと。
自分が大変な目にあう。そうなる前に、生け
焦る組長さんを見て、お師匠様と言う老婆は、とてもにこやかだった。
「はっ、はっ、はっ………そんな気使いはいらんさ。噂は自然と集まり、事も回りだすもんだ。わしらは、その様子を、のんびりと見ておればええんだなぁ~」
事件は、自然と解決する。
それも、意図しない方法で、意図しないときに解決するのだと。だから面白いと、ミイラ様は
組長さんとしては、その、意図しない“何か”という出来事が、大変心配で、大変だとあわてているのだ。
もちろん、ここで取り乱すことも出来ない。命が惜しいからである
それに、お師匠様は、こうも言っているのだ。
上にいる自分達は、その出来事を、あわてることなく見つめていなければならないと。
それを、運任せという。
あと一歩で、運がなかった。そうしたときに動けるように、あわてるなと………ここまで思い至り、組長さんの顔色は、悪くなる。
あぁ、自分が苦労するのだ――と、理解した瞬間だった。
では、いったいどのような苦労をさせられるのか。
組長さんの脳内では、町を混乱に陥れる大魔王の後始末をする自分の姿が、早速涙を誘う。
「そ、そういえば、お師匠様の今のお弟子さん達は………」
すでに、報告が上がっている。
都市伝説が実在したという証言を思い出し、またも、シワが刻まれる予感がしていた。
夜な夜な、空を歩く老婆とは、目の前のミイラ様だ。
そのほかに、しゃべる犬や、突如として森に現れた丸太小屋と、不思議な住人の噂の正体もまた、ミイラ様関係だ。
ならば、わざわざお越しの理由も、自然と分かるというものだ。
弟子たちが、暴れると。
「………ったく、せっかく宝石の方からやってきてくれたのに、手を振って見送ったんだとよ、そろいもそろって………本当に、面白い事が続くもんだなぁ~」
怒っていらっしゃるのか、困っていらっしゃるのか………
組長さんは、ミイラ様のご機嫌を、良く承知していた。
楽しんでいると。
後始末をするのは、今の魔術師組合の組長である、自分なのだ。ならば、巻き起こされる騒動を、雲の上からのんびりと見つめて、楽しむおつもりなのだ。
事前に忠告を与えるほどの、何かが………
「お………お師匠様は、参加なさりませんよ………ね?」
いやな予感が、目の前にいた。
楽しい出来事を、ただ、見つめているだけのミイラ様なのだろうか。つい、手を出して、事を大きくして楽しむつもりではないのだろうか。
物事は、なるべくして収まると、笑って口にする御仁である。なら、大事にして、一気に全てを解決させようと言う楽しみを思いつかないと、誰が言える。
ドラゴン様と、長く付き合うことの出来る、数少ない一人なのだ。ドラゴンは、イタズラ好きでも知られており………国を震えさせる。
いやな予感が、加速していた。
「ん~………いくつになっても、祭りは楽しみだからなぁ、血が沸き、肉が踊る………年寄りといっても、たまには運動をせんと………なぁ?」
ミイラ様は、とってもいい笑顔で、笑っていた。
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