第12話 ねずみさんと、ドブネズミたち


 いつか、本で読んだことがあった。

 生前の、ネズリーの記憶なのだろう。ねずみが主人公の、子供向けの絵本だったと、ねずみは記憶していた。

 そう、悪いたくらみを、ねずみたちが粉砕するという物語だ。じゅうたんのように、地面をめ尽くすねずみの大群が、悪いやつらを乗せたまま王様の下へと、連れて行く。

 なんだか、出来そうだ。


「ちゅ~、ちゅ、ちゅ~、ちゅう、ちゅっ!ちゅ~っ!」


 目の前には、ドブネズミの方々がいらっしゃった。

 猫より大きいかもしれない、もふもふの軍勢であった。彼らが仲間になってくれれば、銀行強盗ごときは物の数ではない。彼らのまり場に心当たりがあったねずみは、首班らしき古びた赤いチョッキの男の行方を見極めると、ここへ一直線に向かったのだ。

 そして、演説をぶっていた。

 この町の残飯をいただいている身分であれば、共に戦おうと。


「ちゅ~っ!………ちゅう、ちゅうっ、ちゅ~っ!」


 なお、全て鳴き声である。

 演説をしつつ、ねずみは通じていないのではと、思い始めていた。そして、彼らの言葉を、そもそも自分は理解しているのだろうかと。

 快、不快。

 敵、仲間。

 エサ、毒。

 そして、警告。

 鳴き声はそうした、単純な符号を表すに過ぎない。加えて、ねずみは生来のねずみではない。それが理由かもしれないが、ドブネズミの方々の言葉は理解できていなかった。

 それは、こちらの言葉が相手に伝わっていないということであり………


「「「「「キ~、キギ~っ」」」」」


 ねずみは、駆け出した。

 敵意を向けられた。それだけは、かろうじて理解したからだ。演説が疎ましかったのだろうか、ともかくも、こちらをにらんで突撃してくれば、逃げるしかない。


「ちゅ~、ちゅ~、ちゅ~っ」


 ねずみは振り向きざまに、最後の説得を試みた。

 話せば分かる。話せば分かると、鳴き声をあげていた。

 もう、命乞いだ。

 もちろん、通じる保障はない。

 そして、通じたとしても、相手が許容する保障もない。

 食うか、食われるか。

 それが、唯一のルール。


「「「「「キ~、キ~、キギ~」」」」」


 大群が、もうそこにいる。

 百匹近くの、猫より大きなもふもふの軍勢が殺到してくるのだ。本当に、この軍勢を引き連れて銀行強盗の現場に登場したかった。


「ちゅ………っ!」


 ねずみは、断念する。

 だめだと。

 野生のねずみが、都合よく強盗犯人だけを攻撃するはずがない。むしろ、弱っている人物をエサとする恐れがある。

 いいや、そもそも………


「「「「「キ~っ、キ~、ギキ~っ!」」」」」


 殺到した大群が、恨めしそうにねずみを見上げていた。

 ねずみとはかなり距離があるが、その距離はもう、詰められる心配がない。ねずみは安全地帯へと、逃げ延びていた。

 そう、安全地帯だ。

 並みのねずみにとっては、どうすることも出来ない結界なのだ。

 まじないには、そもそも近づけないのだった。

 ねずみは、ホット息をつく。まじないを避ける術を知っていてよかったと、生前の自分の、ネズリーの知識に感謝をしていた。

 足元を、見つめていた。

 呪文が記されている、小石があった。

 微妙な香りも漂っている気もする、長く薬品に漬け込んでいたのか、錯覚さっかくなのかは分からない。ともかく、無意識で何かを念じたおかげで、忌避感きひかんがすさまじいこの匂いからくる頭痛を防ぎ、平然としていられるのだ。


「ちゅ~、ちゅ、ちゅ~っ!」


 ねずみは、まじないの石を置きなおしてから立ち去った。

 こういった知識は残っているものだと、ねずみは今朝方の夢を思い出していた。生前の記憶、魔法使いネズリーの記憶だ。

 古い魔法の本を高らかに掲げた少年は、ネズリー・チューターと名乗っていた。ねずみに生まれ変わっても、ある程度の知識を持っているあたりは有利とも言えるが、それだけだ。せめて、言葉を相手に魔法くらいは使えればと、思わないでもない。あの、古びた赤いチョッキの若者が怪しいと、誰かに告げることが出来たのにと。居場所はもう、分かっているのにと。

 ねずみは深く、深くため息をついた。


「ちゅ~………」


 あきらめの、ため息であった。



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