第10話 お昼時。銀行強盗の、その裏で


 ねずみは、巨大なレンガの壁を見上げていた。

 ある場所では滝のように水が流れ落ち、隣では炎が赤々と熱気をあげていた。

 驚くべきは、芋の山であった。

 百や二百どころではない、山と詰まれた芋の背後では、さらに袋詰めのいもたちがひかえている。

 ここは庶民しょみんの味方、大衆食堂の厨房であった。


「おぉ~い、あと二人前、卵とチーズセットなぁ~」

「こっちはぶつ切り、ネギ抜きっ」

「こっちはバターノーマル、三つだ」


 威勢良く、厨房独特の緊張感と、あわただしさが怒鳴りあっている。おかげで、ねずみがチョロチョロと走り回っても、気付かれることがない。ネズリーと言うねずみは、安全なお屋敷を飛び出し、ニセガネ事件の調査のため、町に足を踏み出したのだった。

 勢い任せの、その場の勢いは大切だ。気付けばおいしそうなにおいに釣られて、ここにいた。

 様々な人が集まる場所なので、聞き取りにはちょうど言いと、名探偵を気取りながら。


「おい、いもって残りいくつだ」

「聞くな、あの山がなくなる頃には、新しい山が追加されるさ」

「ごらぁ、口よりも手を動かせ、手をっ――………なぁ、びびった?」

「似てねぇよ。声変わり終わってからにしろ、ガキが」

「てめぇもな」


 若者達は、退屈な作業にうんざり気味だ。

 半数は声変わり前のようだ、土まみれの芋の山が、たちまちにタワシの洗礼を受ける。十歳から十五歳までの少年達が、ごしごし、ショリショリ汚れを落とし、皮を剥いていた。

 ねずみは影から、影へとちょろちょろと進む。さもなくば、芋と間違えられて、タワシの洗礼を受けかねない。

 あるいは煮えたぎるお湯にぶち込まれるなど、最悪だ。いや、いもの山は、グラグラ煮えたぎるお湯に浮かんでいるのではない。その上にあるのだ。

 蒸されているのだ。

 その後、荒くぶつ切りにされ、油によって焦げ目と言う極上の風味と歯ごたえを会得する。

 香辛料は無論のこと、さらには野菜、肉の破片と合流し、山盛りに皿に盛られて客の元へと向かうのだ。このトッピングだけで何十種類もあり、客の注文に応じて増量や、追加のトッピング、あるいは薬味の割愛など、バリエーションは正に無限。

 男の声よりもたくましい、オバチャンの声が響いた。


「おら、上がったよ。とっとと持ってきなっ」

「「あいさ~、お上さん」」


 おばちゃんが、厨房の支配者のようだ。

 その肩幅は、やわな男の三倍はあるだろう、巨大なフライパンを複数、同時に操っていた。全てのメニューが頭にあるだけでは、到底追いつけない達人の域である。さらに次々と料理を盛り付け、給仕たちに命じる。

 給仕も、もちろん達人だ。山盛りに料理が載られた皿を四つ、八つと言う単位で運ぶのだ。大衆食堂の従業員は、誰もが達人であった。

 そんな達人の合間をって、ねずみは客でにぎわうテーブルの影に身を隠した。

 そして、おこぼれがないものかと目を光らせていると、どこかでかいだ匂いがあった。

 独特の、ニセガネをかじったときの匂いであった。

 忘れるはずのない、どこから漂ってくるのかと、再び人々の足の大群をって、踏み潰されないようにと、ちょろちょろ机の下へと移動する。

 二人組みが、座っていた。


「はぁ………大衆食堂と言うだけあって、このボリューム………すさまじいな」

「少しでもお食べなさい。これから忙しくなるのですから」


 匂いをたどると、妙に気取った若者がいた。

 それは哀愁漂う、ボロボロのお姿だ。誰かのお下がりだろうか、百年ものと言われても納得の、くすんだ赤の下地に、金色だったのだろう金糸で植物の模様が施されたチョッキの若者だった。隣は執事だろう服装の、執事だった。

 ねずみは会話を拾うついでに、まだ湯気が漂っている、こぼれた芋の欠片を拾った。

 やはりいもは、油でげたものに限る。


 カリカリ、ホクホクホク………


 と、食べる手が止まった。


「本当に、食べる前から食欲のそそる話題だよ。銀行の下水から――など、誰が思うだろうな。俺だって、思ってなかったさ………」


 ねずみは、静かに見上げる。


「先日下見に言った者など、ねずみになった気分だと、口をこぼしていましたよ」


 ねずみは、ここにいた。

 足元注意を払っていないだけでなく、周りにも注意を払っていないらしい。怪しい二人組みは、堂々と話していた。

 誰かの耳に入ったとしても、本気に取るわけもない。あらかじめ怪しいやつらだと、めぼしをつけていなければ、気にすることなどありはしない。

 騒ぎが起こったのならば、なおさらだ。

 店の前の石畳で、にわかに騒がしくなっていた。


「強盗だ、銀行強盗だっ」


 けたたましく、店の扉が開かれたと思えば、ご近所の若者が大慌てで店の扉をくぐった。

 すぐに二人、三人と後ろに到着すると、口々に、状況を知らせてきた。


「仮面をかぶって、なんか、火薬まで用意してるとか」

「今、詰め所から、兵たちが出るところだ」


 あわててかけてきたのだろう、騒ぎを知らせた男の息が荒い。話す内容も支離滅裂だが、それでも、伝わるべきことは伝わった。

 銀行強盗だ。

 それだけで十分だと、客達が皿を手に手に店の入り口から顔をのぞかせると、ちょうど隣の警備兵詰め所から、兵士達があわただしく駆け出すところであった。


「あれ、鎧の後ろのやつら、なんで裸足なんだ?」

「靴を履くのを忘れるほど、あわてたのか?」

「いや、爆薬をばら撒いたって、金属がこすれあっちゃ、まずいってよ」


 冷静に食事を続ける者も、この会話に耳をそばだてているに違いない。それは、ねずみの頭上の怪しい二人組みも同じはずなのだが――


「ではフレッド様、行きましょうか、下水へ」

「そうだな、下水へいくか………はぁ」


 執事が命じ、主は仕方ないというように、つき従う。どこかやりたくないが、仕方ないという印象が強い。

 食欲がわかなかったのも、無理はない。あぁ、もったいないと、肉の切れ端までトッピングされているではないかと、しばし机の上を見つめる。

 しかし、ねずみは理解した。この銀行強盗事件にも、二人が関わっていると。事件が始まったタイミングを、いや、事件が起こるのを、ここで待っていたのだと。

 ねずみは名探偵を気取り、ちゅ~っ――と、鳴き声を上げた。

 謎は、全てつながったと。


「………ちゅ………」


 だが、ねずみだ。

 犯人の行方を追いかけて、それだけで終わってしまう。古びた赤いチョッキの若者、フレッドのあとを追いつつ、ねずみはどうすべきかと考える。


「ちゅ………っ」


 小さく鳴き声を上げると、そのままお髭を探偵のように大げさにさする。

 向かいの通りの銀行は、すぐそこだ。それならば犯人を見失うことはないと、先手を打つ手段を思いついたのだ。


 タタタタタ――


 ねずみは、排水溝へと一直線に向かった。

 仲間を、集めねばと。



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