お散歩論

そのぴお

お散歩論

今日こそは散歩に行くと決意した。

グレーのパーカーにだぼだぼのスウェットという、やや野暮やぼったい服装で冬の夜に挑もうと思う。

ポケットに文庫本を忍ばせて、準備は万端。

さて、いざ行こう。とするものの、玄関の前で立ち止まる。

くるくると同じ所を周回しながら懊悩するのだ。

外は病的なまでに寒いことは明白であり、わざわざ外に出て歩く必要などないのではないか。

そんなことばかり考えてしまう。

薄闇の玄関が、立ち止まる自分を漸進ぜんしん的に億劫おっくうな気持ちにさせる。

しかし、それに匹敵するほど、自宅に留まり続けたくないのだ。

原因は日々の生活の送り方に問題がある。

朝、下宿先を出て大学へ出発し、つまらない授業を受け、帰ってきては暇を弄ぶ。

意味もなく部屋で時間を空費し続ける事に辟易へきえきしている。

こんな所にはもう居てられない。

それでも絶えず脳内で生産されるのは、いかなる理由で、自分を冬の夜に挑ませないかばかり。

留まるのにも不安はあるが、この状況を覆そうと思えるほど、自らの腰が軽くはないことを、毎度この薄闇の玄関で思い知らされる。

実を云うと、これはいつもの事で、この調子で外へ散歩をしに行ったことは、一度も無い。

みっともないと思うだろうか、しかし考えても見てほしい。

外は寒いのだ。

冬であることはもちろん、夜という追加要素も付け加えられては太刀打ちできない。

人は冬に立ち向かうように設計されてなどいないのだ。

そもそも散歩になど行かなくても、、、

自分は悪くない。自分は悪くない。

しかたなく自宅で本を読むことにした。


先日図書館で借りた本なのだが、これが何とも前衛的な作品で、

主人公が中世ヨーロッパの少年で、冒険家を目指しているのだ。

大船を手に入れ、大海を駆け回り、まだ見た事もない島を発見する。

夢にまで見るその絶景は、少年の心をどれだけ震わせただろうか。

目には空と海が、耳には潮騒しおさいが。

中世の大航海時代を思わせる世界観は、実に開放的で、心地良い小説だと思っていた。

しかし少年はある出来事に遭遇する。

少年のいる港町に、ぼろぼろに壊れて、今にも沈みそうな大船が漂着した。

乗員はほとんど傷人であった。

聞けばその船は名のある冒険家の船で、遠い海の無人島に上陸したところ、

運悪く、対岸に滞在していた、海賊の一味に遭遇してしまったらしい。

何とか船を出すことには成功したが、その後大海の真ん中で攻撃を受け続けた。

暮れても明けても逃げ回った挙句、この港に辿り着いたという。

なんとも災難な冒険家達を目の当たりにした少年は、怖気づいて、萎靡いび消沈。

彼は現実の厳しさを押しつけられたのだ。

以降、冒険家になりたいなどわなくなった。

少年は大人しく、親の家業である漁師を引き継ぐことになり、

夢を描いていた頃の自分に嘲笑を浴びせながら、日々働いていくという物語だ。

何とも形容しがたい作品である。

しかし、少年は冒険家になるべきであっただろう。

挑戦とは危険な事である。

挑戦しなければ今を変えることはできない。

今のままでは何かを成すことも叶わないだろう。

人生とは往々にしてこのように切り開いて然るべきなのだ!

環境に原因が在ると思わず、自分に原因が在ると思わなければならん。

その時、自分の胸にグサリと何かが刺さるような感覚があったが、反芻はんすうすることはなかった。



散歩もできないまま、月日は無情にも過ぎてゆく。

大学生になってから二回目の正月を迎えることになる。

特に用事があるわけではないが、こんな時にしか顔を出す機会がないので、

仕方なく両親と弟のいる実家へ帰省することにした。

大阪にある下宿先から新幹線で東京まで、約三時間。

ちょっとした放浪人の気分を味わいながら、一人でとぼとぼ歩くのであった。

松尾芭蕉はこんな気持ちであったのだろうかと、思いを馳せながらたらたらと歩く。

いっそのこと詩でも詠ってやろうかと考えたが、適当な言葉が見つからなかったため断念した。

みじめな自分に酔いしれるのも悪くない。

新幹線にまで辿り着いた。

先ほどまでの妄想とは裏腹に、突然目の前に現れた文明の力が、

放浪人気分に酔いしれていた自分を、これ又無情にもぶち壊すのだ。

新幹線は恣意しい的な判断をした。

ドアの前に立って、新幹線が犯した過ちの事を考え、

いぶかしげな顔をするだけで、大人しく車両に乗り込んだ。

狭いドアを潜り抜け、座席を探し始めた。

深く気を落としている自分の耳に、突然怒号どごうが飛びかかった。

唐突だったので驚嘆きょうたんしたが、考える間もなく、声の方向に目を向けた。

そこには頭のおかしいババアが在った。

ババアはこちらを見ながらひたすらに、罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせてきた。

おそらく気がふれているのだろうと、納得し、こちらから反論することはなかった。

しばらくして、駅員と思われる男が、申し訳なさそうにこちら見ながら、頭のおかしいババアを回収した。

後で聞くと、そのババアは有名な老害であったらしい。

そんなものに出くわすとは、実に不運。ついてない。ふざけんな。

後になってから、頭にキテしまい、独りで悶々と怒髪天どはつてんいていた。

自分は被害者。自分は被害者。

それにしても新幹線の中は暇なので、可哀想な自分を慰めるために、スマートフォンを取り出して、動画サイトでも閲覧して、暇を弄ぶことにした。


とあるテレビ放送局から送られてくる、集金人と名乗る刺客を撃退する動画に、最近はもっぱら夢中である。

投稿者は自宅のチャイムが鳴り響くと同時にカメラを構え、

そのまま玄関に出て、刺客に応対し、カメラでその顔を映して威嚇するというなんとも痛快な動画で、

現代の喧嘩は殴り合いではなく、この様な形に進化したのだと感心している。

一つの動画を紹介しよう。

そこでは、カメラで写しても強気な刺客が撮影されていた。

刺客曰く、この集金は法律で定められていると豪語。

しかし投稿者はこれに反発。

その法律は最高裁により取り消された!これまた豪語。

二人はこの大いなる矛盾をめぐり、叫び合う。

醜い言い争いは続き、暫くして投稿者は切り札を出すように、ある弁護士に連絡すると発言。

すると刺客の口数は逓減ていげんの一途をたどり、

鬱屈うっくつした様子でその場を去ってゆくのだ。

その弁護士はこの集金人を撃退するプロフェッショナルであったらしい。

見事に投稿者の圧勝でその動画は静かに幕を下ろした。

これを見る視聴者の殆どは、刺客に対して罵倒を浴びせるだろう。

確かに痛快ではあるが、これは明らかなプロパガンダである。

無論、投稿した内容は投稿者の優位な情報しか存在しない。

端から投稿者の勝ち戦でしかないのだ。

これはフェアじゃない。

争いにおいて、どちらが被害者で、どちらが加害者かを重要視するのは、

いささか迷妄の渦の中と云えよう。

争いというのは両方が加害者なのだ!

しかし双方はその逆で、互いに被害者だと妄信している。

人は認め合わなければならない。

相手の美点。

自らの欠点。

互いに考えず、自らの美点と、相手の欠点を押しつけ合うからこそ、争いはその姿を隠さないのだ。

そうしなければ、どうしても避けようのない理不尽に対して、人はどうやって抗うというのか。

くして、争う人は自らが被害者であるという迷妄を破らねばならん。

その時、また自分の胸にグサリと何かが刺さるような感覚があったが、反芻することはなかった。


東京に到着し、家族と再会し、実家でゆるりとくつろいでいた。

暇を持て余していた私のもとに、中学時代の友人からの連絡がきた。

何かと思えば、飲みの誘いだった。

自分では忘れていたが、近々成人式がある。

その前祝いにフライング気味に小さな同窓会をしようという事らしい。

勿論行くことにした。


「おう!久しぶりだなー」

待ち合わせ場所で待っていると、その旧友は現れた。

「変わってねーな」

「いやいや変わっただろ」

旧友に再会し久闊きゅうかつじょした自分は、

懐かしさと、少しの照れくささが相まっていた。

その後も、続々と懐かしいやつらが顔を出してきた。

中には働いている奴もいれば、自分と同じで学生のやつもいた。

みんなそれぞれの人生を歩んでいるが、今は同じ時間に、同じ場所にいる。

不思議な感覚だが、とても心地よかった。

話している内に、今の怠惰な日常とは裏腹な、あの頃の記憶が甦ってきて、

まるでタイムスリップしたみたいな感覚だった。

酒を飲みながら語り合い、たくさん笑った。

懐かしい中学時代の思い出を共有した。

野郎しかいなかったが、自分の心は潤っている。

忘れかけていたものが、蘇ってくる


真夜中まで飲み歩いた一行は、ほぼ全員酔っ払ったところで解散した。


目が覚めると実家のベッドに居た。

初めてこんなになるまで飲んだので、とても気分が悪かったが、

楽しい記憶がこれを緩和してくれたと思う。

しかし体の調子がすぐれない事に変わりないので、外の空気を吸いに行った。

間の抜けきった私は、気づけばぶらぶらと散歩をしていた。

その日は終日、散歩をしながら思索に耽っていた。


人は時に他人のせいにしたり、騙したり、争ったりする。

人には醜い部分がたくさんある。

それはどんな人にもある。

それがない人はいない。

もし貴方がそのような聖人が存在すると云うのならば、

それは貴方がその人の事を知らないだけだ。

しかし、問題ない。

問題なのは醜いことではなく、醜さを認めないことだ。

現代の人は他の動物のように、生存競争も強いられない、食べ物もすぐに手に入る。

旧友と会い、酒を飲み、語り合い笑う。

他にもたくさん、人生を楽しくできる選択肢を、人はたくさん持っている。

それで十分だろう。

他に何が欲しい。






「ふぅーー、書いたで。どう?この文」

「いや、知らんがな。興味ないわ」

「つれへんやつやなー」

「だいたい、お前が人間を語るな」

「そんなこと言わんでええがな。考えることに意味があんねん」

「てか、なんでお前関西弁やねん、東京出身やろ」

「なんでって言われてもなぁ。だってこの方がおもろいやろ」

「なんやねんそれ、もうええわ」

「「どうも、ありがとうございましたー」」


歓声と共に拍手が鳴り響き、我々は舞台裏に小走りで戻る。


「めっちゃうけてたでー!、ちょっと終盤はよう分からんかったけど」

「いやいや、おかげさまで。今回はやりすぎましたかね」

「ええと思うで!お前達らしいわ」

「それもそうですけど先輩もこの後笑いとって、会場盛り上げて下さいよー」

「誰に言うとんねん、任せとけ!」


劇場の観客は日々の生活を忘れて笑っている。

現実逃避にも見えるこの行動は一見醜いが、それでいい。

彼らは楽しんでいる、笑っている。

私はを生み出し続けたいと思う。

誰かのために



今日こそは散歩に行くと決意した。

グレーのパーカーにだぼだぼのスウェットという、やや野暮ったい服装で冬の朝に挑もうと思う。

ポケットに文庫本を忍ばせて、準備は万端。

さて、いざ行こう。とするものの、玄関の前で立ち止まる。


「ちょっとー、どこに行こうとしてんの。こうちゃんのおむつ替えてあげてよ」

「あ、あー、忘れてた。はははー」

「はははー、じゃない。早くして、わたしは洗濯物干すから」

「はい」


「はーい、こうちゃんおむつ替えますよー」

「ばーぶぶー」

「よしよし、こうちゃん良い子ですねー」

「その後は洗い物をおねがーい」

「はい」


ぐるぐると同じような生活だが、今はやけに幸せだ。

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