邪魔

大塚

第1話

 大学一年生の時でした。幼馴染のミドリちゃんとふたりしてノリで入ったオカルト研究会で、夏休みに心霊スポットを見に行って何かに取り憑かれました。メンバーは私とミドリちゃん、それに二年生の佐々木先輩で女子3人、三年生で会長の代々木よよぎ先輩とわたしたちと同じ一年生の梶雄也かじ・ゆうや内海誠司うちみ・せいじで男子3人、合計6人で行きました。代々木先輩が運転するハイエースで東京を出て片道1時間とちょっとぐらい。ネットとかで調べればすぐ出てくると思います。なんか、ほとんど平地の城跡の近くに唐突に祠があって、ていうかその祠が見る人によってはあったりなかったりして、見える人には見える、見えない人には見えない、そういうスポット……。


 結論から言うと、ミドリちゃんと佐々木先輩、梶と内海は見える人だったんです。見えるというか、周波数が合うというか、とにかくその『存在しないはず』の祠を察知してしまって、それで取り憑かれた。所謂……狐憑きっていうんですか? わたし初めて見ました。最初はミドリちゃん、次に佐々木先輩、それから梶と内海、どんどん様子がおかしくなって、白目剥いて、口から泡吹いて、訳分かんないこと口走るようになって……午前2時ぐらいでした。祠があるらしいという場所に近いホテルに部屋を取って、その時間に合わせて歩いて行ったんです。今思うと馬鹿ですよね。丑三つ時に合わせようだなんて。

 わたしは、取り憑かれなかったんです。というか祠も見えなかった。わたしには才能がなかったんだと思います。……ううん。それだけじゃないんです、本当は。


 代々木先輩とわたしで暴れる4人をどうにか抑え込んで、警察と救急車を呼びました。警察の人にも救急車の人にもめちゃくちゃ怒られました。そりゃそうですよね。土地の人はよっぽど何か用事がなければ誰もここには近寄らないそうです。こんな時間には特に。それで4人は病院に収容されて、わたしと代々木先輩は真夜中の市立病院の待合室に取り残されました。病院の中はこんな時間とは思えないほどの阿鼻叫喚の大騒ぎで、わたしたちに構ってる暇なんてないって感じでした。

 怖かったです。ミドリちゃんたちが何に取り憑かれたのかも分からなかったし、どうすれば元に戻るのかも分からなかったし。わたしの肩を抱く代々木先輩が正直鬱陶しかったです。なんでこの人こんなににやにやしてるんだろうって思ってました。


 明け方でした。事件が起きてから4時間とちょっとが経ってました。夏だったので、病院の正面玄関から朝日が差し込んできているのが分かりました。自動ドアが開いて喪服の男の人が入って来ました。病院の人と警察の人がその人の登場を待ち侘びていたかのように駆け寄って行きます。その喪服の男性の後ろに、番犬のように長身の男性が立っていました。私たちの知ってる人でした。

市岡いちおかじゃねえか」

 代々木先輩が呟きました。二年生の先輩です。市岡ヒサシ先輩。190センチ近い長身にモデルさんみたいな綺麗な顔、学部的にもサークルでも一切絡みのない有名人で、授業に出ているところは見たことがありませんでした。噂によると、夜は歌舞伎町でホストのアルバイトをしているらしいです。その市岡先輩が、なぜ。

「あ、代々木さん。そっちは一年生の……誰だっけ?」

「なにヒサシ、知り合い?」

「いっしょの大学のひとー。ねえ、誰だっけきみ?」

 市岡先輩がわたしのことを知らないのは別にどっちでもいいのです。先輩は見た目の華やかさひとつ取っても圧倒的な有名人ですが、わたしはただの一年坊なのですから。

「……谷敷やしきです」

 市岡先輩だけではなく喪服の男性もじっとこちらを見詰めているので、ちいさく名乗りました。谷敷ノリコ。わたしの名前。

「無事でよかったね」

 喪服の男性が言って、わたしの肩をポンと叩きました。

「良かったねえ! じゃああとでね!」

 市岡先輩も朝6時とは思えないような元気いっぱいの声と笑顔で言い放ち、喪服の男性が触れたのとは反対側の肩を叩き、それからふたりでエレベーターに乗り込み、ミドリちゃんたちが収容されている病室がある3階へと消えて行きました。


 代々木先輩の様子がおかしくなったのはそれからすぐのことです。ミドリちゃんたちとは違うおかしくなり方でした。両方の目がめちゃくちゃ血走り、夏だからという理由では片付かないほどに全身に汗をかき、奥歯をガチガチ鳴らしながらひび割れた声で呪詛のようなものを口走り始めたのです。

「………くも…………を冠する…………我………………」

 何がなんだか分かりません。逃げ出したかったのですが、体が動きませんでした。

「つ……ね……………狐………………!!」

 きつね、と叫びながら代々木先輩がわたしの左腕を掴みました。すごい力でした。変な感想かもしれませんが、わたしはこのまま代々木先輩に犯されるのだと思いました。そんな勢いだったんです。

 そこに、非常階段に通じる鉄の扉を蹴り開けて市岡先輩が飛び込んできました。そうして、

「邪魔!」

 と大声で言い放った彼の長い脚が、重たげな黒革のブーツのつま先が代々木先輩の顎を蹴り上げました。

 代々木先輩はもんどり打って待合室のベンチから転げ落ち、それから冷たいリノリウムの床の上で白目を剥き、口から泡を吹き……ミドリちゃんたちと同じ症状で暴れ始めたのです。

 呆気に取られるわたしをベンチから立ち上がらせ、「ちょっと離れててね」と市岡先輩はにこりと笑いました。

 それから市岡先輩は、一瞬の躊躇もなく代々木先輩の局部に踵を落としました。とても嫌な音がしました。


 あとから聞いた話です。喪服の男性はオカルト界隈ではとても有名な稲荷神社出身のお祓いの才能を持った人で、市岡先輩の実のお兄さんなのだそうです。私たちが祠の周りで騒ぎを起こしていた丁度その頃同じ市内でお葬式に参列していたそうで、警察の方から連絡を受けて病院に駆け付けてくれたそうです。ミドリちゃんたち4人は喪服の男性のお祓いで正気を取り戻しました。

 代々木先輩は、というと。

「谷敷さんさ、あいつからなんか貰わなかった?」

 完全に気を失った代々木先輩を跨いで私の方に近付いてきた市岡先輩が問いました。私は肯き、ポケットからお守り袋を取り出しました。祠に行く直前に代々木先輩から渡されたものでした。「谷敷ちゃんには何かあったら困るから」と微妙なウインクをされたのを覚えています。

「あいつね、代々木さん、なんか分からんもんと契約しててね」

「契約、ですか……?」

「神様? 仏様? 悪魔かな、まあ俺には良く分からんけどね。とにかくそれの力であいつは祠の影響を受けなかった。あいつと、谷敷さんは」

「え、じゃあ、わたしは」

「大丈夫。これは俺が片付けちゃう」

 市岡先輩はお守り袋を開けて、中から何か……砂のような骨のような、赤黒く焼けた物体を大きく広げた手の上に乗せました。霊感的なものがまったくないわたしにも分かる妙な気配を持つそれに、市岡先輩は。

「邪魔! 帰れ!!」

 怒鳴ったその瞬間、彼の手の上にあった『モノ』はすべて消え失せました。


 以上がわたしがオカルト研究会で経験した唯一の心霊体験の一部始終です。

 研究会は自然消滅のような形で解散になりました。代々木先輩は大学を辞めました。市岡先輩も、気が付いたら校内から姿を消していました。

 なぜいまこんな話をしているかというと、先日SNSで、⚪︎⚪︎教という宗教団体が感染症のどさくさに紛れて派手な布教活動を行っているから気をつけた方がいいという注意喚起の文章が回ってきて、添付されていた写真にうつっていた『教祖様』が代々木先輩だったことで昔の思い出が蘇ってきたんです。調べてみたら、⚪︎⚪︎教っていうのはずいぶん昔からある宗教で、決して怪しい新興宗教というわけではなく……でも代々木先輩の代になってからおかしく……分かります、どういうことか、これ。


 わたし考えたんです、あの時代々木先輩が渡してくれたお守りは本物だったんじゃないかって。でも市岡先輩の「邪魔!」の方が強くて、市岡先輩は……んじゃ、ないかって。

 本当のことは何も分からないんです。市岡先輩とも喪服姿のお兄さんにもあれから二度と会ってないですし。だから、何も分からないんです。

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