不死の友人
八川克也
不死の友人
夫が会社から車で帰ってきて、駐車場で待っていた私は急いで乗り込んだ。すぐに出発する。
「電話だとよく分からなかったんだけど」
と、私は運転席の夫に聞く。
「誰が入院したの? お友達? 事故?」
「ああ、この間、遊びに行った友達だよ」
私はちょっと考えて思い出す。数週間前、確かに古い友達に会いに行くと言っていた。
ハンドルを切りながら夫が続ける。
「病院は港区の長谷川総合病院だ、結構かかるから、その間に話す」
車は信号で止まる。夫はイライラというよりは、どこか不安そうな感じがする。
「まず先に、今の状況だ。友達の飯山が事故にあって入院した。重体で、意識がない。集中治療室にいる」
「うん」
「もちろん親にも連絡が行ってるんだが、同時に僕のところにも来た。だから病院に向かってる」
「あなたにも? なぜ?」
「心当たりはある。だけど、こんなことを話して意味があるのかどうか」
夫は少し口をつぐむ。眉根を寄せて、何かを考えているようだ。
「キミは——不死の人間というものを信じるかい」
「不死? 死なないってこと?」
「そう——いや、順を追って話そう、そうしないと意味が分からない」
信号が青になって車が走り出す。
「彼と知り合ったのは大学だ。三年生の時に、突然サークルに入りたいと言い出してね」
*
「それにしても、途中から、しかも三年になってから入ってくるなんて珍しいよな」
半年も過ぎたころ、僕は飯山とそれなりに仲も良くなっており、その日は喫茶店で時間をつぶしていた。
「まあね」
「急にSF研究会に入ろうだなんて、何かあったのか」
僕は入部時にも聞いた質問を改めて聞く。当時はただ興味がわいたから、とだけ答えていたはずだ。
「生まれ変わり、とか、不死、とか、信じるか?」
「ん?」
突然良く分からない回答が来て、僕は飲んでいたアイスコーヒーを置いた。
「なんだって? 不死?」
「SFやオカルトではよく出てくるテーマだろ?」
「信じてるかどうか、って言えば、僕は信じてないね」
SFで言えばそういった技術はいつかの未来の届かぬ技術だし、オカルトは検証不可能な事例であってそもそも信じていない。これでも工学部、理系だ。
「俺さ、不死なんだ」
飯山はこちらをじっと見て言った。目は笑っていない。
「ふうん?」
僕は何を言っているんだ、と見返し——飯山から目を逸らせなくなった。
「ここ半年、いろんな人間を見てきたんだけど、近藤、君が良いかなと思ってね」
「何が」
「俺の次の体さ」
その眼はますます力を持ち、薄く光っているかのようにさえ見える。
「俺の不死は、肉体じゃない。魂なんだ。死んだとき、誰かの体に魂だけを移し、乗っ取るのさ。で、その体というのは生前にこいつだ、と決めておくことができる。そうしないと不慮の事故で間に合わないからな」
「そんな話」
「サークルに入る前の俺のこと、少しは周りに聞いただろ?」
俺はコクリと頷く。脂汗が出てきている。
「テニスサークルにいて……社交的。アウトドア派で面倒見もいい……」
「今の俺をどう思う」
僕はゴクリとつばを飲み込む。その面影はほとんどない。彼を知っているものの誰もが、飯山の変貌ぶりに驚いていた。テニスサークルの時付き合っていた彼女とも別れてしまったと聞いた。
「中身が変わったからな」
思考を読まれたかのように、飯山は僕の頭の中の言葉に返答する。
「飯山は、飯山が中学生の時に俺が移ると決めた体だった。それから時がたち、半年前、俺は遠くで死に、飯山の体に魂を移したというわけだ」
ポンポン、と自分のうなじを掌でたたく。まるでそこから魂が侵入したとでも言うように。
「ただ、今回の移動はあまりよくなかった。実を言うと前の体は還暦を過ぎていて、大学生でアクティブな飯山の周辺に付いていけなかったんだ。だから地味で落ち着く、こちらのサークルに移ったんだよ」
僕は無言で、というよりも、何もしゃべることができない。
「体は若いほうが良いと思ったんだが、この時代だと難しい。そういうことで、次は同級生の君が良いと思ってね。まあ四〇を過ぎたらまた若い誰かにするだろうが、それまでは君を対象にする。同じ年代を同じように生きる相手のほうが、移った時の違和感が少ないからな」
飯山は目を細める。一瞬、目の奥が光った気がした。
「今、君をロックした。次、俺が死んだらよろしく頼むよ」
「おい、よせっ!」
僕はやっとのことで目をつぶり、顔をそむけた。握った手は汗にまみれていた。
飯山はふっと吹き出し、それから腹を抱えて笑い出した。
「信じてるんじゃねーよ!」
飯山は笑いながらコーヒーのグラスを持とうとして、うまく持てずに諦めた。
「いかん、笑いすぎてグラス持てねえ。面白いだろ、こういう話。どうだ?」
「ああ……いや」
僕は額に浮いた汗をおしぼりで拭く。
「なんだよ、お前才能あるわ……」
「だいたい、黙ってロックしておけばいいだろ。なんかメリットあるか」
「いや……」
僕はやっと落ち着いて、氷が解け始めて薄くなったコーヒーを飲んだ。
「……くそ、乗り移られないように僕が先に死んでやるからな」
「おいよせ!」
二人で笑って、それからくだらないことを話してその日は終わった。
*
「もし飯山の言っていたことが本当なら、このまま死んでしまうと俺が乗っ取られることになる」
「あなた、そんなこと信じてるの?」
私はあきれて聞き返す。
「あるわけないじゃない」
「全部信じてるわけじゃない」
夫は少し言い訳するかのように答える。
「ただ、毎年の年賀状には体に気を付けるようにいつも書いてあるし、会った時は近況を事細かに聞いてくる。この間もそうだ」
「で?」
「いつでも僕に乗り移れるように準備をしている、ような気がする」
話をしているうち、いつの間にか病院に着いていた。駐車スペースに車を入れ、私と夫は車を降りる。
「いま、飯山が死にそうなことになって——わっといろんなことを思い出してる」
「まあいいわ。とにかくお見舞い、というか、様子を見に行かないと」
私たちは受付から場所を聞き、集中治療室前まで行く。覗き込むと、男性が一人、全身を包帯に巻かれ、大量のチューブが刺されている姿が見て取れた。
「飯山……」
夫は険しい表情で横たわる友人を見る。
「ご友人の方ですか」
看護師が現れ、声を掛けてきた。私たちは顔を見合わせてから頷く。
「連絡先にあったものですからお呼びしました。飯山さん、トラックと衝突したみたいで……車、お好きだったんですかね、高そうな外車がひどい有様だったそうです」
「そういえばローンでいい車買ったって言ってたな……」
この間聞いたのだろう、夫がぽつりと漏らす。
「中に入ることはできません。申し訳ありませんがこちらの長椅子で」
そこまで言ったところで、集中治療室の中があわただしくなった。今話していた看護師も、どうやら中に入るようだ。
私は夫と長椅子に腰を下ろす。
「——わざわざ僕にロックの話をしたのは、意識させるためだったのかもしれない。確かに飯山は、会うたびにこの話をネタにし、僕は近況を話した。彼は僕のことを本当に詳しく把握してると思う」
まだぶつぶつと気に病む夫を、私はなだめる。
「もう気にしないで。お友達の無事を祈りましょう」
「ああ……」
それからほんのわずか一時間だった。私は夫とともに集中治療室に招き入れられた。
「残念ですが」医師が時間を読み上げる。「ご臨終です」
「はい……」
夫は硬い表情で返事をする。それからふと自分のうなじを押さえ、呻くように友人の名を口にする。
「飯山……」
「大丈夫?」
「……ごめん、ショックで」
少し間を開けて、夫は大きく息を吐く。
ちょうどその時、飯山さんの親御さんが到着したようだった。これ以上、私たちにできることは何もない。
二、三言ご両親とお話しして、私たちは自宅へ戻ることにした。
「残念だったわね」
「……ああ」
夫は放心したようにふらふらと歩く。無理もない。大学時代からの友達が今目の前で亡くなったのだ。
駐車場で、自分たちの車にたどり着いた夫は、左側に乗り込もうとする。
「あ、そっちじゃないわ。右よ、運転席」
夫はハッと立ち止まり、困ったように私を見る。
「ああ、そうか、そうだったな。右だ」
「大丈夫? 運転できる?」
「大丈夫。覚えてる」
変な言い回し、と思いながら、私は車に乗り込む。
夫はエンジンをかけるのに手間取っていて、その間、私は窓の外を見ながら香典や喪服のことを考えていた。
不死の友人 八川克也 @yatukawa
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