第124話 【初恋編③】水族館デート


 海遊シーパラダイスというのはどうやらこの辺ではそこそこ有名な施設らしい。

 うちの家から電車で四〇分近く。

 駅から出たところから既に施設の屋根は見えている。徒歩五分といったところだろうか。


 隣に大きな観覧車もある。それだけでなくショッピングができる建物や食べ物屋さんもあるので、恋人がデートスポットに選ぶのも頷ける。


「わわ、大きいですね」


 海遊シーパラダイスの入口前まで来たところで涼凪ちゃんは驚いた声を漏らす。

 遠くから見るのと近くで見上げるのとでは感じる迫力は全然違う。確かにこうして目の前にするとその大きさがよく分かる。


「涼凪ちゃんは来たことないの?」


「そうなんですよ。だから、すごく楽しみだったんです」


 涼凪ちゃんは白のシャツ生地に黒のワンピースを重ね着したような服にブーツ。頭にはベレー帽を被っている。

 気のせいかもしれないが、化粧もいつもとは少し違うように見える。


 何というか、いつもより大人っぽく見える。


 俺は上は白シャツに黒のジャケット、下はジーンズとオーソドックスな服装だ。


 手を抜いたわけではないが、もっとおしゃれをした方がよかったかな? いや、これそもそも急な話だったし用意できなかったな。


「どうかしました?」


 俺がじっと見ていたことに気づいた涼凪ちゃんが不思議そうにこちらを見てきた。

 何となく後ろめたい気持ちに襲われた俺は咄嗟に涼凪ちゃんの首元にあるものを指差す。


「それ、珍しいもの持ってるなって思って」


「あ、これですか? ミラーレスカメラですよ」


 首にかけられているのはカメラだが、デジカメくらいのサイズだ。

 うちの母も一眼レフカメラとか使うけど、もっと大きくてごつごつしている気がする。


「デジカメみたいな?」


「デジカメよりは性能いいんですよ。どちらかというと一眼レフカメラ寄りかもですけど。レンズも変えようと思えば変えれますし」


 片手で持ち上げて俺に見せてくれる。ピンクとシルバーの可愛らしいデザインだ。

 見た目は確かにデジカメというよりは一眼レフカメラに似ている。が、よく分からん。


「お父さんが高校受かったときに買ってくれたんです」


「へー、そうなんだ」


 ということは、涼凪ちゃんが自ら欲したものってことか? 今まで手にしているところを見てこなかったから当たり前だけど、イメージないな。


「せっかくなので、写真に残そうかなって思いまして」


 まだ入ってもないのにうきうき気分の涼凪ちゃんを見ていると、何となく楽しい気持ちになるから不思議だ。


 俺達は招待券を持っているのでチケットを購入する必要はなく、そのまま入場することができた。


 日曜日ということだけあって人の数はそこそこあるが、施設自体が大きいのでそこまで気にはならない。


 入口は筒状になっており、その周りを水槽が囲んでいる。何の魚かは分からないけど、いろんな種類のカラフルな魚が泳いでいた。


「きれいですね!」


 わあー! と早々にテンションを上げる涼凪ちゃんはパシャパシャと写真を撮る。

 魚達に気を遣ってか、フラッシュを光らせていないところは何だか玄人感ある。


 そこを抜けると長い長いエスカレーターをのぼらされる。この建物、縦に長いなと思っていたが、上から下に進んでいく構造のようだ。

 上まで行くと見えてきたのはジャングルのような自然の中の景色だ。緑の木々が俺達を見下ろし、岩に流れる滝の音が心地よい。

 そこにいたのはカピバラだ。


「かわいいですよね、カピバラ」


 くにゃっと表情を歪ませながら涼凪ちゃんは言う。あの表情は嘘をついているようには見えない。本当に思っているようだ。


「そう、かな」


 あまりまじまじと見たことなかったので、この機会に見てみるとしよう。

 いや、ぶさいくだろ。

 いわゆるぶさかわいいというやつか? 俺には理解できないかわいさだ。


「そう、かな……」


「かわいいと思いますけどね。先輩はそもそも動物をかわいいと思う人ですか?」


 パシャパシャとカメラを撮りながら涼凪ちゃんが聞いてくる。


「まあ、犬とかは可愛いのもいると思うかな。うさぎとか」


「カピバラも同じ種類のかわいさだと思いますけど?」


 犬が可愛いと言ってもゴールデンレトリバーとかチワワとかその辺の犬種のことを指しているわけで、俺はブルドッグを可愛いとは思わないからな。

 フレンチブルドッグだっけか。あの小さいやつ。あれとかぶさかわいい代表だろ。可愛くないけど。


 ジャングルのエリアを抜けるとアシカやペンギンといった生き物が見えてくる。さらに進むとイルカがいた。イルカはいいよな。なんかカッコよくて。


 しかし、涼凪ちゃんはイルカはお気に召さなかったらしく、一枚二枚適当に写真を撮って次のエリアに興味を向けた。

 いいと思うけどなあ、イルカ。


 水陸を生きる生き物のエリアを超えるといよいよ大きな水槽が見えてくる。四方八方が水に囲まれているため、まるで海の中にいるような気分になる。

 海の中で遊ぶと書いて海遊。この施設の名前はそういうところから来ているのかもしれないな。


「すごい! 見てください先輩! ジンベエザメがいます! すっごい大きいですよっ!」


 きらきらと瞳を輝かせながら水槽の中を泳ぐジンベエザメを指差す。確かにめちゃくちゃ大きい。でも言われないとそれがジンベエザメとは分からなかった。


「あれジンベエザメって言うんだ」


 なので、ついそんな言葉を漏らしてしまう。


「先輩、ジンベエザメ知らなかったんですか?」


「まあ、うん、そうだね。そうとも言えるね」


 お前そんなことも知らないの? みたいな言い方されたものだから、俺もぎこちない返事になってしまう。


「ジンベエザメが見れるのはこの海遊シーパラダイスだけなんですよ? いわば、この水族館の目玉です」


「そうなんだ」


 俺はもう一度、ジンベエザメを見る。大きい体がゆったりと水槽の中を徘徊するその姿は何というか、気持ちよさそうだった。

 そうか。

 こいつはここでしかお目にかかれないのか。


「せっかくなので一緒に記念撮影しましょう」


 くいくいと手招きされたので俺は呼ばれるがままに涼凪ちゃんの隣に移動する。

 取り出したのはスマートフォンだ。ミラーレスカメラとやらでは自撮りができないのだろう。


 涼凪ちゃんは手を伸ばして角度を合わす。あとはこのアングルにジンベエザメがいい感じに入ってくれるのを待つだけなのだが。


「……まだ?」


「まだです! もうちょっといいポジションがきっとありますから!」


 写真が絡むとちょっと性格変わるな、涼凪ちゃん。結構な至近距離に涼凪ちゃんの顔があるので照れてしまう。

 でも意識して顔に出ると写真に残ったときに恥ずかしいので俺は必死に表情を作る。

 そしてようやく、ジンベエザメがベストポジションに入ってくれた。もうちょい早く空気読めや。


 パシャリ、とシャッター音がしてスマホの画面に撮れた写真が表示される。

 ジンベエザメの位置や角度、俺達との対比もいい感じだ。涼凪ちゃんめ、やりおるな。


「……ご、ごめんなさい。テンション上がっちゃって」


 写真を見て、いろいろと恥ずかしくなったのか涼凪ちゃんは顔を赤くして俯いた。


「いや、全然。むしろ、普段とは違う感じがして新鮮だよ。可愛い一面が見れたなって感じ」


「……可愛い、ですか」


 小さく、ぼそりと呟く。何を言ったのかはうまく聞き取れなかった。俺が何かを言う前に涼凪ちゃんが顔を上げる。

 一瞬見えた、陰った表情はどこにもなく、涼凪ちゃんは楽しそうに笑っていた。


「次、行きましょうか」


 そこからは中央の大きな水槽をぐるぐると回りながら下に向かっていく。その道中にも他の水槽があっていろんな生き物を見た。


 俺的に一番テンション上がったのは最後の方に配置されていたクラゲだった。

 種類によっては透明に近いくらい透けているものもいたりして、ライトに照らされて綺麗だった。


 話をしながらゆっくりと見ていると結構な時間が経っていた。魚見るだけだし一時間もいらんだろと思っていたが、意外と楽しめるもんだ。


 ショップで買い物をして、施設を出たときには夕方になっていた。

 涼凪ちゃんに誘われ、俺達は海の見えるベンチに座る。夕日に照らされて赤く染まった海はどこか幻想的に見えた。


「今日は誘ってくれてありがとうございました」


 俺が先にベンチに座り、涼凪ちゃんはぺこりと頭を下げながらそんなことを言う。

 そして、俺の隣に腰掛けた。


「私、あんまりこういうところには来なかったのですごく楽しかったです」


「喜んでもらえたならよかったよ」


「うちってほら、お父さんがいつも店番してるから家族で出掛けることって少なかったんですよね」


 そんなことを言った涼凪ちゃんの視線は夕日の方に向いていた。俺はその憂いた表情を見るのが申し訳なくて、彼女に習って前を向く。


「涼凪ちゃんちはお母さんがいないんだっけ」


 昔、少しだけ聞いた。

 確か、交通事故に遭って亡くなったんだとか。


「はい。母が死んだのは、あの店が開店して間もなくでした。私はまだ小学生になったばかりでしたけど、今でもよく覚えています。お父さんが泣いているところを初めて見たので」


 うちの父親も俺が小さいときにこの世を去っている。だから、お母さんを失った涼凪ちゃんの辛さも少しは分かる。


「すすかぜはお母さんの夢だったそうです。喫茶店を開きたいっていうお母さんの夢を叶えるためにお父さんも仕事を辞めたって言ってました。そんな矢先にそんなことがあって、多分一番辛かったのはお父さんだったと思います。悩んで、悩んで悩んで、お父さんはお店を続けることを決めました」


 ゆっくりと、当時のことを思い出すように涼凪ちゃんは話し始める。


「私の気持ちもお父さんと同じで、あのお店を続けることが私達の夢になったんです。いつか、私はあのお店を継ごうと思ってます。お母さんの夢をなくしたくないから。もちろん、義務感とかそういうのじゃなくて、あのお店が好きだからなんですけど」


 お店の名前である『すすかぜ』は、涼凪ちゃんのお母さんの名前である『涼風』から取ったという話は以前聞いたことがある。

 今はいないお母さんの夢。

 それを失いたくないという気持ちと、あのお店が大好きな気持ち。それはこれまでも、これからもきっと無くなることはないんだろう。


「もう将来のことを考えてて、涼凪ちゃんは凄いな」


 俺は目の前にある問題を後回しにして逃げてばかりいるのに、彼女は大きな壁から決して目を逸らさない。

 俺なんかより、よっぽど大人だ。


「あはは、そんなことないですよ。でも、そうですね。将来のことはちゃんと考えてます」


 きゅっと膝の上の拳を握り、涼凪ちゃんは俺の方を向いた。その眼差しがいつになく真剣で、俺は目を逸らすことができなかった。


「私、不器用なんですよ。みんなが思ってるよりずっと。二つ、三つのことを同時にできないんです。目の前のことに必死にならないと、全部失っちゃう」


 涼凪ちゃんはいつだって、何にだって真剣だった。一つのことに向き合って、全力でぶつかっていた。

 家の手伝いだってそうだし、映研の合宿でだって自分の仕事を全うしていた。文化祭でも恥ずかしそうにしながらもメイドの仕事をやり遂げていた。


「今日、私は一つだけ心に決めてきたことがあるんです」


「なに?」


 ごくり、と喉が鳴った。

 震える唇を動かしながら、涼凪ちゃんは揺れる瞳を俺に向ける。


「先輩に、私の気持ちを伝えること」


「涼凪ちゃんの、気持ち……?」


 彼女の真っ直ぐな瞳が、絞り出す震えた声が、纏う真剣な雰囲気が、何となく彼女の言わんとしていることを伝えてくる。


「私、先輩のこと、好きなんです。最初はただの先輩でしかなくて、でも一緒にいるうちに一人の男の人として、いつの間にか好きになってました」


 だから、と。

 彼女は言葉を続ける。


「私とお付き合いしてください!」


 立ち上がり。

 それでも真っ直ぐに俺の顔を見ながら、彼女はその言葉を口にした。


 俺が放つことを恐れていた、放たれることを恐れていた、その言葉を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る