第122話 【初恋編①】涼凪の決意


 しまった、と橘涼凪は直前の自分の発言を後悔した。


「え、え、どんな人?」


 涼凪は今、とある喫茶店にいる。

 久々に中学の友人から会おうという誘いがあって、たまたま時間があったので遊ぶことにした。


 ウインドウショッピングを楽しんだあとに一休みしようとこの喫茶店に入った。

 涼凪の前にはコーヒー。

 前にいるのはアユミとユウカ。黒髪ボブの大人しそうなのがアユミ。茶髪のロングのいかにも遊んでそうなのがユウカだ。


 中学時代は三人でいることが多く、ユウカに関しては黒髪だった。高校デビューというやつなのかもしれない。

 とはいえ、アユミも中学時代のまま大人しいかと言われるとそうとも言えない。


 二人とも高校に入り、彼氏ができた。惚気けているつもりはないのだろうが、どうしてもそういう話題になると自慢げに話してくる。


 少しだけ、ほんの少しだけうんざりとした気持ちになった涼凪は、二人の「涼凪はどうなの? そういう話ないの?」という疑問に対してこんなことを言った。


 言ってしまった。


「一応、私もいる、よ?」


 精一杯の見栄であった。

 涼凪の中では「えーそうなんだ」「よかったね」くらいで終わるものだと思っていた。


 二人ともさっきから自分の話をするのに必死だったからだ。こちらの事情には大して興味も抱かないだろうという考えだったのだ。


 だが。

 次の瞬間に想定外の事態へと発展した。


「涼凪の彼氏、超気になる!」


「え、え、どんな人?」


 という感じで冒頭の後悔に至る。


「なんでそんなに興味津々なの!?」


 当然、涼凪は驚く。想定外の事態に思わず声を荒らげてしまった。

 そう言うと、アユミとユウカはお互いに顔を見合わせてからニタリと笑い涼凪の方に向き直る。


「だって、ね?」


「あの涼凪の彼氏とか、気になるでしょ」


「ええー」


 つまりは、中学時代は色恋沙汰のいの字も見せなかった涼凪が高校に入って彼氏を作ったとなれば気になるということだ。


「それで、どんな人なの?」


 詰め寄られる。

 これはさっきのは冗談でした、と言える空気でもない。


 涼凪は考える。


 真実を告げられない以上は嘘を付く、という行為はこの場合必須行動である。


 しかし、嘘というのはたいていバレるものだ。よほど巧妙に創り上げない限りは。


 そして、その巧妙な嘘の付き方を涼凪は知っている。彼女は本来嘘とかそういうのをつくようなことはしない。

 ならなぜ知っているのかと言われると本で読んだとかテレビで見たとか、そんな感じだ。


 知識として知ってはいるが実演したことはない。


「えっと、先輩?」


 バレにくい嘘とは、虚構の中に真実を加えたものだ。全てが嘘だと質問が続けばボロが出てバレる。

 しかし、そこに真実があることで矛盾の発生を限りなく抑えることができる。


 今回の場合、涼凪はその架空の彼氏像に先輩である八神幸太郎を選んだ。

 幸太郎を選んだのはたまたまだが、そもそも選ぶほど他に選択肢はない。


 クラスの男子とは会話はするが仲良しと呼べるほどではない。もう一人の先輩である小樽栄達でもよかったが、そこで幸太郎を選んだのは彼女の中の無意識の好意がそうさせたのかもしれない。


「へー、年上なんだ。なんか意外」


「どこで出会ったの?」


「そんな聞いてくるの!?」


「いいから!」


 逃れられない。


「部活、かな」


 嘘ではない。

 出会い自体はそこではないが、幸太郎との日常はいつだってそこにあった。


「涼凪、部活やってたんだね」


「あれ、先輩って言えば」


 話題は部活の方に切り替わっていく、そう思ったがユウカが不穏な言葉を発した。


「涼凪、中学のときに仲のいい先輩いたよね? 確か、その先輩に勧められて同じ高校行ったんだっけ?」


 そんな、いつかどこかで話したどうでもいい会話をよく覚えていたものだ。

 二人の現在の適当な感じから、そんなことはとっくに忘れていると思っていたが、根っこの部分はそう変わらないらしい。


 そして。

 普段嘘をつかない涼凪は、図星を突かれたときについ表情に出てしまう。


 刹那。

 涼凪の前にいる二人はその僅かな動揺を見逃さない。


「え、先輩ってその先輩ってこと?」


「ええー、中学からの気持ち成就させるとか涼凪マジ主人公じゃん!」


 アユミとユウカは前のめりになってテンションを上げる。

 このとき、幸太郎を架空の彼氏として設定したことを間違いだと思った。


 しかし、もう遅い。

 さっきの一瞬の動揺を読み取られたのだ、これ以上嘘を重ねるのは危険だ。


「うん、まあ、そうなんだ」


 涼凪の肯定に二人はキャーっと女の子らしく声を上げる。


「写メは?」


「……ない、かな」


「え、彼氏なのに?」


 だって彼氏じゃないんだもん、と言いたかった。

 でも言えない。


「最近付き合ったばっかりだから。そういうのはまだ」


「あ、そうなの?」


「デートとか行ってないの?」


「ほら、最近テストとかあったし忙しくてね」


「しないの?」


「ううん、まあ、近々?」


「じゃあその時に撮ってもらえばいいか」


「そうね」


 アユミとユウカは勝手に話を進めていく。置いてきぼりの涼凪はそれを阻止することすらできなかった。


「じゃあ、次会うときに見せてもらうね?」


「楽しみだねー」


「あ、はは」


 もはや笑うことしかできなかった。

 そこでようやくその話題から解放された涼凪だった。二人と別れて家に帰る。

 もういっか、と思ったがグループメッセージで幸太郎とのツーショット写メを催促される。


 これは逃げられない。


「……はあ」


 ツーショット写メ、か。

 と涼凪は自室で寝転がりながら小さな溜め息をついた。


 写メではないが、ないことはない。

 文化祭で李依が撮ってくれたツーショットチェキだ。自分のクラスで行ったメイド喫茶で撮ったもの。


 そのチェキを手にして、じーっと眺める。


「恋人、か」


 どうしたものか、と考えているといつの間にか眠っていた。どうやらアユミとユウカからの質問ラッシュによる疲れは相当なものだったようだ。


 そんなことがあった数日後。

 涼凪はいつものようにお店の手伝いをしていた。


 あの日以降、いつでも脳内に幸太郎とのことが巡っていた。

 いつしか、彼に対して異性として好意を向けている自分がいた。


 彼の隣にいるのが心地よかった。

 他の男子には感じないその落ち着きが、恋心なのだと涼凪はハッキリ理解した。


 なら、どうする?


 いつか李依とも話したことだ。

 付き合う?

 李依のように熱烈アプローチを仕掛けれるような性格はしていない。かといって、何もしないままこの気持ちが伝わるとも思えない。


 いや。


 そもそも。


 この好意を言葉にして伝えたとして、成就するとは思えなかった。


 幸太郎は自分のことを良く思ってくれている。それは日々関わる中でひしひしと感じることだ。


 だけどそれはあくまで人として、後輩としてのものだ。


 自分に向けられるその好意と、月島結や白河明日香に向ける好意が違うことは何となく察していた。


 だから、この初恋の結末もおおかたの予想はつく。どんでん返しは起こらない。


 無駄に告白して、今の関係にヒビが入るくらいなら、この気持ちは自分の中だけに留めておいた方が幸せなのではないだろうか。


 そんなことを思う。


「あっ」


 涼凪にしては珍しく、仕事中にミスをした。手に持っていたお皿を落としてしまったのだ。

 幸い、お客さんのピークは過ぎていて、店内のお客さんはまばらにしかいなかった。


 お客さんには気にされなかったが、隣にいた父親はもちろん気づく。


「珍しいな、涼凪がミスするなんて」


「あはは、ごめんなさい」


 笑うしかなかった。

 考え事をしていたらミスをした、なんて言えないから。

 そんなことをしてしまった自分を責めるように俯くと、父は怪訝な顔をする。


「疲れてるならちゃんと休めよ。手伝ってくれるのは助かるが、だからといって自分の時間を犠牲にすることはない」


「え?」


「高校生ってのは、人生の中でも最も輝く時間なんだ。あの楽しさは、大人になってからはどう足掻いても得られない」


 何を思いながら話しているのか、父はどこか遠くを眺めながらそんなことを言った。


「お前は自分を犠牲にし過ぎるからな。やりたいことがあるんならちゃんとやれ。中途半端な気持ちで手伝ってもらっても、俺は嬉しくねえぞ?」


「……うん」


 別に店の手伝いをすることを苦痛だと思ったことはない。

 忙しいこともあるけど、お客さんが喜んでくれると自分も嬉しい。少しずつ成長していることを実感できるのも楽しい。


 なにより、このお店は母である涼風の夢そのものだ。父はその夢を継ぐことを決めて、涼凪もいつかこのお店を継ぎたいと思っている。


 最近、少しずつだけどお客さんの数も増えて、この店も変わり始めている。

 これからという時に、父にこんなことを言われては返す言葉もない。


「別に怒ってるわけじゃないからな。俺はただ、本当に心配してるだけなんだ」


「それは分かってるよ」


「たまには一日休んで、パッと遊んでこいよ」


「……うん」


 自分は、この気持ちと向き合わなければならないのかもしれない。

 いや、向き合わなければならない。


 このままこの気持ちを伝えないまま幸太郎と接し続ければ、確かに今の関係は変わらない。


 それは良いことかもしれないが、同時に悪いこととも言える。

 変えることを恐れてはいけない。

 でなければ、前に進めないこともあるから。


「よし」


 この気持ちと向き合おう。

 そして、ちゃんと答えを出す。でなければ、どちらも中途半端になり、いつかどこかできっと後悔する。


 だから。

 幸太郎にこの気持ちを伝える。例え、それで今の関係が壊れるとしても。


 それが、不器用な涼凪なりの向き合い方だ。

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