第100話 【文化祭編①】開幕
大幕高校文化祭は二日かけて行われる。
夏休みが終わった頃から各クラスがそれぞれ動き出し、準備期間を経て、ついに今日という日を迎えた。
文化祭当日である。
「いいわねー文化祭。青春ねー」
朝食を食べていると珍しく母さんがリビングに顔を覗かせる。昔のことでも思い出しているのか、しみじみとそんなことを言った。
「確か演劇は明日なのよね」
「……俺言ったっけ?」
俺が演劇に出る、それも主役級となればうちの母親は仕事をほったらかしてでも来るに違いない。
母親に演技を見られるなんて恥ずかしいし、確実にビデオカメラを用意してくるに違いないから俺は文化祭の話題を極力控えた。
当然だが、演劇に出ることは言っていない。まさか寝言で呟いていたのだろうか。
「言ってないよ」
そう思ったが、どうやら杞憂だったらしい。
「結ちゃんから聞いた」
「あのやろうッ!」
俺の苦労を無駄にしやがって。
ただ、演劇の公演日が明日ということを伝えただけで俺が出ることは黙っていてくれているかも。
「結ちゃんと二人で主役なんですってね」
「あのやろうッ!!」
そりゃその情報だけ開示することはないよな。きっと悪気なんて一ミリもなく嬉々として話していたに違いない。
「最新のビデオカメラを用意して行くわね」
「……勘弁してくれよ」
文化祭初日の朝から、がっくりとテンションを落とした俺は出発の支度をする。
そろそろ結が迎えに来る頃だろう。
「母さんと一緒に文化祭回ってくれる?」
「母さんと回るくらいなら一人でトイレにこもっとくよ」
「そんなに嫌がらなくても。それとも、それがあんたの日常だなんて言わないわよね?」
母さんは哀しそうな目を向ける。
そりゃ実の息子が便所飯不可避のイジメに遭っていればそんな顔にもなるか。
「ものの例えだ」
「母さん悲しいわ。息子が冷たいんだもの」
「思春期なんてそんなもんだよ」
高校生にもなって母親と一緒に文化祭回る奴はいない。いたとしたらそいつは只者ではない。マザコンオブマザコン様だ。
「ま、月島さんとこの奥さんでも誘って行こうかしらね」
「……来るのは確定なのか」
明日の憂鬱がまた一つ増えたところでスマホが震える。この時間はインターホンを鳴らさないように言ってあるので、結は到着の着信をくれるのだ。
「結がついたらしいから行ってくる」
「んー。楽しんでらっしゃい」
そうですね。
明日は憂鬱だし今日くらいは全力で楽しむこととしましょうかね。
家を出るとまだ朝だと言うのに超ご機嫌な様子の結がいた。
「おはよ、こーくん」
「おっす」
イベントだからなのか、いつもは降ろしている髪がポニーテールで纏め上げられている。
そんな結がくるりと体を回転させるとスカートがふわりと揺れる。危うくパンツでも見えるのではないかという際どいショットが見れたが、残念ながら見れなかった。
「それじゃ行こっか」
「そうだな」
そうして二人して歩き始める。
基本的に結は朝からテンションが高い。どうしてそんなにテンション高いのと聞くと「朝だからだよ?」と不思議そうに返してくる。
そんな中でも今日は特にご機嫌だ。
文化祭がよほど楽しみなのだろう。
「そんなに楽しみか? 文化祭」
「うん。だって文化祭だよ? お祭りだよ? これがテンション上がらずにいられる?」
「いられるだろ」と言おうと口を開いたが、その言葉を飲み込んだ。結ほどではないが、俺も少し胸が高まっていたからだ。
どうやら、俺も文化祭を前にテンションが上がっているらしい。
だから。
「そうだな」
俺は笑って結の言葉を肯定した。
そんな話をしながら、俺達は電車に乗り学校へと向かう。文化祭であろうとこの時間の混み具合は変わらない。
相変わらず席は埋まっているので俺と結は立って駅への到着を待つ。
駅を出ると坂道があり、そこを越えれば我らが大幕高校が見えてくる。
「あら、珍しいわね。こんなところで会うなんて」
駅から出たところで白河と遭遇した。通学途中に白河と会うなんてもしかしたら初めてのことかもしれない。
これも文化祭という特別な日が起こした偶然というやつだろうか。
「おはよー、明日香ちゃん」
「おはよ、結。相変わらず朝から元気ね」
白河に言われて、えへへと笑う結を見ていると白河が俺の方を睨んでくる。いや、睨まれたというのは俺の気のせいだろうが。
「なんだよ?」
「結と比べて、コータローの冴えない顔と言ったら、いつも通りすぎて安心するわ」
「どういうことだよ?」
「周りを見なさいよ。結を含めてみんな文化祭の熱に当てられている。笑顔溢れる中でいつものコータローの顔を見ると安心するじゃない」
どんな理屈だよ。
「俺だって楽しみにしてるっつーの。もう夏休み初日の小学生くらいウキウキだぜ」
「ならもうちょっと表情に出す練習でもすることね。結の素直さを見習いなさい」
「見習いなさい」
なぜか結まで白河の味方についてしまったのでいよいよ俺一人だ。一人でこいつら相手にするのは無理だよう。
そういう白河もいつもより、気持ち程度に声が弾んでいるように思える。
彼女もまた、文化祭の雰囲気に当てられている一人なのだろうが、それを指摘しようものなら秒で否定してくるだろうから言わないでおく。
その代わりに、俺は昨日見たものを思い出し口にした。
「そういや白河、ミスコン出るんだな?」
どういう心境の変化があったのか気になって、会ったら聞こうと思っていたのだ。
しかし、白河は聞かれたくないことに触れられたからか、ぎくりと表情を固める。
しかし、すぐにいつもの澄まし顔に戻した。恐ろしい演技力だ。
「コータローには関係ないでしょ」
「いや、そうかもしれんけど。あれだけ嫌がってたからどうしたんだろって思ってさ」
「……」
すると、白河はめちゃくちゃ恨めしそうにこちらを睨んできた。どこで地雷を踏んだのだろうか。皆目検討もつかねえ。
「気まぐれよ。せっかくのお祭りだし楽しもうと思ったの」
「お前の性格上、ミスコンを楽しめるとは思えないけど」
「小樽を助けようと思って!」
「それこそないだろ。白河が栄達の為に何かをしたことはないし、その姿は想像できねえ」
「……特に深い理由はないわよ。浅い浅い理由があるだけ。口にするのも躊躇うくらいに浅い理由よ」
じっと俺の目を見て白河はそんなことを言う。その目はこれ以上は聞いてくるな、と言っているように見えたし、何かに気づいてと訴えているようにも見えた。
その視線の裏にある考えは、俺には分からなかったが。
「まあ、そこまで言うなら無理に聞きはしないけど。でもそうなると結と対決することになるな」
「そうね。そうなるだろうとは思っていたわ」
言いながら、白河は結の方を見る。睨む、とは違うんだろうけど迫力があった。
いつもならばそんな目に怯える結だが、今回はどうやらやる気らしい。睨み返している。
アニメ風に表現するなら、バチバチと火花を散らしている。
「明日香ちゃん、わたし負けないよ」
「私も、出る以上負けるつもりはないわ」
結がここまで闘争本能を剥き出しにするのは珍しい。正直、勝ち負けどうこうよりは楽しいかどうかを気にするタイプだと思っていたから。
白河も白河でここまでハッキリ物を言うのはあまり見ない。冗談や軽口であしらい、あるいは取り繕ったアイドルの仮面を被り本心を隠す奴だから。
文化祭の雰囲気がそうさせているのか。
それとも、何か別の理由でもあるのか。
いずれにしても、毎年激戦を繰り広げるミスコンだが今年はさらに票が割れそうだ。
とはいえ、ミスコンは明日。
今日のところは一度忘れて何も考えずに文化祭を楽しみたいものだ。
学校に到着し、暫し待ってから体育館に移動する。文化祭の開会式があるのだ。
いつもと違い、全校生徒が座れるくらいのパイプ椅子が並べられている。他人事のように言ったが並べたのはもちろん実行委員だ。
つまり俺。
ステージで行われるプログラムを見るために並べられた椅子だが、校長の長い話を聞くのに役立つとは。
その後、文化祭実行委員長が開会を宣言することによって大幕高校の文化祭は幕を開ける。
大盛り上がりの開会式を終えたところで、生徒はそれぞれの教室に戻っていく。
模擬店とか屋台をする人らは準備があるからな。
現在九時半。
一般開放は一〇時。
それまでに開店準備を終えなければならないのだから急ぐのも無理はない。
そんな忙しない生徒の中で、俺は一人ぼーっと校内を歩いていた。
ステージだし、本番は明日だし、準備は夜にするということで今日は一日スタートからラストまで自由なのだ。
特に教室に戻るような指示も受けていないので、俺は開会式の後そのまま散歩しながら時間を潰す。
そして、ついに時計の針は一〇時を示す。その時、校内放送で一般開放がスタートする案内が流れた。
その瞬間から、校内の活気は一気にぶち上がる。どうやら校門前で待機していた人が多かったようで、開放されてすぐに一般の人達が流れてきた。
「これどうぞ」
適当に歩いていると校内パンフレットを渡される。これも実行委員が作ったものだが担当外だったので俺はノータッチ。
「よくできてんなあ」
パンフレットには校内の見取り図と各クラスの催し物、ステージのタイムテーブルが記載されている。
これ一枚があるだけで内容を把握できる。
「ん? なんだこれ」
紹介や案内が続いた最後の方のページにはスタンプラリーのようなものがあった。
校内のあらゆるところにチェックポイントがあり、そこを回りスタンプを集めると豪華賞品が貰えるらしい。
また豪華賞品だ。
「……暇なときに気が向いたらするか」
そんな感じで、ついに文化祭が始まった。
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