第82話 【邂逅編③】中学時代
「あれ、きみは同じクラスの……えっと」
俺を見たそいつは唸りながら自分の中の記憶を必死に探る。出てきそうで出てこない、我ながら妥当な印象だと思う。
とはいえ。
まだ中学生になって間もないので、いくら同じクラスと言えど顔はともかく名前を覚えていなくても不思議ではない。
かくいう俺だって、そいつの顔こそ覚えてはいたが名前までは思い出せない。
「同じクラスの……えっと」
思い出せないのはお互い様なんだから、そんな熱心に思い出そうとしなくていいんだぞ。
そう言ってさっさと切り上げたいところだが、ああも真剣に考えられると言い出せない。
早くしないと映画が始まってしまう。
そう。
俺は今まさに、チケットを購入して劇場へ乗り込もうという瞬間だったのだ。
こいつだってこんな場所にいるのだから映画を観に来たに違いない。お互いにこんなことをしている場合じゃないだろう。
「八神だよ。八神幸太郎」
「ああ、そうだった。八神くん」
茶色の髪は中学生にしては目立つ。
校則に逆らって髪を染めるようなタイプには見えないから地毛だろうか。
やや中性的な顔立ちで、胸があれば女だとすぐに判別できるが残念ながらぺったんこなので、声を聞くまではどちらか分からなかった。
スカートでも穿いてくれればいいのに、全身ジャージなもんだから尚分からん。
中学生にもなるとおしゃれに目覚めるもんじゃないの? そんな格好でいいの? と心の中で心配してみる。
「あ、ごめん。邪魔しちゃったね」
「いや、別に」
話したこともないやつとこれ以上いるのも気まずいので、じゃっと手を挙げて別れる。
中々空気が読めるやつらしく、追ってくることはなかった。少し間隔を空けて入場するらしい。
これから観る映画『フレイムマンⅡ』は炎を自在に操ることができる主人公が悪の組織と戦うヒーローストーリーだ。
派手なアクションと濃厚なストーリーが人気だった作品の続編で、予告編だけ観ても更に期待が高まる。
少年の心を鷲掴みにするその映画は女性にはあまり人気がないらしい。恋愛的な要素はあまりないし、主人公もイケメンとは少し違うからか。
しかし。
それでいいのだ。
男にだけ分かるのならばそれでいい。そういう作品があったっていいのだ。
映画はド派手な爆破から始まる。
男は、ましてや少年は単純な生き物なのでそれだけでもうワクワクする。
フレイムマンの勇姿がもう一度観れる、それだけで興奮しちゃう。
新たな敵との対峙、敗北から挫折、そしてヒロインに背中を押されてパワーアップ、最後は必殺技でフィニッシュ。
王道こそ至高。
今作も最高に面白かった。
エンディングが終わり、その後に少しだけエピローグがあり、映画は終わる。
ゆっくりと照明が点く。
この瞬間が好き。なぜかは分からんけど。
映画の余韻に浸っていると、横からくすんと鼻を啜る音が聞こえた。
フレイムマンで涙を流すとは中々分かっているじゃないか。どんな顔なのか一応拝んでおくか。
そう思い、ちらと横を見る。
「……ん?」
声が出た。
それに反応して、横にいたそいつが俺の方を見る。
「あ、はは。恥ずかしいところを見られちゃったね」
そう言いながら、そいつは笑った。目尻に涙を浮かべながら。
それが、俺と宮乃湊の出会いだった。
その日は土曜日で、日曜日を挟んだ翌週の月曜日。
俺はとにかく誰かとフレイムマンについて語りたくて片っ端から友達に話題を振った。
しかし、誰も観ていなかったらしく俺は誰とも話ができなかった。
がっくりとうなだれて机に突っ伏していると、肩をちょんちょんとつつかれた。
こんな時に誰だよ悪ふざけしやがって、と思いながら若干睨みつけるように顔を上げた。
「八神くん、良かったら一緒にお昼どう?」
「……なんで?」
そこにいたのは昨日の茶髪ぺったんこ女。宮乃湊という名前であることはリサーチ済みだ。
彼女がどうして俺に声をかけてくるのか不思議で、ついついそんな疑問をぶつけてしまう。
「ぼくの周りにも、フレイムマンを観た人がいないんだ」
まあ、女子だしな。
「女子は観ないだろ、普通」
ポロッと口から出てしまう本音。
それは宮乃を否定してしまうような言葉でもあった。口にしてからしまったと思ったが、宮乃は気にしている様子はない。
「よく言われるよ。お前は趣味が悪いってさ」
俺が宮乃に抱いた第一印象は『変なやつ』だ。
多分、宮乃も俺に対してそこまでいい印象は持ってなかっただろう。
でも、話してみると誰よりも趣味が似ていて気が合って、話題にも困らず一緒にいて楽しかった。
俺と宮乃が友達になるのに時間はかからなかった。
男女でよく一緒にいることを最初は周りにからかわれたけど、俺達が気にしていないことを知ると次第に噂とかはなくなっていって、いつしか俺と宮乃が二人でいることは当たり前になっていた。
その時にはもう、俺は宮乃を異性として意識はしていなかった。
他の男友達と変わらない接し方をしていたし、俺は宮乃を親友だと思っていた。
いろんな行事を一緒に楽しんだ。
毎日学校で笑い合い、放課後は家に集まってゲームをして、休みの日は自転車で少し遠くまで出掛ける。
いつまでもこの時間が続くと思っていた。
けれど。
別れの瞬間は突然訪れた。
「え、転校!?」
二年生の三学期。
春休みを前にした二月のことだ。
放課後、一緒に帰っている時に宮乃が突然そんな話を切り出した。
「そうなんだ。親の転勤で、春休みには引っ越すことになると思う」
「マジかよ……」
お別れはお別れだけど、この時代連絡を取ろうとすれば簡単に取れるし、会おうと思えば会える。
その時の俺は宮乃の転校にそこまでショックを受けていなかった。
あるいは、俺自身その現実を受け入れれてなかったのかもしれないが。
問題だったのはその数日後。
二月一四日。
バレンタインデーの日だ。
「……なにこれ」
「見て分からないとは、八神はお菓子に関しての記憶を全て失ったのかい?」
俺は宮乃にチョコレートを渡された。
バレンタインデーだと言うことは知っていたし、他の男子生徒同様に朝からそわそわしていたのも事実。
「冗談だよ。去年くれなかったから今年は期待してなかった」
去年のバレンタインデーの時には既に仲良かったから「お前は宮乃からは確定だもんな」と周りに言われるくらいには期待していた。
でも実際はなかった。
こちらから催促するのも格好悪いと思い、特に触れることなくバレンタインデーは終わった。
なので今年も宮乃からのチョコレートは期待していなかっただけに驚いたのだ。
「八神はぼくからチョコレートを貰うのを躊躇っていただろ?」
「別にそんなことは……」
「嘘だよ。きみがぼくに見せていたそわそわは他の女子に対するものとは少し違った。一番近くで見ていたぼくには分かったよ」
本当にそんなことはなかった。
でも、宮乃がそう言うのならもしかしたらそうなのかもしれない。無意識のうちに俺は宮乃からチョコレートを貰うことを躊躇っていた。
なぜ?
「友チョコなんてものはあるけど、やっぱり異性から貰うチョコレートは特別だもんね」
バレンタインデーにチョコレートを貰うことで、宮乃湊を女子だと意識してしまうことを恐れていた?
「そんなこと思ったことはないけど、だとして今年は何でくれたんだよ? お別れだから最後に同情でもしてくれたのか?」
俺がそう言うと、宮乃はくくっと笑う。そして、ふうっと小さく息を吐いて揺れる瞳をこちらに向けた。
「そのまんまだよ。バレンタインデーにチョコレートを渡しただけ。女の子が、男の子に渡す。それだけだよ」
「要するに友チョコってこと?」
目の前の現実を受け入れるのが怖くて、俺はそんなことを言う。
違うと分かっていながら、それでも俺は気づかないふりをした。
でも。
宮乃はかぶりを振って、俺の言葉を否定した。
「本命チョコだよ。どうやらぼくは、いつの間にかきみに心惹かれていたらしい」
「……宮乃」
一緒、時が止まったような気がした。
音がなく、静かで。
宮乃湊は友達だ。
友達以上の親友だった。
彼女を異性として意識したことはなかった。俺にとっては、気を遣わない一番仲の良い相手。
だから。
「……ごめん」
そう言う他なかった。
この時、別の答えを口にしていれば何かが変わっていたのかもしれない。
「……分かっていたよ。八神がぼくを女として見てなかったことは。だからぼくもきみの友達でいることを選んだ。踏み込んで、そのせいでこの関係が壊れることを恐れたから」
でも、と口にした宮乃の声は少し震えていて、頬に一筋の涙が流れた。
「これでお別れかって思うと、この気持ちは伝えるべきだと思った。八神を困らせることも分かってた。でも、言いたかったんだ」
「宮乃……」
「この未来も覚悟していたけれど、やっぱり辛いものだね。失恋というやつは」
その言葉を言い終えた時には、地面にポツポツと涙が零れ落ちる。俯いているので顔は見えない。
俺はそんな宮乃に、どう声をかければいいのか分からなかった。
結局。
その日はそんな微妙な空気を残したまま別れることになって。
その後、どう接していいのか分からなくなった俺は宮乃を避けてしまい、宮乃もそれを察してか近づいてこないまま、別れの日は訪れた。
出発の日。
宮乃の家の前まで行くと、友達が見送りに来ていた。
俺は物陰に隠れて、そっと彼女の旅立ちを見届けた。
そうして、宮乃湊は俺の前からいなくなってしまったのだ。
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