第81話 【邂逅編②】宮乃湊
「宮乃、湊……?」
俺は教室の前にいる数人に囲まれたショートカットの女子生徒へ再び視線を移す。
俺はその名前を聞いたことがある。
同姓同名ということだって有り得るけれど、その名前を聞いてから改めて女子生徒を見ると、記憶の中の彼女と重なる。
「どうしたの?」
白河は動揺している俺の顔を覗き込んできた。声をかけられて、ようやく頭が動き出す。
「あ、いや、何でも」
「何でもない顔してなかったわよ?」
「本当に何でもないよ。ただ、ちょっと気になったというか」
俺がしどろもどろになりながらそんな言葉を並べると白河が大きな溜息をつく。
「そんなに気になるなら確認すればいいじゃない」
言いながら、白河は俺にDVDを渡して宮乃湊のもとへと歩いて行く。その行動の意味を理解した俺は彼女を止めようと追いかける。
が。
少し遅かった。
「宮乃さん、ちょっといいかしら?」
アイドルモード全開の白河が宮乃湊に声をかけた。
そうだ。
白河は人といると疲れるという理由で一人でいるだけで、決してぼっちではない。
何なら人気者の部類に入るくらいで、つまり彼女は誰にだって物怖じせずに話しかけることができる。
受け入れられることが分かりきっているから。
「ん?」
話しかけられた宮乃湊は白河の方を振り返る。その横顔を見て、俺は全てを察した。
そして、その場から離れた。
白河が事情を話し、彼女が後ろを見たときには俺の姿はそこになかっただろう。
心の準備ができていない。
俺は今、あいつと顔を合わせることができない。
あいつは。
あの宮乃湊は。
俺のかつての同級生だ。
中学二年生の時まで仲が良くて、三年生に上がるタイミングで転校していった。
元親友。
少なくとも、俺はそう思っていた。
けれど。
宮乃はそうは思っていなかったようで、だからこそ俺達の関係は瓦解して、その関係は治ることなくそのまま疎遠となった。
二度と会うことはないと思っていた。
それでも俺はあいつのことを忘れたことはなかったし、これからも忘れるつもりはなかった。
でもまさか、顔を合わせることになるとは思わなかった。
その事実を目の前にした瞬間、どうしていいのか分からなくなった。
結果、俺は逃げ出した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
教室に戻ったところで走っていた足を止める。呼吸が荒くなり、肩で息をして整える。
「どこ行ってたん? 幸太郎が帰ってこなかったから、僕がぼっち飯をするはめになったじゃん」
「……悪かったな。忘れてた」
本当に忘れていた。
俺は軽く栄達に詫びて、そのまま自分の席に戻る。
俺の行動に違和感はあったんだろうけど、何も言ってこなかったのはあいつなりに空気を読んだのだろう。
五時間目の授業は全く集中できなかった。
黒板は見ているけど文字は頭に入ってこず、話は聞いているけどそのままもう片方の耳から抜けているような、そんな感じだ。
名指しで当てられてたら答えることはできなかっただろう。
「こーくん、どうしたの?」
俺の違和感を察した結がやって来る。
「何でもないよ。ちょっと疲れているだけだ」
心配してくれている結に対して失礼だとは思ったけど、この気持ちを言葉にするのが怖かった。
「大丈夫?」
「ああ。心配ない」
俺は出来る限りの笑顔を向ける。
すると結は心配そうな顔をしたまま自分の席に戻っていく。
「心配かけたくないならもうちょっとしっかり平然を装うべきだぞ。幸太郎よ」
「……そうだな」
「昼休みに慌てて帰ってきてから明らかに様子がおかしい。まだ予鈴も鳴ってないのにあそこまで急いで帰ってくる理由は思い当たらんが、どこかで何かがあったのだろう?」
栄達は大事な部分は聞いてこない。
ただ漠然と、俺に何かがあったことだけを察している。
そして、それ以上の詮索はしてこない。
「まあ、そうだな」
「嫁に心配かけたらいかんぞ」
正論過ぎて言い返す言葉が見つからなかった。けれど、何も言い返さないのもどうかと思い、俺は適当に言葉を吐く。
「嫁って誰だよ」
今日は部活はない。
正確に言うなら強制参加の日ではない。
なので、帰りのホームルームが終わったところでさっさと帰ろうと立ち上がる。
誰よりも先に教室を出て、昇降口へと向かった。ホームルームが少し長引いたが、それでもすぐに出たからまだ人の通りは少ない。
だが。
「せっかくの再会なのに、ずいぶんとそっけないな。八神」
「宮乃……」
宮乃湊が昇降口で待っていた。
待ち伏せされていた。
あの時と変わらない茶髪のショート。中学のときに比べると少しだけ伸びている気がするが。
胸は相変わらずぺったんこだ。
制服の上からだともはやあるかどうかも分からない。
「視線が胸の方に向いている気がするんだけど、気のせいかな?」
「気のせいだ」
俺が目を背けながら言うと、宮乃はくくっとおかしそうに笑う。
「きみは相変わらず面白いな」
「……お前は相変わらずかわいくない」
相変わらず、と言えるくらいに変わっていない。俺が知っている宮乃のままだ。
「そうかな? これでもちょっとは女の子っぽくなったと思ったんだけど。あと、一応言っとくけど胸も大きくなったんだよ?」
「女子が男子にそんなこと言うんじゃねえ」
すると、やっぱり宮乃は楽しそうに笑うのだった。
「少し歩かないか?」
「……ああ」
どんな顔をして、何を話せばいいのか分からなくて、俺は一組から逃げ出した。
宮乃との別れ方はあまりいいものではなかったから。俺はあの一件に対して罪悪感のようなものを抱えていて、それが理由でいろいろと考えさせられた。
だから、どんな顔して会えばいいのか分からなかった。
でも、会ってみれば宮乃は普通で、あの時と何も変わっていなくて、すると俺も自然と普通に話すことができていた。
不思議なものだ。
そう思った。
「驚いたよ。転校してきたらその学校に八神がいるんだから」
「そのままそっくり同じ言葉を返すよ。まさか美少女転校生の正体が宮乃だったとはな」
「美少女とは、嬉しいことを言ってくれるね」
「お前でも褒められると喜ぶんだな」
「ぼくだって歴とした女の子だよ。可愛いと言われれば喜ぶし、格好いい男の子を見ればときめくさ」
学校から駅まではそう遠くないので、俺達は駅とは逆の方向に歩きながら遠回りに駅まで向かう。
適当に歩いていると河川敷に出たのでそこをゆっくりと歩いていた。方向的にこのまままっすぐ行けば駅につくだろう。
この時間はあまり人の通りがないのか、俺達以外に人はおらず静かな時間が続く。
「ねえ、八神」
正体不明の鳥の鳴き声だけが聞こえる中で、宮乃がシリアスな声を漏らす。
「今、楽しいかい?」
「……なんだよ、急に」
「近況報告だよ。久しぶりに再会した二人がすることと言えば、それしかないだろ?」
よく分からん理由だけど、このまま何も喋らないわけにもいかないしな。
「まあ、それなりに楽しいよ」
「……じゃあ、中学の時はどうだった? ぼくといた時間は楽しかったかい?」
「つまらないと思ったことは一度もなかったよ」
俺はどうにも素直に答えるのが恥ずかしく、そっぽ向きながらそんなことを言う。
すると、宮乃はくくっと笑う。
「きみの捻くれは健在なようだね」
「拍車がかかったくらいだ」
おかしそうに笑った宮乃はふうと息を整える。
「ぼくもね、楽しかった。あの日々のことは忘れたことはなかったよ」
だからね、と宮乃は俺の顔をじっと見てくる。
あの時と変わらない顔だというのに、その顔が少し大人びているように見えて、あるいは女の子のように感じて、心臓が高鳴った。
「ぼくはちゃんと、きみと友達になりたいんだ」
そう言って笑うのだった。
その言葉が何を意味するのか、俺は知っている。
友達になりたい。
つまり、それは現在はその関係で言い表すに足るものではないということだ。
その理由は俺と宮乃の別れ方にある。
あの日、あの時、俺達の関係は瓦解した。
それは紛れもなく俺が悪くて。
だから俺は人と向き合うことを恐れた。
「ねえ、八神。あの日のこと、きみは覚えているか?」
そう尋ねられ、俺は思い返す。
忘れた日なんて一度たりともない。
忘れられるはずがない。
大切な親友の涙を見た、最初で最後の日だったのだから。
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