第76話 夏休み最終日に起こりうる恒例行事
「……ど、どうしたのこーくん?」
玄関のドアを開けて顔を出した月島結は、開口一番に戸惑いの声を漏らした。
それも無理はない。
何せ、外に出て最初に視界に入った光景が幼馴染みの土下座なのだから。
夏休み最終日。
俺は朝から月島家へと足を運び、インターホンを鳴らし、結を呼び出した。
おじさんかおばさんが出てくることがないように、しっかりとインターホンの時点で結を指名した。
「折り入って相談がございまして」
「……だいたい想像はつくけど、一応聞いておこうかな」
結の声のトーンが少し落ちる。
そのリアクションで望み薄かと思うが、しかし俺のコネクションの中では結が一番可能性が高いのだ。
「宿題が終わりません」
端的に完結に、今の現状とこれからの相談内容の全てが分かる一言を告げる。
「だと思ったけど」
花火大会があったのがおよそ一週間前で、その時点では問題なくいけば終わるはずだった。
つまり問題が起こったのだ。
主にすすかぜで。
突然涼凪ちゃんから電話がかかってきて、何かと聞くとアルバイトの子が体調を崩し休んだのでシフトに入れないかという相談だった。
その後もずるずると体調不良が続いたらしくシフトに穴が空いた結果、俺がそれを埋めることとなった。
断ればよかったのだが、何となく罪悪感が出てきてしまった。俺は何も悪くないのだが、大変そうな店の様子を想像すると断ることを躊躇ってしまったのだ。
結果、俺は夏休みの最後の一週間をほぼアルバイトで消費してしまい今に至る。
こんな事情を話しても言い訳にしかならないので、結に伝えることはしない。
もとを辿れば、余裕を持って進めておけという話なのだから。これは俺の責任である。
「とりあえず入りなよ。暑いでしょ」
優しい結はこんな俺を家の中に入れてくれた。
丈の長いパーカーのようなものを着た結はそれだけ見ると下に何も穿いてないように見える。
部屋着だろうから、全然有り得るんだよなあ。パーカーの裾から伸びる太ももに視線がいってしまい、目のやり場に困った俺は適当に天井とかを見る。
夏休みの間に、一度だけ月島家を訪れたことがあった。その時は結局リビングで過ごしたので、俺は結の部屋に入っていない。
が。
今日はおじさんおばさんがリビングにいるので俺は結の部屋に案内された。
高校生の結の部屋に入るのは初めてのことで、当然子供の頃のままなわけがなく、緊張からか心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「お茶入れてくるからちょっと待っててね」
結が部屋から出ていったので、俺は一人立ち尽くす。
気のしれた幼馴染みではあるが、かといって何でもできるわけではない。
どこに座ればいいんだろう。
参考書やぬいぐるみの置かれた勉強机。服が入っているであろうクローゼット、大きなクッションがあるベッド、床には小さなテーブルと座布団。
女の子らしいインテリアをところどころに施した、実に可愛らしい部屋だった。あと、ほのかにいいにおいがする。
「……」
まあ、座布団だよな。
そう思い、俺はゆっくりと腰掛けた。やはりというか何というか、子供の頃とは全然違う。
あの頃なら何も考えずに部屋の中を漁り散らかしていたが、今そんなことをしたら多分めちゃくちゃ怒られる。
そんなことを考えていると、お茶を乗せたお盆を持った結が戻ってきた。
「なにをそわそわしてるのかな?」
「いや、別に」
俺が答えると、結は首を傾げるだけだった。
あっちがあの感じだと、変に意識してるこっちが恥ずかしい。
「変なこーくん」
そう言いながら、テーブルにお茶を置いてくれる。コップに書かれているうさぎのキャラクター、どっかで見たと思ったら夏祭りの時に白河に渡したキーホルダーのやつだ。
あれ人気なの?
「それで、宿題だっけ?」
「はい」
結はやれやれとでも言うように小さく溜息をつく。
そして、俺の方をじっと見つめてくる。その表情は何とも複雑なものだ。
「宿題というのは学生に与えられる課題であって、人に手伝ってもらっても意味はありません」
「はい」
「なので、本来であるならばわたしはそのお願いに応えてあげることはできません」
「はい」
「ですが、相談相手がこーくんというのであれば話は別です。もしも宿題忘れたせいで補習とかになっても困るし、わたしとしてもこーくんの力になりたいと思うので、今回は手伝ってあげます」
「まじ!?」
俺が顔を上げて言うと、結は「ただし!」と釘を刺す。そう全てが上手くいくはずはない。
「答えは見せないから、自力で解いてください」
「え?」
「分からない問題は教えてあげるから、一つ一つ終わらせていこ?」
結ちゃんってば結構スパルタなのね?
まあ詰まったら教えてくれるわけだし、一人でやるよりは早く進むだろう。
「ちゃんと監視しててあげるから安心して。明日まではまだまだ時間があるし、きっと大丈夫だよ」
不穏な言葉が聞こえた気がした。
が、それは一旦忘れることにした。さっと終わればそれで済むのだから、いらぬ心配はするべきではない。
「もちろん、手伝うんだからわたしにもご褒美ちょうだいね」
「ご褒美? 言っとくけど、金ならないぞ」
「お金なんかいらないよ」
言ってみてえな、そんなセリフ。
金しか欲しくない。俺の脳は煩悩に支配されている。
「そうだなー、わたしのお願いを何でも一つ叶えてもらおうかな」
「……それは常識の範囲内でだよな?」
「こーくんはわたしが何をお願いすると思ったの? わたしは、こーくんが嫌がることはしません」
「なら、それでいこう」
「うん。じゃあ、はい」
「なに?」
結が何かを渡してくる。俺はそれを受け取って内容に目を通す。
「誓約書」
「まじで何をさせられるんだよ、俺は」
「今のところ得にお願いがないから、思いついたときに使うの。その時にシラを切られても困るからね」
「信用ねえな、俺」
仕方なくサインする。
結が俺に無理難題を押し付けてくるとは思ってない。彼女の言うことは正しく、嫌がるようなことは要求してこないだろう。
「契約も済んだことだし、それじゃあ始めよう! えい、えい、おー!」
拳を掲げてから、ちらと俺の方を見る。呆気に取られて何もできなかった俺を責めているのだ。
ここで結のご機嫌を損ねるわけにはいかない。全力で彼女についていこう。
「オー!」
俺は精一杯の元気を込めて彼女に応えた。
確かに、これくらいの気合いがなければ宿題は全て終わらない。
その日。
朝から宿題と向き合った俺は月島家全面協力のおかげで、夜の九時を過ぎた頃にようやく全ての宿題を終わらせることができた。
プチ合宿を終えた俺は家に帰り、倒れるように眠りにつくのだった。
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