第60話 【夏合宿編⑧】湯浴みする乙女


 映像研究部、夏合宿三日目も夜へと突入しようとしていた。

 昼間の忙しい海の家のアルバイトも終わり、撮影もほぼほぼ全て完了しているので、明日は自由時間が取れるだろう。


 そのことに喜び、はしゃいだ月島結は足を挫き、今尚安静にしている。歩こうとすると少し痛むので、移動も一苦労である。


「……ごめんね、迷惑かけちゃって」


 そんな結に肩を貸しているのは白河明日香。しおらしく謝る結に、溜め息をつく。


「これに懲りたら、気をつけることね」


 誰よりも彼女を心配していたのに、素直にそう言えないところが明日香の残念なところである。


 夕食を終えた二人がどこに向かっているのかと言うと、一日の疲れを取るための安息の地。


 つまり、大浴場だ。


 扉を開けると中に二人の人影があった。


 先に部屋を出発していた橘涼凪と小日向李依だ。


 涼凪はいつもつけているリボンを外しただけだが、李依は髪をほどいているのでいつもとイメージが異なる。


 気持ち程度だが、少しだけ大人びているように見える。


「……いつもそうしてればいいのに」


「どういう意味ですか!?」


 明日香がぼそっと言うと。それを聞いていた李依がわけも分からずツッコむ。


 既にタオル一枚の状態だった二人はそのまま大浴場へと行ってしまう。


「服は脱げるわよね?」


「あ、うん。それは大丈夫」


 結を長椅子に下ろし、明日香は服を脱ぎ始める。結もそれに続いてぱぱっと上の服を脱ぐ。


「……」


 明日香が上のシャツを脱いだところで顕になった白の下着とそれに包まれた大きな胸を、結がじーっと見つめていた。


 それに気づいた明日香が居心地悪そうに結を睨み返す。


「なに?」


「んーん、水着のときも思ったけど、明日香ちゃんお胸大きいよね」


「普通じゃない?」


 明日香は自分の胸に視線を下ろす。そうは言うが、人よりも大きいことは自覚していた。

 ただ、自然に口が動いて、そんなことを言ってしまったのだ。


「……明日香ちゃんのサイズで普通なら、わたしはどうなるのかな?」


 結は自分の胸に手を当てながら分かりやすく落ち込んだ。確かに明日香に比べると小さいが、形がいいのでそこまで小ささは感じない。


「ばかなこと気にしてないで、さっさと脱ぎなさい。あなた一人じゃ浴場に行けないんだから」


「ごめんね。お胸が小さい上に気も回らなくて……」


「自分で言っておいて自分で凹まないでよ」


 やれやれ、と明日香は溜め息をついた。


 服を脱ぎ終えた結に肩を貸して浴場へと向かう明日香。結の腕が一瞬自分の胸に触れたのが分かった。


 最初はたまたまだろうと思っていたが、その後もつんつんと触れてくる。意図的であることは明らかだった。


「ちょっと、結……」


「あ、はは。ごめんごめん。柔らかくて、つい」


「あなたにもあるでしょ」


「……ないんだよ」


 いつもの調子で言い返すと、結はまたがくりと凹んでしまう。そのリアクションを見て、明日香はしまったとこめかみを抑えた。


 先に体と髪を洗ってから、二人は湯船に浸かる。

 そこには先に入っていた涼凪と李依がいたが、二人とも熱くなったのか足だけをお湯につけて湯船を囲う岩に腰掛けていた。


「白河先輩、おっぱい大きいですよね」


 明日香が湯船に浸かってから、最初の会話がそれである。発言者はもちろん李依だ。


「またその話題?」


「今日お初だと思いますけど?」


 さっき結と二人のときの話題なので李依的には確かに初めてだ。


「そんなにおっぱい大きければ、男の子が放っておかないでしょ?」


「……どういう意味よ」


「綺麗な銀髪、可愛い顔、大きなおっぱい、大人なスタイル。これだけ揃えておいて男子が目を向けなければ人類皆ホモ説を提唱しますよ?」


「……ばかばかしい」


 李依の話に付き合っていたら疲れるわ、と思い明日香は映研の良心とも言える涼凪に視線を向ける。


「じー」


 すると、涼凪も羨ましそうに明日香の胸を見つめていた。


「あなたも!?」


「これは確かに羨ましいです」


 明日香以外はそこまで大きくない。李依はほぼ貧乳だし、涼凪もそこまで大きくはない。

 ここに大人である成瀬奈央がいればよかったが、こういうときに限っていない。


「男の子に言い寄られないんですか?」


「そりゃあ、ないことはないわよ」


 白河明日香といえばファンクラブまである学園のアイドル的存在だ。そんな彼女を男子が放っておくはずがない。

 李依の言うとおりである。


「でも付き合わないんですね?」


「……いい男がいないの」


「でも明日香ちゃん、この前イケメンの先輩に告白されてたんでしょ?」


「どこでそんな情報を得てくるのよ?」


 学園のアイドル的存在故に、どこか雲の上の人のように思われているところもある。


 だから手を出すだけ無謀だと考え、眺めているだけの人が多い中、たまに勇者が現れるのだ。

 もちろん、明日香はバッサリと断るのだが。


「顔がいいからってイイ男とは限らないでしょ?」


「それは、確かにそうかもですね」


 明日香の言葉に、涼凪が同意する。


「じゃあ白河先輩はどんな男の人がタイプなんですか?」


「……答えなきゃダメなの? その質問」


 明日香が言うと、三人が首を揃えてこくりと頷いた。そんな空気を出されると、逃げることもできない。


「……そうね、考えたことはないけどイケメンとかよりは一緒にいて面白い人の方がいいかもね」


「面白い人……例えば、八神先輩とか?」


 李依の言葉に明日香の表情が固まる。


「なんでそこでコータローなのよ」


「いや、八神先輩と話してるとき楽しそうだから」

 

「え、そうなの明日香ちゃん……」


 結が八神幸太郎のことを好きなのは知っている。

 だからといって、好きならばその戦いで引くつもりはないけれど、明日香が幸太郎に向ける気持ちはそういうものと言っていいのか。


 彼女自身、まだそれをハッキリさせていなかった。


「確かに男子の中ならコータローが近いかもしれないけど、別にそういうんじゃないわよ」


 数少ない『素』を受け入れてくれる人。男子の中ならば確かに彼は特別仲がいい。


 気を許しているのも事実だ。


 幸太郎とはいろいろとあった。

 特に体育祭ではお世話になったこともあって、幸太郎に対する気持ちが少し変わった。


 でも、それだけだ。

 明日香はそう思っている。


「それを言うなら小樽だって一緒でしょ」


 同じ映像研究部のメンバーで素を知っている一年生からの知り合い、という意味では同じだ。

 

「ま、まさか白河先輩、小樽先輩を狙ってるんですか!?」


 李依は驚き、ばしゃんと勢いよく湯船に突入し明日香に迫る。


「……心配しないでも、あんな男を好きになる物好きは世界中探してもあんたくらいよ」


「そ、そうですかねえ」


 えへへ、となぜか照れる李依。

 李依は容姿もよく、性格は少し変わっているが総合的に見ればモテる女子だ。


 そんな彼女が、小樽栄達という男を好きでいることが、やはり皆信じられなかった。


「結先輩はもう分かりきってるんで聞くまでもないですけど、そうなると涼凪はどうなの?」


「私にくるかー」


 話を振られた涼凪は顔を引きつらせる。


「私は、恋とかそういうのとは無縁かなーって」


 男の人があまり得意でないという涼凪。教室でも基本的に一緒にいるのは李依達だ。

 男子とはあまり接点がない。

 接点を作っていないと言った方が正確かもしれないが。

 

「そんなことないでしょ。可愛いし、好きな男の子は多いんじゃない?」


「え、や、そんなことは」


 あまりこういった話に慣れていない涼凪は慌てふためいた。


「そうだよ。この前告白されてるの見たよ?」


「なんで盗み見してるの!?」


 どうやら最近告白されていたらしい。

 無縁だとか言いながら、しっかりと好意は寄せられているようだ。


「みんな告白とかされてるんだねー。わたしはないなあ」


 結が言うと、他の三人が呆れたように結を見た。なぜそんな顔を向けられるのか、不思議に思っているとは明日香が笑いながら口を開く。


「結は告白するだけ無駄だしね」


「どういう意味!?」


「だってどうせ振られるの分かってますし」


「先輩以外は眼中にないですもんね」


 満場一致だった。

 常に幸太郎に対する好意を熱烈アピールしているので、告白しても振られるのが目に見えている。だから結に告白する男子はいないのだ。


「まあ、私も一番信頼してる男の人って言われたら先輩なんですけど」


「それを言うなら、私も一応そうね」


「わたしだってそうだよ?」


 涼凪が冗談半分で言うと、明日香と結が乗ってきた。三人は視線を合わせる。

 少しだけ、ばちばちと火花が散っているようにも見えた。


「……八神先輩、罪な人です」


 ぶくぶくと顔を半分お湯に沈めながら李依は呟いた。



 * * *



「……なあ栄達」


「なんぞ」


 男風呂にて。

 湯船に浸かる幸太郎が小樽栄達の名を呼ぶ。


「唐揚げには何派?」


「んー、マヨかな」


 女風呂では幸太郎の話題で大変なことになっていることなど知る由もなく、男風呂は平和だった。

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