不安定な救いへの望み


 明るい森の中だった。

 何処までも平たい石に覆われた地面。とつとつと、リズミカルな水の音が地下から春人の足先に響いた。

 人工の森か? 

 春人は辺りを見渡した。異様に背の高い木々が並んでいる。石の地面を突き破るそれらは互いに譲り合うように等間隔に立ち、槍のようにスッと真っ直ぐ空に伸びていた。

「何処だよ、ここ?」 

 春人は石の地面を足先で蹴った。どう見ても自然に出来たものとは思えない。

「ここはキルランカ大陸西南の森だよ」

 クラウディウスはしゃがみ込んで、地面に彫られた古い魔法陣を修復していた。アリシアも長い黒髪を耳にかけて、魔法陣を覗き込んでいる。それは、クラウディウスが大樹の石畳みにチョークで描いていたものと同じ模様だった。六芒星を三重の円で囲こみ、その周囲には古代文字が書かれている。

「ここって人工的な森か? なんか、ちょっと気味が悪いぜ」

「ここはかつて、魔法の演習場だったんだ。森は後から勝手に出来た」

「かつて?」

「ああ、何十年も昔さ。キルランカ大陸の西側の殆どが、かつては〈ヒト〉の領域だったんだ。今では北西の一部にしか、領土は残っていないけどね」

「へぇ、じゃあ今は誰の領土なんだ?」

「〈リザード〉だよ、一応ね」

「一応? つーか〈リザード〉って誰だよ?」

 春人は森の奥を見た。祭壇のようなものが木々の隙間で、日の光に包まれて佇んでいる。寝息を立てるアリスを背負ったソフィアも、白銀の瞳をキョロキョロと動かしながら興味深そうに辺りを眺めていた。

「〈リザード〉は比較的温厚で〈ヒト〉に友好的な種族だよ。褐色の鱗に覆われていて長い尻尾がとても魅力的なんだ。こんな私にも昔〈リザード〉の恋人がいて……」

「どうでもいい話すんじゃねーよ!」

「おやおや、興味が無かったかい? はは、いやね、一応というのは彼らが〈ゴブリン〉を恐れてこの付近に来る事が無いからなんだ」

「〈ゴブリン〉?」

「ああ、非常に頭の切れる種族さ。大陸の北東から中央付近は彼らの領土なんだ。〈ゴブリン〉は多くの種族が恐れる戦闘のエキスパートなんだよ。こんな私にも彼らの友達がいてね、これからの君たちの案内を頼んでいるから、失礼の無い様にするんだよ、ハルトくん?」

「ああ……」

「えええっ!?」

 アリシアが突然、大声を上げた。

 春人とソフィアは驚いて振り返る。

「おい、なんだよ、うるせーな?」

 アリシアはクラウディウスを見上げて目を見開いていた。その丸い目はやがて、何かを疑うように細められていく。

「……クラウディウス、あなた今なんて言ったの?」

「〈ゴブリン〉の友達に君たちの案内を頼んでいると言ったんだ、アリシア」

 クラウディウスは微笑んだ。

「……あなた、もしかしてふざけているの?」

「ふざけてなどいられない状況だと、私は何度も言わなかったかね?」

「もしふざけていないと言うのなら、クラウディウス・プリニウス、あなたを捕らえます」

 クラウディウスを冷たく睨むアリシアには、いつものような子供っぽさが無かった。春人は思わず息を呑む。

「何故だい?」

「何故ですって? 〈ゴブリン〉は私達の……いいえ、全種族を脅かすほど恐ろしいこの世界の敵だからよ! それを友達ですって? ふざけないで!」

「この世界の敵とは? アリシア、君は彼らに会った事があるのかい?」

「あるわけないがない! ねぇ、奴らがどういう存在なのか、わざわざ私が教えなきゃいけない事なの?」

「ああ、教えてくれたまえ。君は何故、彼らを恐れる? 何故、私は彼らと親交を結んではいけない? 早く答えなさい、アリシア」

「……呆れたわ、クラウディウス。あなたは師匠に、クライン・アンベルク様に申し訳ないと思わないの?」

 アリシアは目に涙を溜めていた。

 クラウディウスは、アリシアの師匠という言葉にピクリと眉を動かす。顔から笑みは消え、彼女を見つめる切れ長の目が冷たく光った。

「アリシア・ローズ、君を軍法違反で拘束する」

 クラウディウスは人差し指をクイっと曲げた。途端に、アリシアの身体がくの字に曲がって吹き飛び、後ろの木に叩きつけられた。アリシアはガハッと息吐く。

 嘘でしょ……?

 アリシアは強いショックを受けながらも、魔法障壁で身体を覆った。更に空間圧縮の見えざる帯でクラウディウスの腕ごと胴体を縛り付け、多重雷撃魔法の準備をする。陽光を反射させる透明な障壁。黒雲に轟く稲妻。だが突然、何の前触れもなく魔法障壁は粉々に砕けた。同時に、黄色い光を放つ黒雲が縮こまり空中に霧散する。

 アリシアは慌てて魔法障壁を作り直すも、すぐにまた砕けて散った。

「障壁が薄い、圧縮が弱い、落第点だ」

 クラウディウスはパチっと指を鳴らした。振動魔法がアリシアの三半規管を揺らす。激しいめまいを感じたアリシアは膝をつき嘔吐した。

 クラウディウスは膝をついたアリシアの胸ぐらを掴むと、そのまま後ろの木に叩きつけた。空間固定魔法で口を塞がれたアリシアは恐怖で全身を震わせる。

「何してんだテメェ!」

 春人は怒鳴り声をあげて、クラウディウスに飛びかかった。ソフィアも短剣を構える。だがクラウディウスは二人を見向きもせず、重力操作魔法で春人とソフィアを地面に押さえつけた。

 氷の王がどう動くかが唯一の懸念だ……。

 クラウディウスは最悪を想定していた。

 しかし、憤怒の魔女は一度この目で見ておかねば……。

 徐々に春人の力が強くなり、その瞳は黒く染まっていく。

 さぁ、ハルトくん、見せてみろ。

 アリシアからは目線を逸らさず、クラウディウスは春人の呪いに備えた。だが春人は、ギリギリのところで踏み止まった。瞳を黒く揺らしながらも、憤怒の呪いを僅かな理性で押さえつける。

 クラウディウスは少々落胆した。だが、素晴らしいと心の中で春人を褒める。

「……アリシア・ローズ、君の犯した罪は何だ?」

 クラウディウスは、アリシアの口を覆う固定魔法を解いた。アリシアは粗い呼吸を繰り返しながら、クラウディウスを睨み返す。

「あ、あなたを捕らえられなかった事! 離して! この裏切り者!」

「軍刑法典第二十三条二項"魔女への治癒魔法等の医療行為は必要最低限の生命維持の場合にのみ許される" アリシア・ローズ、君は憤怒の魔女への能動的医療行為を行なった」

「な……」

「軍刑法典第六条"魔術師の資格を持たぬものは、やむを得ず自己又は他の権利または生命を防衛する場合を除いて魔法行使を禁ずる" 師より資格を剥奪させられたアリシア・ローズは既に魔術師ではないにも関わらず、故意に魔法を発動させた。これらが重大な軍法違反であると判断した魔法大臣及び王国裁判官及び王直属護衛官クラウディウス・プリニウスの判断により、アリシア・ローズ、君を拘束後、直ちに本国へと強制送還する。そして、魔審院の法定にて君を裁きにかける」

「ちょっと……」

「よろしいかな? アリシア・ローズ」

 クラウディウスはアリシアの黒い瞳の奥を覗き込むように、目を細めて冷たい瞳を光らせた。アリシアは目線だけは絶対に逸らすまい努力した。

「あ、あなたが……」

「どうした、アリシア。君はクライン先生の優秀な弟子だろ。しっかりしたまえ、君は魔術師として未熟なばかりか、頭の回転まで遅いのか?」

「な、何が……?」

「アリシア・ローズ、君の使命は何だ。君の使命はハルトくんと協力して世界を守ることではなかったのか?」

「だ、だって……」

「そうだろ、アリシア?」

「でも……」

「分かったのならそう宣言しなさい! 私の使命は世界の破滅を防ぐ事なんだと! その為ならば法などはつまらぬ些事に過ぎぬのだと! さぁ、言いたまえ、アリシア!」

「……っ」

「ああそうさ、君の言う通り〈ゴブリン〉は危険な存在だ。魔女だって危険な存在だ。〈ヒト〉も〈エルフ〉も、そして君も私も危険な存在なんだ。なぁアリシア、この世は危険に満ちている。だからといって、観念と偏見のみで危険を避け続けていればそれで良いのか? 良くは無い、避け続けることなど決して出来ないからだ。この世はそれだけ不安定で不条理なんだ。この過酷な世界で、アリシア、君はそれが敵か味方か、リスクか否か、厄災か僥倖かを簡単に判断するな! 向き合ってじっくり考えろ! この世界を、仲間を、自分を本気で守りたいのならば見極めるんだ! 分かったか!」

「……は、はい、ごめんなさい」

 アリシアは目線を逸らさなかった。ただ、自分を説教するクラウディウスの怒った表情が、師匠であるクラインと重なった。怖いと思った。涙で目が滲んだ。声の震えを必死に抑えるも、うっと嗚咽してしまう。

「……うん、君なら出来るさ、何たって私の妹弟子だからね。頑張りたまえ」

 クラウディウスは、アリシアを下ろして頭を撫でると、にっこり笑った。その瞳には妹弟子を想う暖かさがあった。

「……おい、終わったのか? おもてぇんだよ! 早く魔法を止めろ!」

「ああ、すまないすまない」

 クラウディウスは、はっはと笑うと、地面に突っ伏す春人とソフィアを起こした。

「説教が長いぞ、プリニウス」

 緑色の影が、ふっと頭上から春人たちの目の前に降り立った。


 マーク・ロジャーは山の中腹から、城塞都市ローネの石壁を眺めた。

「あそこに魔女が囚われていると?」

「はい、マーク様、哀れなる傲慢の魔女が、六十四年もの間あの牢獄に囚われておるのです! 直ぐにでも救出せねばいけません……!」

 ピット・ハイネスは四角い顔を赤銅に染めて、小ぶりな拳を握りしめた。

 最低でも六十四歳ですか。

 マークは途端に興味を失った。大陸に混乱を起こすために他の魔女とやらを解放するのもいいかと考えていたが、そんな老婆がいったい何の役に立つのか想像も出来なかった。

 ふと、自分に渇いた服を与えてくれた太った老婆を思い出す。

 あの化け物は、老婆の枠を外れた別の生物でしょう。

 マークは苦笑しながら、自分の祖母を思い出した。彼が子供の頃から死ぬまでずっと愛していた祖母。彼の記憶の中の祖母は、まるまると肥えた大きな体を揺らしながら大きな声で笑っていた。

 だが、すぐに忘れてしまう。

「もっと若い魔女はいないのですか? 若いものから優先的に救出すべきでしょうに」

「マ、マーク様……!」

 虚をつかれたように目を丸めるピット。四角い顎が感動でワナワナと震えた。

「くっ……! 確かにマーク様の言う通り、若いものから優先に救って行くべきなのでしょう。ですが、あそこに囚われておられる魔女の傲慢の呪いは、かつて勇者アノンを最も苦しめた最強の呪いであると、歴史書にも書かれてあるのです。世界を救うためには、やはり最強の魔女から救出すべきなのです……!」

「はぁ、ちなみに一番若い魔女はいくつですか?」

「年齢はわかりませんが、暴食の魔女はまだ囚われて九年のはずです。しかし、暴食の呪いは強烈で、敵味方の区別なく襲われてしまう可能性があると歴史書には……」

 歴史書を盲信するピットは、眉を八の字に曲げて困った表情をした。

 マークは何か釈然としないように、遠くの白い壁を眺めた。

 この世界の〈ヒト〉は共通言語を話していた。恐らくは団結する必要があったからだろう。更に、宗教のようなものも統一されていた。皆、勇者アノンという過去の英雄を崇拝している。

 同じ言語で同じ歴史を学ぶ彼らに、なにゆえ魔女に対する認識の差異が生まれるのでしょう?

 マークは多少、気になった。だが、支配してしまえば関係のない話しかと、すぐに興味が薄れる。

「まぁいいでしょう。それより、どうやって魔女を救出するのです?」

「その事なのですか、非常に難しいと言わざるを得ません。あの城塞都市は魔封石と呼ばれる魔法の通じない強固な石で出来ておりまして……。更に各都市を多数の兵士と最上級魔術師で警護している為、侵入も難しく……」

「その魔封石とやらで魔術師も魔法が使えぬのでは?」

「魔封石は魔法が通じぬだけであって、魔法自体を封じるものではないので、彼らは大魔法を行使出来ます」

「では、試してみましょう」

「ええ!?」

 マークは大爆撃魔法を放った。爆撃は城塞都市の壁で爆発する。壁は無傷のようだった。

 確かに壊すのは難しそうですね。

 マークは頭をひねった。ピットは「早く逃げましょう」とマークの腕を引っ張る。

 都市から複数の魔術師が飛び出してきた。指輪は赤い光を放っている。

 マークはその魔術師たちを圧縮魔法で正確に潰していった。自分の行動で、世界同盟と軍が内戦を起こさないかと期待していたのだ。

 ピットは止めることもせず、唖然として潰されていく魔術師たちを見つめた。

 圧縮魔法には空気の圧縮、重力操作、時空を捻じ曲げる空間操作の三パターンが存在する。

 マークが発動している圧縮魔法はその威力からして、時空を捻じ曲げる空間操作であった。それは上級魔術師にも難しい魔法であり、遠距離での発動はほぼ不可能とされていた。

 このお方なら世界を救ってくださる……!

 ピットは歓声を上げた。だが、すぐに悲鳴に変わる。

 城塞都市ローネを守る最上級魔術師フランシス・ノエバの雷が、山に降り注いだ。

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