忍び寄る軍


「君にもう一度死んで貰わねばならない」

 雪のような少女の赤い唇。〈エルフ〉の大魔導師アリス・アスターシナの言葉は比喩では無かった。実際、春人はあの後すぐにアリスの手によって死ぬ事となった。



 混ざり合うように、溶け合うように、どろりと形を変えながら天地が流動する。むすりと腕を組んだ春人はその上に座っていた。

 二度目だ。

 春人は視線を上げた。巨大な流動体が周囲を流れ、白と黒の陰影が天地を覆っている。

 何故、死なねばならなかったのか。こちらに来てすぐに少女は説明を始めた。だが、憤怒の形相の春人は全く聞く耳を持たない。ムッと眉を顰めたアリスはすぐにまた流動体の中に沈んでいってしまったのだった。

 一人流動する陰影の上に取り残された春人は暫く無言で腕を組んでいた。やがて時間の経過が煮え立っていた彼の感情を沈めると、ふうっと深く息を吐いた春人は流動する天に向かって声を上げた。

「おーい、もう怒ってないから出て来いよ」

「話の続きだが」

 アリスは何事も無かったかのように現れた。春人は苦笑する。

「憤怒の魔女は死に、その罰は死んだ君の魂と混ざり合った」

「へえ」

「そのままでは奴らに気づかれる恐れがある為、君にこの亜空間に来てもらったのだ」

「奴らって誰だよ?」

「〈ヒト〉だ」

 無表情だったアリスの顔が、ほんの僅かに歪むのを春人は見逃さない。

「〈ヒト〉ねぇ……。ちょっと聞きたいんだが、お前ら〈エルフ〉って〈ヒト〉に合った事あるのか? ソフィアもそうだったが、なんか、一方的に〈ヒト〉に対して偏見を持ってる感じがするんだよな」

「あの子は合ったことがない。大半の子たちも合ったことは無いだろう。だが、私は彼らを知っている」

「俺も〈ヒト〉なわけだが」

「君は、違う。まだ言えないが、違う。あの世界の〈ヒト〉であり、無いとも言える。姿、特徴、精神、ほとんどが変わり無いのかもしれないが、本質が違う。君は、彼ら〈ヒト〉とは異なる存在だ」

「意味分かんねーよ。つーか、そもそも、住む世界が違うわけなんだしさ……」

「だから罰を背負った魂は、死後、君たちの世界へと帰ろうとする」

「はあ?」

「だが、帰れない。死んだ君たちの誰かと結びつき、またこちらの世界に戻ってしまう」

「なんだそりゃ?」

「呪いだ。永遠に続くであろう呪い。七つの呪いだ」

 よく分かんねえなと、春人は頭を掻いた。

「それが俺に憑いたってことなのか?」

「正確に言うと、違う」

「何がだよ?」

「言うと、また君は怒る」

 春人はため息をついた。

 まぁ、どうせ、あのまま死んでたわけだし、生き返っただけ儲けかな。

「で、これからどーするんだ?」

「……」

「おい? 俺ってあの世界の〈ヒト〉に見つかったらマズいわけか?」

 突然、アリスは凍りついたように動かなくなった。

 何なんだよ、コイツ。

 やれやれと春人は立ち上がった。

「おーい、アリスさん、聞こえてますか? どうしたっつーんだよ、いったい」

 春人は正面からアリスの顔を覗き込んだ。視点を一点に固めたままのアリスは指の一本も動かさない。瞳を覗くと、淡い白銀がこの亜空間と同じように流れ、混じり合っているのが見えた。

「おい、大丈夫……」

「馬鹿な」

 はっと瞳を揺らしたアリスは我に返ったように声を上げた。

「なんだよ?」

「早過ぎる」

「はあ?」

「奴は、あの場に居なかった。いくら奴でも、呪いが亜空間に移った後で気付けるはずがない。まして、それが……」

「だから何だよ、おい!」

 春人は怒りを抑えようと自分の髪を掴んだ。

 こんなガキに毎度イラつかされるなんて、これも呪いのせいなのか? 

 悲しみに近い感情が怒りと共に春人の心に湧き上がってくる。

「ハルト、予定変更だ」

「予定なんて何一つ聞いてねーよ!」

「もう我々の村にはもう戻れない。だが、あまり離れた位置にまで亜空間は伸ばせん。リリスの森の奥に君を送るから、そのまま村とは反対方向に降りて、後はひたすら北に進め」

「ちょっと待て、先ずリリスの森って何処だよ?」

「君がソフィアとキノコを採集していた森だ」

 ああ、あそこか……。

 つーか、何でコイツその事知ってんだ。まさか心とか読めないよな? 

 何かを疑うように目を細めた春人はアリスの白銀の瞳を睨んだ。予兆無しに沈む地面。うおっと、春人の体がよろける。

「時間がない。あちらとこちらは時間の流れが違う。いいかハルト、とにかく逃げろ」

「何から?」

「〈ヒト〉と……」

 途切れる言葉。沈む身体。

 地面に呑まれた春人は意識を失った。

 


 気がつくと春人は暗い森の中にいた。前とは違い、アリスが横に倒れている。

「おい、起きろ」

 春人はアリスの小さな体を揺すった。だが、起きる気配がない。

 まさか死んでねーよな?

 春人は、アリスの薄桃色の唇に耳を寄せた。微かな呼吸音が鼓膜を揺する。

 立ち上がった春人の頬を冷たい空気がかすめた。

 夜か? 

 春人は空を見上げた。満点の星空が広がっている。

 何か、おかしいぞ。

 春人は木々を見渡した。ソフィアといた森なら、蜘蛛の巣のように枝が絡み合っているはずだった。だが、空は開け、枯れていたはずの小川には水が流れている。

「アリス、起きろってば。お前、たぶん何か間違えてるぞ?」

 アリスの体を抱き抱えた春人はその白い頬をペチペチと叩いた。

 突然、ザッという音が春人の耳に届く。驚いた春人は身構える。すると、離れた木陰から誰かの声が響いた。

「貴様、そこで何をしている?」

 現れたのは髭を生やした大男だった。厚い毛皮の甲冑を身に纏い、手には野太い剣を握っている。

「あ、えっと……」

 驚いた春人は言葉を探した。すると大男の後ろから更に別の小柄な男が現れる。

「おいジング、何してる。隊を離れるな……、何だそいつらは?」

 小柄な男は大男の後ろに立ち、警戒したようにこちらを睨んだ。

「分からん。声がしたんで来てみたんだが、まさか〈ヒト〉がこんなところを彷徨いておるとは」

「〈ヒト〉だと? この辺りに〈ヒト〉の住む場所などないはずだぞ? まさか北方のサマルディア王国の者たちか?」

 ヤバいぞ……。

 春人の心臓が激しく鼓動した。

 何がなんだか分からんが、コイツらは明らかに友好的ではない。武装している上に、こちらを警戒している。

「あ、あの、わたくし旅商人にございまして……」

 サッと目尻に優しげな皺を寄せた春人は絞り出したような声を作った。

「旅商人だと? 嘘をつくな。旅商人ならば何故、隊も連れずにこんな森の中を歩いている? そもそも、この辺りに商売相手の〈ヒト〉などいないぞ」

 小柄な男は細い剣を抜く。

「いえ、わたくし共、サマルディアの商人は〈ヒト〉を相手にだけでは無く、他種族を相手にも商売を広げようと合作している所なのです」

「馬鹿な! 他種族を相手に商売など出来るものか!」

「ええ、もちろん我々〈ヒト〉と他種族は対立的関係にございます。ですが対立関係にある相手でも、利害が一致すれば商売になることもあるのです」

 春人は何事も無いかのように微笑みながら、頼むぞと拳を握った。

「利害の一致だと?」

「ええ、種族は違えど、欲望は同じで……」

「いや、商売の話などどうでもいい。貴様らがここで何をしているかが重要なのだ!」

「それは……」

「おい、ちょっと待て」

 大男は訝しむように剣先を下ろし、こちらを凝視した。

「其奴、〈エルフ〉ではあるまいか?」

 大男の視線に春人は息を呑んだ。

 マズい……。アリスの存在を意識してなかった。この世界で〈ヒト〉と〈エルフ〉は敵対していたはずだ。

「貴様! 何故〈エルフ〉の女と一緒にいる!」

「そ、それは……」

「答えろ! 返答によっては貴様の首を切り落とす」

 大男は肩を怒らせると、大剣を振り上げた。

「ちょ、ちょっと待ってください! いえ、その……これにはちょっと事情がありまして」

 春人は全身に嫌な汗を感じながらも、左手で頭を掻きながら笑みを浮かべた。そして、右手で下腹部を押さえながら腰を上げる。

「事情だと?」

「ええ、それはですね。えへへ、まぁ、わたくしの個人的な趣味と申しますか」

 春人は上目遣いにいやらしい笑みを浮かべた。それを見た小男は嫌悪感を露わにする。

「趣味だと?」

「もういいジング、我々の目的は魔女だ。すぐに隊に戻るぞ」

 小柄な男は剣を腰にしまうと、大男の肩に手を置いた。そして、春人に歩み寄ると、春人の顔を鋭く蹴り上げる。

「終わったら、ちゃんとその〈エルフ〉は始末しておけよ。ゲス野郎」

 小柄な男はペッと地面に唾を吐くと、大男と共に森の奥へ消えた。

 静寂が森を包む。二人が去った後の暗闇。春人は恐怖と痛みに震えながら、じっと蹲った。

 


 

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