傾斜の迷宮

ぺよーて

腐敗した水と暗い石室

第1話 黒い女


「ーーーっ……!?」


脊髄を虫が這ったような不快な寒気を感じ目が覚めた。


何も見えない暗い場所、目を開けても閉じてもただ墨汁のような暗闇が支配している。

恐る恐る手を伸ばしあたりを探れば冷たくヌルヌルとした固いものに触れた。


驚いて反射的に思わず手を引っ込め、息を殺してみれば、どこからか水が滴る音が聞こえる。


天井がどこにあるのか分からず、ゆっくりと腰を上げ足で下を探ってみれば運動靴越しにヌルヌルと床が滑るのを確認した。


眠りから冷めて耳がはっきりしてきて鼻も聞くようになると古くなって腐った水の匂いがした。


まるで川の中の石の上を歩いたようだと考え、床が石で作られたのではないかとも思えた。


手を開き慎重に歩みを進める俺は、突然鼻先に生暖かい風を感じそのままごつんと何か硬いものにぶつかった。


「きゃっ!?」


悲鳴のようなものを耳が拾った瞬間、驚いて反射的に後ろへ下がった俺は足を滑らせそのままバランスを崩し思いっきり頭を床にぶつけた。


「うっぐ!!?」


クソいてぇ!と叫びそうになるのを堪えたのは、何かの気配を感じたからだ。

先程の悲鳴しかり、生暖かい風しかり、向こうは暗闇からこちらを見えていて俺を隠れて見ていたのかも知れない。しかし俺だけが見えていない。そして向こうは獰猛な肉食獣だ。


と考えた。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。しかし、最悪を想定して動くのは悪いことではない。

いつでも立ち向かえるように腰を落として構えていた俺はぴたぴたと濡れた石の上を歩く音と何かが近づいてくる気配を感じ、ぬめる地面を滑るように後ろへ下がった。

しかしそこまで広い場所では無いようですぐ首が壁にぶつかった。床同様にぬるぬるとした不快な感触がした。首筋にあたっている不快な感触よりも近く気配に気を取られ正直不快さなんてあまり感じていなかった。




どう来るか、身構える俺に強い光が当てられる。


「まぶしっ」




「何故逃げるんです?」


突然のことに目が昏み思わず閉じかける。

相変わらず自らに光を浴びせる中、目をそらし奥をみると、水に反射したのか薄暗く壁や天井があることを確認できた。


しかし、自らを照らす人物は黒くのっぺりとしていて闇を固めたような恐ろしい人型であることに気づいてしまった。

視界に入れているだけで吐き気を催すその悍ましい姿ら目を逸らそうとしても身体がピクリとも動かず逃げることが出来ない。

更に言えば時間が止まっているかのように感じた。


だが俺に問いかける神の声もなければ目の前の女の声を出す黒い化け物が動き出すこともない。

ただ、何故逃げるのかと言ったきり固まっている。


襲い掛かられることはないと安堵の息をし、口から空気が流れたことに気づき口だけが動くことに気づいた。

ジメジメとした部屋の中瞼の上に額から染み出した汗が止まっている。

目も体も動かない。

唇が乾燥しているような気がして舌でペロリと舐めた。


言葉を発することが酷く恐ろしいようなそれでいてそうしなければいけないような使命感に駆られ、ぐちゃぐちゃになった感情を沈めるように、口を開いた。


「お、驚いた、っ……だけだ!」


言葉を発した瞬間、耳に風が吹き抜ける音や水が滴る音、自らの心臓の音、筋肉や骨が軋む音、衣服が擦れる音、唾を飲む音……音が洪水のように流れ込んできた。

今まで汗を流していなかったのが間違えていたかのようにぶわりと大量の汗が染み出して滝のように顔面を流れ落ちた。


ゆっくりと光を下げる目の前の存在から目をそらそうとする。

目も鼻もない口もない何もない、黒い人型を直視しては気がどうにかしてしまうと首を横に向けようとして聞き覚えのない声を聞いた。



「リクじゃん……はぁ」



リク……俺のことだ。聞いたことがない声、光の向こうにあったのは悍ましい黒い人型ではなく血の通った肌を持つ普通の女だった。


女を見る。すらりとした身体にさらりとした艶のある白髪、赤と青……ありえないような不思議な色のオッドアイを持ち、雪のような白い肌をしていた。美しい見た目とは裏腹に声は酷く枯れていて身は目は10代前半だというのが酷く不気味に思えた。まるで若さに執着する狂人が娘を引き裂いて皮を着たような、黒い人型とは違うなんとも言えない気持ち悪さを感じた。

血管の透けた白い肌や整った顔をみれば美しく仲良くなりたいと思う男性的な気持ちもあれば、本能的に気持ちが悪いと思う感情からどうも好きになれないと思い始めていた。

紺色のセーラー服に白のリボンをして懐中電灯でこちらを照らす少女だが、全く見覚えがない。

芸能活動もしてないないし、女友達もほとんどいないというのに、目の前の存在は俺のことを知っているらしい。


「……あんたは俺のことを知ってるようだが俺はお前に見覚えなんてないぞ」


「ああ、気にしないで」


酷い話だ。いきなり光を浴びせる拷問を受けて一方的に知ってるような素振りを見ず知らずの人物にされて、気にするなとは。


「あ……。じゃあ、あんた名前は?」


「そういうのは自分の方から名乗るものじゃないかしら?」


はぁ……とため息を心の中でついた。

ムカつく。生憎、俺はフェミニストじゃないんでね。見ず知らずの人間に女性だからって優しく出来やしない。

見た目も嫌いだとは思ったが、今のやりとりで性格も嫌な奴だと思った。


「ご存知だと思うが高橋陸だ。高橋"さん"でもいいし、高橋と呼び捨てしてくれてもかわまない」


「知ってるけど、まあいいわ。よろしくリク」


30か40も離れた女に礼儀っていう存在を教えてやろう頭の中で会話を組み立てはてと思う。見ず知らずの奴にわざわざそれを教えてやる必要はあるのか、というところだ。

たしかにリクと呼ばれるのは不快だが、それを注意したところでこいつが直すとは思えないし、仮に直す未来があるとしても嫌いなやつに教えてやる必要はない。

失礼なことをしてせいぜい恥を書けばいいと思い思いっきり拒絶してやることにした。




「あんた、礼儀っていうのを知らないみたいだな。リクって言いてえなら俺ともっと仲良くなってからにしてくれ。まあ俺はあんたのこと嫌いだからそんなこと一生ねぇとは思うがな」


その言葉に、『酷い』とか『私が何かした?』と言ってくるという俺の考えとは裏腹に目の前の女はニタニタと不快な笑みを浮かべて、何かを納得したように頷いている。


最悪だ。気持ち悪い。


はぁ、最悪だ。


悲しそうな顔をしたら謝ってそこから仲良くなれるように話を広げようと思ったがやめだ!やめ!


こんな気持ちの悪いやつと一緒にいられるかと、早くこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいになった。

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