第108話 見習い料理人と副料理長


「ソーセージ……」


「……なるほど、それは盲点でした」



 ブリギットが呟き、ガレイトが納得する。



「ああ、前に一度、クレメンタインエバーの肉を焼いて食ったことがあるんだが……」


「如何でしたか?」


「美味かった……!」



 エックハルトが噛みしめるように、溜めるように言う。



「そんなに……」


「ああ。いちおう塩や胡椒で簡単に味付けをしたんだが、それが余計に感じるくらい、肉自体に味が付いていたんだよ。塩味とは違う……酸味とも違う……あれはクレメンタインエバー特有の風味だったな」


「特有の……風味……」


「上手くは言えねえが……天然のオレンジソースみたいな、味はそこまで強くはないが、ほんのりと鼻から抜けるんだよ。それでいて、決して肉臭かったりはしなかったな」


「なるほど、肉自体に味が……」


「だな。それだけで一皿になるくらい……ん? おっと、そういえば、ガレイトさんはまだ食った事がなかったんだっけかな」


「はい、じつはまだ……」


「まぁ、クレメンタインエバーあれは、害獣は害獣でも、美味い害獣だからな。……人工的に育てることが出来ない分、市場に出ればすぐに売れちまうんだ」


「なるほど、だから市場で見たことがなかったのですね……」


「おう。店先に並びはするが、不定期で稀に……だからな。ちなみに肉質は、上質なミカンを食ってるだけあって、普通のイノシシよりもかなり柔らかいし、さっきも言ったが、臭みもない。多岐にわたって、いろいろと使える肉なんだが……」



 エックハルトはそこまで言って、ガレイトから目を逸らした。



「つまり、俺がソーセージを提案したのも、そういうことなんだよな……」


「……え?」


「あぁ……」



 ガレイトは首を傾げ、ブリギットは納得したように声をあげた。



「ソーセージっていうのは、基本、肉を詰める作業が面倒くさいだけで、決して作るのが難しいってことはないんだよ」


「ああ……そういう……」



 ここでガレイトも納得したようにうなずく。



「出来上がった後も……前菜にメイン、スープ……まぁ、色々な料理に使えるが、ただ茹でたり焼いたりするだけでもいい」


「……つまり、俺でも滅多にやらかし・・・・はしない、と」


「だな。……まぁ、卵が割れないからなんとも言えんが……おそらく、これが一番確実な方法だろう」


「あの、卵は割れるようになりましたので……!」


「ああ、そうなのか?」


「ええ、片手では無理ですが、両手でなら……一分ほどかけていいなら、問題なく……」


「卵ひとつで一分か……でもまぁ、あの頃から考えると、大きな進歩だな」


「……あ、あの、やっぱり爆発したんですか……たまご?」



 ブリギットがエックハルトに尋ねる。



「ん? ……ああ、ブリギットさんはご存じでしたか」



 エックハルトはそう言うと、笑いながら続ける。



「……いえね、このレストランに来た頃、ガレイトさんの料理の腕がどんなものかって確かめようと、簡単な卵焼きオムレツを作ってもらおうとしたんです」


「そ、それで……?」


「ぶ、ブリギットさん……!」



 興味津々といった様子で、エックハルトの話に耳を傾けるブリギット。

 ガレイトは恥ずかしそうに話を止めようとするが、エックハルトの口は止まらない。



「で、卵を持った瞬間……ボンって」


「えぇ……?」


「俺も、ここにいるシェフたちも、まさにそんな反応でした。『え?』って。何が起こったんだ? ってね」


「そ、そうなりますよね……」


「で、ガレイトさんが言うんですよ。『卵が破裂した』って。真顔でね」


「ぷっ」



 こらえきれなくなったのか、ブリギットが吹き出した。

 ガレイトは居心地が悪そうに、その場で腕組みをしている。



「……まぁ、いまでこそ笑い話として話せていますが、当時はまだ騎士団長を辞めたばかりってのもあって、ガレイトさんに危害を加えようとした、第三者の仕業なんじゃないかって大事になったんですよ」


「あ、そっか……!」


「そう。……で、結局ガレイトさんのバカみたいな握力で卵が爆発したことがわかって、それと同時に、ニーベルンブルク中にガレイトさんが、満足に飯も作れないって情報も知れ渡ったってわけです」


「な、なるほど……そんなことが……」


「笑い事じゃないですよ、エックハルトさん」


「ああ、すまねえな、ガレイトさん。つい懐かしくなっちまって……」


「はぁ……」



 ガレイトが呆れたようにため息をつく。



「でも、ソーセージかぁ……」



 話を聞き終わったブリギットが肉を見ながら、ぽつりとつぶやく。



「……ブリギットさん、ソーセージはご存じですか?」


「さ、さすがに知ってます……!」



 ガレイトにそう尋ねられると、ブリギットは頬を赤くしながら答えた。



「ですよね……ごめんなさい……」


「あの、ソーセージ……話は変わりますけど……それで、ガレイトさんが王様に出す料理が、ソーセージなのは私も賛成ですけど、その……皮の部分はどうするんですか?」


「皮……?」


「はい。ソーセージの皮……つまり、動物の腸がないとがないと……作れないんじゃ……?」


「あ」



 ガレイトが口を開けて固まる。



「そ、そうだ。広場のほうにあった肉屋が……」


「……いいや、たぶん腸は普通に店売りしてねえんじゃねえかな」


「そ、そうなんですか?」


「ああ、動物の腸なんてもんは基本的に店先には並ばない。そもそもソーセージなんてもんは自分で作るより、買ったほうがはやいからな」


「たしかに……ですが、もしかしたら譲ってもらえる可能性も……」


「まあ、言ったら分けてもらえるかもしれねえが……肉屋は基本的に、腸だけを余らせるようなことはしねえからなあ……」


「それはつまり、店の迷惑になってしまう……ということですね」


「だな」


「なら、どうすれば……」


「えーっと、じゃあ……今から王様に頼んで、羊の討伐任務を回してもらう……とかですか?」


「なるほど! ……ですが、はたして〝羊〟を討伐してほしいという依頼は……寄せられているのでしょうか?」


「それは……ほら、クレメンタインエバーみたいに、突然変異する固体がいるかも……」


「な、なるほど……!」


「たとえば……えっと、す、ストロベリー……ひつじさん……みたいな?」


「はっはっは! 面白いことを言いますな、ブリギットさん! そんな羊、すくなくともこのヴィルヘルムにはいませんよ!」



 エックハルトが楽しそうに笑ってみせる。



「うぅ……豪快に笑われた……でも、さすがにそんなに都合よくいませんよね……」


「……いや。まぁ、べつにいいか。ちょっと待っててください、おふたりさん」



 エックハルトはひとしきり笑った後、二人を残して厨房の奥へと消えていった。



 ◇



「──ほい」



 エックハルトがそう言って運んできたのは、白い半透明のゴムみたいな管だった。



「こ、これは……?」


「羊の腸だ」


「羊の? ということは……」


「ああ、持ってってくれて構わない」


「あ、ありがとうございます……! ですが、よろしいのですか?」


「おう。ほんとうは明日あたりに使う予定だったんだがな、気にしないでくれ」


「そうなんですか……? そんなものを……」


「気にしないでくれ。……それと、じつはそれ、結構いいものでな。普通の腸の倍以上の値段はするんだが……まぁ、これも気にしないでくれ」


「き、気にしろ、ということですか……?」


「はっはっは、冗談だ。……まあ、明日使う予定なのも、値段も本当なんだが……二人があれこれ頑張ってる姿を見てると、応援したくなってよ」


「エックハルトさん……」


「それに、ガレイトさんの件も全面的にガレイトさんだけが悪いってわけでもないし……そのお詫びだ」


「いえ、あれは完全に俺の……」


「おいおい、それ以上はややこしくなるから言いっこはなしだ。……まぁ、こんだけカッコつけといて工面できる食材が、それひとつなのは……あれだがな」


「そのようなことは……でも、ありがとうございます! 大事に使わせていただきます!」


「ああ。それしかねえんだ。大事に使ってくれ」



 エックハルトはそう言うと、ガレイトの上腕に手を置いた。



「……ガレイトさん、幸運、祈ってるよ」

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