第106話 見習い料理人とメニューの行方
ガレイトの
その食卓。
「──なるほど。それで、その二人にも……
イルザードが食事の手を止め、視線を窓の外、中庭のほうへと移す。
そこには、ひと際目を引く、巨大な猪王の屍が転がっていた。
「それにしても、もぐもぐ……すごい景観でござるな……」
サキガケが、口元を手で覆いながら話し始めた。
皿の上には薄く切ったハムやチーズ、ミカンなどの果物が置いてある。
「噴水。植木。青々とした芝生。そして、巨大猪の死体……で、ござるからな。なんというか、ものすごく混沌としているでござる。朝食時に見る光景ではござらんな……」
「フ、甘いなサキガケ殿」
イルザードはそう言って、白い歯をのぞかせる。
「……なにがでござる?」
「私はすでに慣れているからな」
「へぇ……左様にござるかぁ……」
サキガケは興味がなさそうに、もぐもぐと口を動かし、食事を再開する。
「ああ。したがって、こんなものは、ただの日常の風景に過ぎんのだ。言うなれば、昼下がりのティーブレイクのようなものだ」
「……いまは朝でござるが」
「おまえは茶など飲まんだろうが」
ガレイトとサキガケ。
二人からツッコミが飛んでくる。
「……それはそうと、がれいと殿」
「はい。なんでしょうか、サキガケさん」
「あの猪の死体、どうするつもりでござる?」
「そうですね。……必要な部位以外はすべて売ろうかと」
「しかし、はたして買い取ってくれるのでござろうか? あの量……」
「……そうですね。ここまでの塊肉をすべて引き取ってくれる場所はなさそうです。……ですので、今日一日はニーベルンブルクの肉屋を何軒か回ることになりそうですね」
「ああ、そうです。ガレイトさん」
「なんなんだ、おまえは。飯を食ったら、さっさと城の便所掃除へ行け」
「いらないのでしたら、私に売ってくれれば買いますよ」
「……何に使うつもりだ」
「え? それは……まぁ、色々と……」
「いや、やはり聞かん。聞かんし、やらん。おまえにだけは絶対に売らん」
「そんなぁ……」
「……それよりも、なぜまだここにいるんだ、おまえは」
「いちゃだめですか?」
「ダメだ」
「えぇ~……なんで?」
「なんでって……帰れと言ったろう。それに、カミールはどうした」
「カミール少年はエルロンド殿のところです」
「エルロンド殿の……?」
「はい。昨日言ってましたよね、少年はエルロンド殿の預かりになると」
「それはわかるが……なぜエルロンド殿のところへ? もしや、個別になにか特訓を……?」
「え? いや、まあ正確に言うと少年に割り振られた寮でしょうけどね」
「……おまえはもうすこし、正確な情報を伝えられるよう努力しろ」
「はっはっはっ! ……いやあ、それにしても、ここのパンは美味しいですね」
もぐもぐ。
イルザードは、卓上の
「ところでがれいと殿、その寮とは?」
「ああ、はい。なんらかの理由で家に帰れない者や、訓練に集中したい者、外国から来た騎士志望の者なんかが入寮できる施設です。寮内は清潔ですし、問題はないと思うのですが……」
「なにか、引っかかるような言い方でござるな」
「……じつは、なにやら飯がまずいようで」
「飯が……まずい?」
「はい。俺はどうとも思わなかったのですが、ほとんどの者たちが、そこで入団を断念していましたね」
「そ、そこまで……」
「なら、今日は少年にとって最後の晩餐になるかもしれませんね……」
「不吉なことを言うな」
「……あの、ガレイトさん、料理のことだけど……メニュー、決まったの?」
ガレイトの隣に座っていたブリギットが尋ねる。
「……いえ、じつはまだ。肉屋を回るついでに、なにかヒントでも……と」
「それもいいですけど、それなら──」
「それなら、丸焼きはどうですか?」
イルザードが手をあげて提案する。
「丸焼き……だと」
「はい、イノシシの丸焼き。あれなら不味くなることはないですし、なによりガレイトさんでも出来るくらい簡単でしょ?」
「簡単とは言うが、丸焼きは火の調節とか、結構難しいんだぞ?」
「それに……あのサイズの丸焼きってすごいことになりそう……」
ブリギットが小さい声で呟く。
「あら、そうなんですか?」
「ああ。だからこそ、部位ごとに小さく切り分けて、網や鉄板の上で焼くのだ」
「へ~、私なら生のまま食っちゃいますけどね」
「それは、いるざぁど殿が特殊なだけでは……?」
サキガケが呆れたようにツッコむ。
「……ところで、ブリギットさん、
「は、はい! あの、今日、〝グロースアルティヒ〟さんへ行くから、その時に調理法とか聞いたらどうかなって……」
「グロースアルティヒへ……ですか」
「うん。たしか、ヴィルヘルムって豚さんを使った料理が有名って聞いて……だから、味も似てるイノシシだから、ちょうどいいんじゃないかって……」
「なるほど……たしかにそうですね。約束の期日は明日……なら、今日教わっても全然間に合います」
「は、はい……! その……どうでしょうか?」
「無論、問題はありませんよ。……となると、事前に断りを入れておいたほうがいいですね」
「どうするんですか?」
「営業中はさすがに無理でしょうから、営業終了後に……」
「──うん? べつにそんな時間まで待たなくても、今から行ったらどうです?」
そう言って、イルザードが再び話に加わる。
「今から……か」
ガレイトが腕組みをして、首を傾げる。
「有名店ですから、おそらく仕込みは朝早くからやっているはずです。なので、そのついでに意見を聞けばいいのでは?」
「たしかにな。営業終了してから、帰宅時間をわざわざずらしてもらうほうが迷惑か……?」
「ちょ……ちょっと、待つでござる……!」
サキガケがぷるぷると体と唇を震わせながら、口を開く。
その瞳孔は開いており、食器を握る手には汗が滲んでいた。
「ど、どうかしましたか、サキガケさん」
「がれいと殿たちが今から料理店へ行くのなら──」
ゴクリ。
サキガケが生唾を飲み込み、再びを口を開く。
「誰が拙者を城まで送り届けてくれるのでござる……!?」
静まり返る食卓。
それを聞いたガレイトとブリギットは、困ったようにお互いの顔を見た。
「ああ、それなら、私が城まで送り届けますよ。今日もどうせ、便所掃除させられるんですし」
そう言って、スッと手を挙げるイルザード。
「か、かたじけない……ッ!」
サキガケは席を立ちあがると、腰を直角に曲げ、イルザードに頭を下げた。
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