第82話 見習い料理人は蛇の中
何も見えない、光さえ差し込まない、そんな真っ暗闇の蛇の体内。
そこで、もぞもぞ、バチャバチャと何かが蠢く。
そして──
「ブリギットさーん! サキガケさーん! カミール! ……いるかー!」
ガレイトの声が、あちこちに反響する。
体内は、ほとんどが海水で満たされており、海とほとんど変わらないような状態になっていた。
決定的に違っているのは光。
ただただ、不可視の巨大空間がそこに広がっている。
「あ、ガレイトさん……?」
「その声は……ブリギットさんですか?」
ザブザブザブ。
ガレイトが暗闇の中を、その声を頼りに泳ぐ。
「ガレイトさん、こっちです、こっち」
さらに、声のするほうへ進んでいくガレイト。
ピト。
やがて、ガレイトの指先が何かに触れる。
ガレイトは泳ぐのを止めて、その声の主に視線を移した。
「……ブリギットさん、ご無事でしたか?」
「ああっ、ガレイトさん、私……私、とっても……とぉっても、怖かったんだから──ねッ!?」
ゴツン。
ガレイトが狙いすましたように、その声の主の頭にこぶしを振り下ろす。
「悪ふざけが過ぎる。……時と状況を考えろ」
「……いやあ、だって、さっき私の名前だけ呼んでくれなかったし。ちょっと意地悪してやろうかと」
「おまえの心配などするか、馬鹿者」
「そんな……ひっく、ひっく、ぅぅ……ひどい……寄生虫じゃないんですから……」
「チッ……しょうもないウソ泣きをするな。癇に障る」
「ぅぅ……ぐすんぐすん……」
「……はぁ、悪かった。すこし言い過──」
「ぱぁ!」
イルザードは顔を覆っていた手を開くと、バカにするように舌を出した。
ゴツン。
何も見えない闇の中で、ガレイトのこぶしが綺麗にイルザードの脳天に直撃する。
「それよりも、やはりここは蛇の中なのでしょうか」
まるで何事もなかったように、真剣なトーンで話し始めるイルザード。
「……おそらくな」
「ということは、あの三人も……」
「ああ……」
「ところで、一緒ではないのですか?」
「いや。……どうやら、おまえとも一緒じゃないみたいだな」
「三人ともイカダに乗ってましたからね。呑み込まれたときに、どこかへ行ってしまったのでしょう」
「──とにかく、こんなところで駄弁っている時間などない。さっさと探しに行かなければ」
「ですが、何も見えませんよ。……目も慣れませんし、完全な闇です」
「だな。イルザード、光源は持っていないのか?」
「え? ああ、
「……そうか」
「はっはっは、残念でした」
「残念なのは貴様の頭だ。……ともかく、あれだけ声をあげて返事が聞こえてこないというのもおかしい」
「思ったよりも、遠くへ流されたということでしょうか?」
「……かもしれん。こんなことになるなら、俺も早めにイカダに──」
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
さきほどと同じように、海鳴りのような音が辺りに響く。
「……止んだようだな」
「あ、いま、耳がキーンとなりました」
「ああ、俺もだ。……おそらくこの蛇は、下へ──海底へと向かっているのだろう」
「え? ゆっくりと沈んでいっているってことですか? 直立不動のまま?」
「そうだ。不用意に時間をかければ、もし蛇の体外へ出られたとしても、今度は水圧で全員お陀仏だ」
「時間はそこまでかけられないということですね」
「ああ。だから、これからは二手に分かれて探すぞ。そのほうが効率が良いし、なによりさきほどの音の反響具合から、俺の声よりも、おまえの声のほうがよく届く──」
しゅぼっ!
なにかをこする音。
そして、その音と同時に激しく燃焼する花火のような明かりが、蛇の体内に灯る。
その灯りの正体は、イルザードの手の中の発煙筒のような物だった。
「……おい、おまえ」
「え? なんですか?」
「それ……」
「これですか?」
「なんなんだおまえ。……というか、なんなんだそれは」
「これは魔導灯の一種です。筒の中にある火種に熱を加え、燃焼させて明るくさせるやつですね」
「拾ったのか?」
「持ってましたよ? 最初から」
「さっき、何も持ってないと言っていたよな」
「いえ、非常時だから使おうかなって……」
「何を言っとるんだおまえは」
「たとえば──」
「は?」
「……たとえばですよ? 私たちが、何もない場所で遭難するとします」
「おまえの戯言に付き合う時間はないんだが」
「本当に何もなく、食べ物もない状態です。ガレイトさんはその状態で、生き残るためにすぐ私を食べますか? ……ああ、いちおう断っておきますが、性的な意味で、じゃないですからね?」
「………………」
ガレイトはイルザードの魔導灯をぶんどると、そのまま方向転換して、泳ぎ始めた。
イルザードもそれに続くようにして、平泳ぎでガレイトの後ろを泳ぐ。
「ですが……食べませんよね? 共食いというのは、つまり最終手段なわけですよ」
「………………」
「食人鬼とか言うサイコ野郎でない限り、だから生き残りたいがために同種同士で食い合うなんてことはしない」
ガレイトは返事をすることも、一瞥をくれることもなく、黙々と泳ぎ続ける。
「つまりですね、私が言いたいのは、
「……じゃあ、なぜ急に魔導灯を使うようになったのだ?」
暇でも潰すように、ガレイトが心底興味なさそうな声のトーンで、イルザードに尋ねる。
「それはですね。ガレイトさんが二手に分かれるとか言い出したからであって──」
ぉ……ー……ぅ……。
「おや? 今、なにか聞こえませんでしたか?」
「戯言の事か?」
「いえ、私の話ではなく」
「……戯言だという自覚はあったのだな」
イルザードはその場に留まると、両手を耳に当て、目を閉じた。
先を泳いでいたガレイトも、つられてその場に留まる。
「何をやっとるんだおまえは」
「いえ、ほら、よく聞いてみてください……なにか、声が……」
ぉー……ぅぃ。
「蛇の腹でも鳴っているのではないのか?」
「いやいや、そんな馬鹿な……」
「おーい!」
その声がはっきりと聞こえたのか、ガレイトは急に辺りをキョロキョロと見回し始めた。
「ほら、今のは聞こえましたよね?」
「ああ、だが、どこから──」
ドボーン!!
ガレイトとイルザードの間。
大きな音とともに、そこに大きな水柱が立つ。
「わぷ……!? なんなんだ、一体……!?」
「──ぷぁっ!」
ザバァ。
水面から顔を出したのはイケメンだった。
「ぜー……ぜー……はー……はー……おや、ガレイトの旦那じゃないか?」
「い、イケメンさん?」
「おお、ネーチャンもいたか」
「……チ」
イルザードが小さく舌打ちをする。
「なぜ、上から?」
「いや、それがさっぱりわからねえんだ。急に暗くなったと思ったらよ──」
「……ぅぅぅぅぁぁああああああああああ!?」
ガレイトたちの頭上──
そこから、人がまるで雨のように降って来ていた。
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