第46話 元最強騎士と元部下の別れ


「モーセさん、もしかしてそれは、全身黒ずくめで、身長がすこし低めの方では……?」


「あら、知っておられるのですか、ガレイトさん」


「知っているも何も、我々はすでに山で、その戦闘員と接触しています」



 その場にいたイルザードとグラトニーが頷く。



「戦闘員……」



 何か引っかかるのか、モーセは眉を顰めると、すこし俯いた。



「その方もサキガケと名乗っていました」


「黒髪で、髪を後ろに縛っていましたか……?」


「いえ、目だけを出した黒い布で顔全体を覆っていましたので、そこまでは確認できていません」


「……そうですか。ですが、あたしが記憶している限りだと、サキガケさんは戦闘員ではないと思いますよ?」


「戦闘員ではない?」


「ガレイトさん、その方はご自身の事を、戦闘員と言っていましたか?」


「言っていませんが……ということは、もしかして……」


「はい。サキガケさんはあたしと同じ、波浪輪悪の職員です」


「そ、そうだったんですか……」


「じゃが、見たことろ、あのサキガケとかいう者、かなり場馴れしておったがの」


「そうですね。まずはそこから話したほうがよさそう……なのですが──」



 モーセがイルザードを見る。



「む、なんだ?」


「ここから先の会話はすこし込み入ったものになってきますので……」



 モーセにそう言われると、イルザードは頬を緩ませた。



「なるほど。部外者はここらで退場願いたい……ということか」


「すみません。大事なことですので」


「いや、謝らなくていい。どのみち、そろそろ帰るつもりだったのだ。長居してはガレイトさんに迷惑がかかるしな」


「すでに迷惑だがな」



 ガレイトがぽつりと呟くが、それをかき消すようにモニカがパチンと手を合わせる。



「よし、じゃあキリもいいし。そろそろイルザードさんの送別会でもしよっか」


「送別会?」



 イルザードが首を傾げる。



「おまえがもうヴィルヘルムへ帰るから、モニカさんが企画してくださったんだ。感謝しろよ」


「私のために……ですか?」


「──で、できました……!」



 厨房からブリギットの声が聞こえてくる。

 それと同時に、店内にすこし鴨肉特有のすこしツンとした臭いが漂い始める。



「お、もう出来たみたいだね」



 モニカは立ち上がり、厨房のほうを一瞥すると、処理の終わった野草数本を手に、厨房まで早歩きで向かった。

 しばらくして、今度は店内に芳しい出汁の香りが漂い始める。



「んじゃ、そっち持っていくからねー!」



 モニカがそう言うと、ガレイトはテーブルに敷き詰められた野草を抱え、別のテーブルの上へと移す。

 グラトニーがテーブルに鍋敷きを置くと、大きな鍋を抱えたモニカが、よたよたと歩きながら、そこへ静かに置いた。

 ぐつぐつぐつ……!

 鍋の中で艶のある鴨の肉と、モニカが下処理をしていた野草が煮えている。

 ガレイトはそれを見ると、モニカの顔を見た。



「モニカさん、これは……」


「鴨鍋だよ」


「鴨鍋……ですか」


「ふふ……なに? がっかりした?」



 すこしだけ目を伏せたガレイトに、モニカがめざとくツッコんだ。



「い、いえ、そのようなことは……ブリギットさんやモニカさんが作る料理は、どれも美味しいですので……たとえ二日連続で食べても……はい」


「はい。ってなによ、はいって」


「す、すみません……」


「……でも大丈夫。ガレイトさんたち鴨狩組の三人はすでに食べたって聞いたけど、あの時は山の中で、まともな調味料とかなかったでしょ?」


「ああ、はい。たしかに、鴨だけの味というか……」


「だから、今回はその豪華版……というには、肉以外の具が微妙だけど、それでも全然違うから、遠慮せず食べてみてよ」



 モニカがそう言うと、厨房のほうから人数分の食器を持ってブリギットが現れる。

 モニカは、ガレイトがそれを受け取ったのを見ると、ガレイトの取り皿に素早くよそってみせた。



「い、いただきます……」



 ガレイトはそう言うと、ゆっくり汁に口をつけた。

 ゴクン……。

 汁を飲み込んだガレイトは、カッと目を見開くと、プリプリとした皮付きの肉を口へ放り込んだ。

 もぐもぐもぐ……。

 ガレイトは鼻息をすこし荒げながら、味わうように鴨肉を咀嚼している。



「どう?」



 モニカが他の取り皿によそいながら、ガレイトに尋ねる。



「う、美味いです。……とても」


「でしょ? 全然違うでしょ?」


「はい。山の中で食べた物よりも断然こちらのほうが。あの時感じていた肉の臭みが全くない……あの、この野草はなんだったのですか?」



 ガレイトが野草を箸でつまむと、そのまま口の中へと入れた。



「すこし苦味はありますが、噛むたびに鼻にツンとしたセロリのような良い香りが……スイセンですか?」


「いや、そんなの食べないから。……これは芹だね」


「セリ……?」


「本当はネギとか三つ葉とか、もっと洒落しゃれた物入れたかったんだけどさ、さすがにそういう、お店で並んでそうな・・・・・・・・・食材はまだ売ってないみたいだからさ、自分たちでとりに行ったの」


「ああ、なるほど。では、このセリが肉の臭みを消しているのですね」


「うん、それもあるけど……」


「それだけじゃお肉の臭いは完全に消えないから、お酒も入れてるんです」



 ブリギットが取り皿と箸を持ちながら答えた。



「酒……ですか?」


「うん。お米から作ったお酒だよ」


「米から……」


「度数はそんなに高くないから、他のお酒よりもちょっと甘いお酒なんです。だから、熱でアルコール飛ばせば、甘みだけが残るの。鴨肉はお酒とよく合うし、そこにセリを入れたら、アクセントにもなるんだよ」


「なるほど……それで、肉の中にほのかな甘みも感じるのですね」


「はい。お肉とお酒って、基本相性がいいから、覚えておくと……その、いいかもですね」


「ふむふむ……勉強になります」



 ガレイトは持っていた取り皿をテーブルに置くと、メモ帳を取り出してサラサラとペンを走らせた。



「……美味い」



 ぽつりとイルザードが呟く。

 それを聞いたガレイトは、まるで自分の事のように嬉しそうにした。



「ふ、どうだ。ブリギットさんの作った料理は美味しいだろ?」


「はい。私にはいまいち、何がどう美味しいのか説明できませんが、これが美味しいというのはわかります」


「相変わらず何を言っているのか分からんが、おまえが満足しているのなら何よりだ」



 ガレイトがそう言うと、イルザードはすこし不服そうな顔でガレイトを見上げた。



「……満足はしてませんけどね」


「どういう意味だ?」



 イルザードはガレイトの問いを無視すると、雑に肉を口の中へと放り込んでいった。





 オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの前。

 自分の身の丈ほどあるカバンを手に、イルザードは頭をスッと下げた。



「この度は、突然の来訪にも関わらず、快く迎えてくれて感謝する」


「ううん、こちらこそレンチンの件でいろいろ助かったよ」


「フ……なに、あんなのは助けた内には入らんさ」


「だからさ、よかったらまた来てよ」


「……いいのか?」


「うん。あたしもブリも、腕によりをかけてご馳走を作るからさ」



 モニカがそう言うと、ブリギットもこくこくと頷いた。

 それを見たガレイトは、口から出かけていた『もう来ないでいい』を引っ込めた。



「ありがとうモニカ殿。そう言ってもらえると、私の心も軽くなる。心残りがないと言えば……」



 イルザードはそこでガレイトを一瞥した。



「まあ、嘘になるが、ガレイトさんの元気そうな……充実した顔が見れて満足だ」



 イルザードはそう言うと、再びガレイトたちに頭を下げた。



「それでは──」


「イルザード」



 イルザードが踵を返そうとして、ガレイトが呼び止める。



「なんですか、ガレイトさん」


「……今回は無理だったが、次こそは約束通り、誰に出しても恥ずかしくない料理を作って、おまえに食べさせてやる」



 それを聞いたイルザードは、驚いたように目を見開いて、口をあんぐりと開けた。



「や、約束……覚えていたのですか……!?」


「無論だ。……だから、その時になるまで勝手に来たりするんじゃないぞ」


「は、はい……! ガレイトさんが一人前になるまで、私、ずっと待ってますから……!」


「達者でな、イルザード」


「はい! ガレイトさんこそ、お元気で……!」



 イルザードはそう言うと、再び歩を進めた。

 帰り際のイルザードの足取りは、すこし軽いように見受けられた。

 それを笑って見送っていたモニカは、茶化すように、ガレイトのわき腹を肘でつついた。



「……なんだかんだいって、ガレイトさんもイルザードさんの事大事に思ってるんじゃん」



 モニカがそう言うと、ガレイトは真顔で口を開いた。



「いえ、こうでも言わないと、あいつまた来るかもしれないので」

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