第25話 元最強騎士とハーフエルフ
「──というわけで、これからここの店員兼、パパの料理試食係として働くことになったグラトニーじゃ! よきにはからえ!」
「わっはっは!」という高笑いが鳴り響く、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカのホール。そこでグラトニーは、ぶかぶかのエプロンを身に着けながら、でん、と腰に手を当て、上半身を後ろにそらしていた。
「なんか新人のくせに態度がデカいな……」
「そこが妾の取り柄だし」
「……まあ、べつに粛々とやってほしかったわけじゃないんだけど……」
モニカは顔を上げると、改めてグラトニーと向かい合った。
「改めてよろしくね、グラトニーちゃん」
「うむ! パパともどもよろしく頼むぞ!」
「──な、生意気……! ナマイキかわいい……!」
モニカの陰に隠れて様子を窺っていたブリギットがぬるりと出てくると、いきなりグラトニーの頭をわしゃわしゃと撫でまわしはじめた。
「ぬああああああああ!? なんじゃ貴様! 何をするんじゃ!!」
「よーしよしよしよしよしよしよしよしよし……」
「き、聞いちゃあいねえ……つか、やめんか! 無礼じゃろ!」
グラトニーが強引にブリギットを引きはがす。
しかしブリギットはまるで磁石のように、グラトニーの横にピトっとくっついた。
「ねえ、あなたいくつ?」
「はあ?」
「どこから来たの? ガレイトさんのことパパって言ってたけど、やっぱり親子なの? 趣味は? 特技は? 好きな食べ物は? 苦手な食べ物は? 言ってくれたらお姉ちゃん、なんでも作ってあげるよ?」
ブリギットから矢継ぎ早に飛んでくる質問に困惑したのか、グラトニーは泣きそうな顔でガレイトのエプロンを引っ張った。
「ななな、なんなんじゃ、この馴れ馴れしい娘っ子は……!?」
「私はブリギットっていうの」
「ブリギット……」
「いまは臨時だけど、ここで料理長やってるんだ」
「り、料理長!? ということは、この娘っ子がパパよりも(腕っぷし的に)何倍も強いということなのか……!」
「はい。俺なんかとは比べ物にならないほど(料理の腕が)強い人です」
「くっ……! ということは、妾からすれば雲の上のような存在……! ……そうには見えんが……」
わなわなと震えるグラトニー。
しかしブリギットは、そんなグラトニーのほっぺたを揉みしだいている。
「この辱めも、今は甘んじて受けるほかないということか……!」
グラトニーはそう自分に言い聞かせると、きゅっと目を閉じ
「……驚いてる?」
モニカはガレイトの隣までやってくると、こそっと耳打ちをした。
「ああ、いえ。ただ、ここに来てからずっと避けられていたので、まさか、グラトニーさんがここまでブリギットさんにウケるとは……」
「まあ、あの子、珍しい調理具と可愛いものに目がないからね」
「なるほど。そうでしたか……」
ガレイトはそれを聞くと、懐から包丁を取り出した。
すらりと光る包丁の刃。
ガレイトはその包丁を手に、じりじりとブリギットに詰め寄っていく。
「ほぅら、こわくないですよ~」
それを見たブリギットは、全身の毛を猫のように逆立て、ガレイトを威嚇した。
「フシー!! フシー!!」
「ほらほら、ブリギットさんの好きな、珍しい包丁ですよ~」
「フー!! フー!!」
「ほらほらほ──」
「やめんか」
モニカのツッコミが、ガレイトの腰に炸裂する。
「ブリが怖がってるでしょ」
「いや、でも……包丁……」
「……よく考えてみ? 大男が包丁を持ちながら、にやけ顔で近づいてきたら、ガレイトさんどうする?」
「倒します」
「……よかったね。倒されなくて」
「くっ! まだまだ、俺への警戒心が解けるのは先ということか……!」
「いや、今のはどう見ても、逆効果だと思うけど……それよりも、ほら、作ってきたよ、これ」
モニカはそう言うと、底に糸が通されている紙コップ二つを取り出した。
どう見ても糸電話である。
「こ、これは……?」
「糸電話」
「そ、それはわかっているのですが……なぜ?」
「このままじゃブリとガレイトさんの意思疎通が難しそうだから」
「あー……」
「なんか策を考えてくるって言ったでしょ? それがこれ」
「なるほど。これを使って会話を……! さすがはモニカさん。……ですが、これなら普通に話せばいいのでは?」
「ふふふ。このあたしを舐めないでもらいたい。そんなことは織り込み済みなのだよ、ガレイトさん」
「は、はぁ……」
「なんとこの糸電話……糸の部分が長い!」
モニカはそう言うとコップを両手で持ち、びよんびよんと伸ばして見せた。
「これなら遠くまで離れても大丈夫。厨房内ならどこへいても届くよ」
「な、なるほど……!」
「さらに……」
「まだあるのですか!」
「糸電話を使うことによって、顔と顔を合わせなくても大丈夫」
「た、たしかに……!」
「でしょ? すごいでしょ、この策!」
「……ですがモニカさん」
「ん?」
「やはり、普通に話せばいいだけでは?」
「……まあ、そうなんだけど、せっかく作ったんだから使ってみてよ」
「そうですね。ありがたく頂戴します」
「うん、じゃあ、そっち持って」
「え?」
「テストしないと、テスト」
「は、はぁ……」
モニカは持っていた紙コップをひとつガレイトに渡すと、そのままガレイトから少し離れた。
「聞こえますかー?」
「……糸を伝ってきている音なのか、実際にモニカさんが話している音なのかはわかりませんが、聞こえています!」
「なら大丈夫かな?」
「大丈夫……なのでしょうか?」
「というわけで、ほい! 大事に使ってね」
モニカはそう言うと、手に持っていた糸電話を強引にガレイトに押し付けた。
「そういえば──」
突然、何か思いついたようにグラトニーが声を上げる。
「そういえば、なんでこんなところにエルフがおるんじゃ? エルフっつったら人間嫌いで、森の中とかに住んどる変わり者のはずじゃが……」
ピタ……。
今までブリギットがグラトニーを撫でてていた手が止まる。
それに呼応するように、いままで楽しそうに笑っていたモニカの表情も、今では張り付いたような表情になっていた。
「……なんじゃこの空気。もしかして妾、いらんこと言ってしもたか?」
「な、なんでわかったの? 私、いつも……帽子かぶってるし、それに──」
「帽子? ああ、エルフ特有のとんがった耳の事か?」
「う、うん……」
「まあ、耳を隠そうが、妾はニオイでわかるからの」
「に、ニオイ……?」
「そうじゃ。もちろん個人差もあるが、人間は人間のニオイがして、エルフはエルフのニオイがするんじゃよ」
「どんなニオイなの、それ」
モニカがそう尋ねると、グラトニーは顎に手を当て、少し唸った。
「そうじゃな。人間はすこしすっぱいニオイがする」
「す、すっぱい……」
「すっぱいっつっても、パパの枕みたいなニオイではないぞ? もっとこう、肉が熟成したような、すっぱい感じじゃ」
「お、俺の枕……すっぱかったんだ……」
人知れずショックを受けるガレイト。
「エルフは甘いニオイじゃの。フルーティな。……ただまあ、お主は少しばかり、そのニオイが
「に、ニオイって……グラトニーちゃん、あなたは一体……?」
自身の正体を明かしていいものか、とグラトニーはガレイトとモニカを見た。
モニカは深いため息をつくと、グラトニーの正体と、こうなった経緯を簡潔にブリギットに話した。
ブリギットはおおよその話を聞き終わると、深刻そうな顔でグラトニーを見た。
「──〝吸血鬼〟グラトニーちゃんって、あのおとぎ話の中のグラトニーなの?」
「そのグラトニーがどういう存在かは知らんが、そういうことじゃ」
「ほぁぁ……!」
「ふっ。驚いて声も出んか。じゃが、これで理解したようじゃな。妾が如何に高潔で、風光明媚であるかを」
「風光明媚はちょっと違うんじゃないかな……」
モニカが小さくツッコミを入れるその横で、ブリギットひとり顔を伏せ、小さく震えた。
「……それにしても、ガレイトさんはあまり驚かないんだね」
「グラトニーさんが吸血鬼だったことにですか?」
「いやいや、その……ブリがエルフだったことにだよ」
「……それがその、じつは初日に、ブリギットさんとお会いした際、見ていて……」
「あれ? そうなの?」
「はい」
「……でも、黙ってたんだ?」
「そうですね。エルフの方がこのような人里にいるのには、何か
ガレイトの話を聞いたモニカは、ふっと頬を緩ませると、未だに震えているブリギットを尻目に、ガレイトに向き合った。
「あー……もう、わかっちゃったから言うけど、ブリってエルフなんだよ」
モニカの言葉を聞いたガレイトが首をかしげる。
「どうかした? ガレイトさん?」
「いえ、その、ちょっと……」
「なんか気になることでもあった?」
「はい。俺が以前、ダグザさんとお会いした時……ダグザさんはたしか、人間だったような……」
「うん。ダグザオーナーは、正真正銘、普通の人間だよ。……いや、全然普通ではないけど……血でいえば、普通だね」
「ですが、ブリギットさんはダグザさんのお孫さん、なのですよね?」
「うん。正真正銘、血のつながった家族だよ」
「でしたら……」
「──ブリは……この子はね、ハーフエルフなの」
「ハーフエルフ……人とエルフの……ということは、ダグザさんのご夫人が──」
「ううん。エルフなのは、ブリのお母さんのほう」
「なるほどの! じゃから、エルフにしては変なニオイがしたのか!」
「変なって……うん、そういうこと」
「ふむ……じゃが待てよ? エルフって人間を心底嫌っておらんかったか? もしかして、この時代はそうでもないのか?」
「ううん。ここ最近で人とエルフの関係がよくなった……とかは聞かないかな」
「はい。俺も料理人とはいえ、ギルドに所属していた身ですので、そういった話を耳にすることはありましたが、いまも大多数のエルフは、基本的に人里から離れた森などに集落を築いていると聞きます」
「ほぅ……まあ、おぬしら見た目は似とるしな。発情対象を間違えることくらいあるんじゃろ。……知らんけど」
「いやいや、グラトニーちゃん、吸血鬼だってあんま変わんないよ?」
「はあ?! 全っ然、違うじゃろがぃ! 貴様ら類人猿と一緒にすな!」
グラトニーが地団太を踏みながら怒る。
「も、ものすごい選民意識……」
「しかしモニカさん、なぜその話を俺たちに?」
「もうバレてるんだったら隠す必要もないかなって。それに、ガレイトさんもなんでブリがこんなにオドオドしてるか、気になってたでしょ?」
「いや、めっちゃ馴れ馴れしかったぞ」
「グラトニーさんはすこし静かにしていてください」
ガレイトがぴしゃりと言う。
「……ということは、ブリギットさんが引っ込み思案なのは、やはり……?」
「うん。ブリはハーフエルフだってことで、昔から何度も危ない目に遭ってるんだよ」
「そう、でしたか……」
ガレイトが沈痛な面持ちで、ホールの床を見た。
「なんじゃなんじゃ。どういうことじゃ。妾にわかるよう説明せんか」
「……高く売れるのです。エルフという種族は」
「高く売れる……?」
「人身売買……この場合はエルフなので、正確には
「なぐさめもの……ねえ……」
「はい。ですからその分、競売などでも高い値段で競りにかけられ、その目的で盗賊などがエルフの里を襲撃する事件が、昔から絶えないのです」
話を聞いていたグラトニーが、責めるような視線をガレイトに向ける。
「か~……おぬしら、まーだそんな事やってたんか。進歩せんのぉ~……」
「人を散々顎で使ってた吸血鬼がなんか言ってるよ……」
「こらこら、誤解するでない。人間どもは嬉々として、妾の言う事に従っておっただけじゃ」
「なんか魔法でも使ってたんでしょ?」
「……でもま、武力を以て他を支配するなど、言語道断」
「いや、マジで使ってたんかい」
「じゃが、力づくよりもマシじゃろうが。そろそろ恥を知るがよいぞ? な?」
「〝な?〟 って……それだったらわざわざ封印されるはずが……」
モニカが言いかけて、ため息をつく。
「……まあいいや。話を戻すけど、昔から、ブリはエルフ……厳密に言うとハーフエルフだけど、そのことで、色々な人から狙われてたの。しかも、そういうのを生業にしてる人って、みんな強面で体格もいいからさ……」
「俺を見て気絶したのですね……」
「なるほど。たしかにパパ、黙ってたら指名手配犯とかにしか見えんしの」
「し、指名手配犯……!?」
「しかもかなり凶悪なやつ」
「きょ、凶悪……!」
精神的なダメージが大きかったのか、ガレイトは肩を落として俯いた。
「そ、そう、でしたか、そうとも知らず、俺というやつはむやみやたらにブリギットさんを驚かせて……」
「いやいや、さすがにそこまではないから」
「やーいやーい。妾のパパ、顔面おっばけやーしきー! ……あれ?」
「……グラトニーちゃんも、マジでガレイトさんへこんでるから、変なこと言わない」
「半分本気だったんじゃが……しっかし、耳を隠すために、四六時中帽子をかぶっているとは……蒸れるぞ?」
「ブリってば、そんなに汗かかないから大丈夫だと思う」
「ま、でもなんか、小手先で誤魔化してるって感じじゃな。効果はあるのか?」
「そもそもブリってば普段から引きこもりがちだし、料理人だしで、ずっとコック帽かぶってても自然だからね」
「そういえばそうじゃの。コックなら自然か」
「……とりあえず、そういうこと。で、この話は終わり。なんか流れでグラトニーちゃんにも話しちゃったけど、このことは絶対に他言無用だから」
「なんで妾のほうばっか見るんじゃ」
「口が軽そうだから」
「バッサリじゃな」
「……グラトニーさん」
話を聞いていたガレイトが、くぎを刺すようにグラトニーに言う。
「わかっとるわかっとる。そもそも妾は売った買ったとか興味ないし。安心せい」
「……モニカさん、俺も、常にブリギットさんの周りには注意を払います」
「うん、ありがとうガレイトさん。……ブリ、とりあえず、こんな感じでいいよね?」
モニカがブリギットに問いかけるが、ブリギットからは特に返事はなく、相変わらず俯いているばかりだった。
「ブリ? 大丈夫? もしかして、気分悪くなっちゃった? 今日はもう休む?」
それでも返事をしないブリギットを変に思ったのか、グラトニーはブリギットの顔を下から覗き見た。
「お、おい……この娘っ子、気絶しとるぞ……! しかも立ったまま……!」
それを聞いたモニカは手で顔を覆うと、そのままガレイトに向かって口を開いた。
「……ガレイトさん、ブリを運ぶの手伝って」
「はい……」
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