第12話 元最強騎士と就職試験 その2


 白と淡い青、そして銀色で統一された清潔感のある厨房。

 顔が映り込むほどに磨き込まれたシンクや、調理器具類。厨房内の明かりを受け、光を反射する食器類等々、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの厨房はその隅々にまで、清掃が行き届いていた。



「改めて見ても、かなり綺麗な厨房ですね……」



 ガレイトが感心したように、厨房内を見回しながら言った。

 モニカの指示で、その顔からはすでに、さきほどまであった見苦しい化粧は取り除かれていた。



「綺麗……にはしてるつもりだけど、べつにレストランだと普通じゃないかな? それに、もし、食中毒なんて出た日にゃ、全部店の責任になるからね」


「そうなんですね。それも、ダグザさんの意向なのですか?」


「意向っていうか……、まあ、そうだね。あの人はこういうのにうるさい人だったから、あたしもブリも、自然とこういうのが身についたんだと思うよ」


「なるほど……」


「さ、ガレイトさん、感心してる場合じゃないよ。今試されてるのは、あたしらじゃなくてガレイトさんだ。しっかり頼むよ。たぶん、今もブリが見てると思うし」


「は、はい!」



 べちゃ。

 モニカがまな板の上に一匹の小さな魚を置いた。



「こ、これは……?」


「ああ、ごめんごめん。いちおう試験用の魚として、それなりの魚を用意しようと思ったんだけど、雑魚それしか用意できなくてね」



 モニカに言われると、ガレイトはその魚の尾ひれをつまみ、じっと見つめた。



「なるほど。では、この魚を……」


「うん。内臓や骨の位置は他の魚と変わらないから、とりあえず三枚におろしてくれる?」


「三枚……? おろす?」



 ガレイトは魚をつまんだまま、モニカの顔を見た。モニカも訊き返されるとは思っていなかったのか、目をぱちくりとさせ、首を傾げた。



「うん? ……えっと、伝わらなかったかな? うろこをとって、肉、骨、内蔵に分けてくれる?」


「ああ、なるほど。下処理ですね」


「あ、そっか。ガレイトさんの地元じゃ〝三枚おろし〟って言わないのかな?」


「言わ……どうなんでしょう? あまり聞いたことはないですね」


「そ、そうなんだ……まあ、たしかに結構特殊(?)な言い回しだもんね……」



 ガレイトはなぜか愛想笑いを浮かべると、手に持っていた包みから、先日、ドラゴン・モヒートを両断した包丁を取り出した。



「わ……!」


「ほぇえ……!」



 その瞬間、モニカと物陰から試験の様子を窺っていたブリギットが声を上げた。

 ガレイトの取り出した包丁は、その刃が濡れたような波紋を帯びており、厨房の明かりを受けて、ユラリと妖しく、美しい光を反射した。



「あたしさ、調理器具については素人だけど、なんというか、すごい包丁を持ってるんだね、ガレイトさん。綺麗……」


「はい。以前、俺が騎……傭兵時代に使用していた大刀けんを加工して作った一品です」


「へえ。じゃあ、思い出の品ってやつだ」


「はい。形こそ違いますが、やはり握っていてしっくりきます」


「──あのぅ! に、握ってみても、よかですか……っ!」



 どこからか現れたブリギットが目を輝かせながら、ふんふんと鼻息を荒げながら、両手を差し出している。



「ああ、ごめんねガレイトさん、この子、包丁マニア……というか、珍しい調理器具なんかが大好きでね。たまに露店で珍しいのが売ってたりすると、何時間も眺めてるんだよ」


「そ、そうでしたか……」



 ガレイトはもう一度ブリギットを見ると、ブリギットが持ちやすいように持ちなおし、ゆっくりと手渡した。



「気を付けてくださいブリギットさん。この包丁、それなりに重たい──」


「へ、へへへ……あ、ありがとうございや──重っ!?」



 ガキィン!

 包丁はブリギットの手から零れ落ちると、そのまま厨房の床にずっぽりと深く突き刺さってしまった。



「ちょ、ブリ、何やってんの! 危ないなぁ!」


「で、でも、モニモニ、この包丁、すごく重くて……!」


「だから、ガレイトさんが最初に言ってたじゃん。重たい……て、え? ちょ、なにこれ……!?」



 モニカは床に刺さった包丁を拾い上げようとするが、まったく持ち上がらない。



「す、すみません。まさかそこまでとは……」



 ガレイトは恥ずかしそうに頭をかくと、そのまま、何事もなくスポッと床から包丁を抜き、拾い上げた。



「この床も弁償させていただきます」


「いや、それはブリがやったことだから、べつにいいんだけど……なにその包丁? 普段、そんなの持ち歩いてるの?」


「はい。基本的には、寝るときや風呂に入るとき以外は、肌身離さず持ち歩いています」


「大事なものだもんね」


「はい。もちろん大事なものではあるのですが、盗まれる心配……というよりも、この包丁、よく切れますので」


「たしかに。ただ落ちただけなのに、床に深く刺さっちゃったし、普通の包丁じゃこうはならないもんね」


「ええ、じつはこれ、俺の大刀だったものをそのまま・・・・加工したので、切れ味もそのままなんです」


「どういうこと?」


「そのままの意味ですよ。元は俺の身の丈ほどあった大刀でしたが、職人さんに無茶言って、このサイズまで落とし込んでもらったんです」


「え? 元の刀を削ったとかじゃなくて、そっくりそのまま小さくしてもらったって事?」


「はい。だから、重さはそのまま加工前と一緒くらいですね」


「はわわ……そ、そんな事ができちゃうんだ……ガレイトさんの地元の職人さんってすごい……」



 ブリギットが目を輝かせながら、ガレイトの包丁をまじまじと見る。



「はい。俺も、とてもお世話になりました」


「へぇ……じゃあ、こりゃ、期待大だね。そんなすごい包丁を持ってる料理人さんなんだから。うかうかしてると、料理長の座を奪われるかもよ?」



 モニカは冗談ぽく「うりうり」と言いながら、肘で横にいるブリギットをつついた。



「そ、それはそれで、私も楽できそう……」


「おい」



 ブリギットはモニカに突っ込まれると、再び奥のほうへ小走りで戻っていき、また半身だけ出してガレイトを見つめた。



「うん、それじゃあ始めていいよ。あたしはここで見てるからさ」


「は、はい」



 ガレイトは改めてまな板の上の魚と向き合うと、包丁を構え──たまま、動かなくなった。モニカは何事かと思い、魚とガレイトを何度も見比べると、ガレイトに向かって口を開いた。



「あー……えっと、どうかした? 精神統一的な何か?」


「いや、その……」


「そういうスピリチュアル的なのも構わないんだけど、いちおう料理店だから、スピードも重視してほしいかなって……」


「あの、鱗って、とるものなんですか?」


「……はい?」


「い、いえ、勿論、いままで魚を狩って、捌いたことはあるのですが……鱗を取ったことがなくて……」


「な、なるほど……まあ、たしかに、鱗ごと揚げると香ばしくなって美味しくなる事もあるからね。ガレイトさんの出身がどこかは知らないけど、そういう料理があるってのも……わかるっちゃわかる。けど、料理人なんだから、いちおう鱗をとるくらいは……」



 モニカはそこまで言って、ブリギットの顔を一瞥する。ブリギットは「ふんふん」と言って首を振ると、モニカは「だって……!」と言いかけて、あえて口をつぐんだ。



「……まあ、この際、鱗はいいから三枚おろ……下処理をお願い」


「わかりました!」



 ガレイトはそう言うと、迷うことなくダン、ダン、ダン、と魚をぶつ切りにして見せた。



「如何でしょうか!」



 自信満々といった様子でモニカを見るガレイト。しかしモニカは苦笑いというか、ひきつったような笑いを浮かべたまま、ぶつ切りにされた魚を見ていた。



「『如何でしょうか』って、何が?」


「え? いえ、これが三枚おろしでは……?」


「いや、あたしは肉、骨、内蔵に切り分けてって言ったよね?」


「は、はい。ですから肉と骨を一緒に……」


「いやいや……刺身とかカルパッチョにするとき、どうすんの?」


「サシミ? 狩婆千代かるぱっちょ?」


「あの……ごめん、ガレイトさんって魚をこうした後、いつもどうやって料理してたの?」


「煮込み……ですかね」


「ん? 煮込むって、こうやって三つに切り分けて……?」


「はい」


「鱗がついたまま?」


「はい」


「内臓も?」


「はい」



 モニカはそこまで言ってブリギットの顔を見た。ブリギットは、今度は首を傾げると、モニカも同じように首を傾げた。



「美味しいの? それ?」


「いえ、食べたことありませんが……」


「ないんかい!」


「え? もしかして俺、何か違っていましたか?」


「ご、ごめん。急に大声出して……う、うん、何かっていうか、文化の違い? 異文化コミュニケーションってやつかな……」


「い、異文化コミュニケーション……」


「ま、まあ、いいや。三枚おろしなんて教えれば誰でもすぐにできるし、次行ってみよう! 次は肉! 肉の下処理ね!」


「頑張ります!」

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