ヒト学のかたわら

深町珠

第1話 2000/1


−−−−−−−−−−−結−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


[冬休みの読書]


このところの新刊本は、年末年始の影響で娯楽ものが多かったので、

ちょっと古めのおもしろいものをご紹介しましょう。



[精神医学]  1991/11 改訂2版 発行


編 : 三浦 貞則

発行 :日本医事新報社


「読んで憶える」タイプの書物ではなく、医師がマニュアルとして使用する

実践的な書物。


DSM-?VーR あたりがベース。


精神医学的な用語が、最近マスメディアなどで誤解を呼ぶような引用

をされている場合があるが、そのような時に是を紐解けばよい。

無用な恐怖心を煽られずに済む。

医者の持つマニュアルであるから、正確、簡潔な記述。

書物はこうあるべきだ、という見本のように思える。


ただし、7000円と高いのが難点。まあ、普通は経費で落ちるから問題ないが。

お友達のお医者さんから古いのを貰う、とか。(僕のように)。(笑)



[脳内薬品] 1997/3 発行


著: 酒井和夫


発行:二見書房


以前、ご紹介した [Listing to Prozac / Peter.D.Kremer]の内容を簡単にし、

やや傾向的にしたような物。

著者自身がProzacを服用し、その経験談が書かれているのが面白い。

精神科医としての、ややエキセントリックな見解がユニーク。

多分に宣伝じみた部分もあるのは、まあこうした個人の書物にはありがち。

ひょっとすると、SSRIを服用した状態で書いたのかもしれない(?)。

暇つぶしには面白い。

この著者によれば「SSRIは良い薬、処方が難しい、日本でも1999には

認可される」とあり、以前より、個人輸入して処方してきた。」とある。

結構、危ないような....。




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新春特別企画「処世術の是非」


恒例になりました「新春放談」です。^^;


すこし、お屠蘇気分で、羽目を外そうか、との趣向です。


現代の乱世ぶりの根源に「利己」がある。これまで述べてきたように

疑い様のない事実です。

なぜなら、「勝てばいい」という発想はエゴイズムを刺激し、

危険な攻撃性をそれによって満たしてしまうからで、

一度、そうした快感によった人物は次から習慣的にそれを行うと思われます。

今回は、そうした行動について少し、考えてみたいと思います。

多分に傾向的なのは「新春のご愛嬌」で、ご容赦下さいm(__)m。




前置き。



<被害妄想>


嫌がらせを行う者が、どうして問題存在か、というと、

こうした人物が一人存在するだけで、そのフィールドの

他の個体が防御のために<被害妄想>的になる、という状況が

最たるものだ、と思います。

現状、嫌がらせ行為は陰湿化を進めており、一見したところでは

第三者には認識が困難なように行われるため、常に周囲の状況に

気を配り、自身が対象にならないように留意することを要求するからで、

この、一種囚人のディレンマ様の状態が続く限り、全ての構成員が抑圧される

といった、好ましくない事態が発生します。




[具体例]


とある自動車雑誌。有名人が、「車社会」についてのコラムを寄せていた。




<内容>


狭い道。対向してきた自動車が、交差不可能状態になるまで前進してきた。

意図的に行っている。これは嫌がらせだ。

路上障害物は自分のレーンにあり、「法的にはそちらがどくべきだ」と言われた。

法律を盾にした低次元な発想。との主張。



<観測>


*交差不能状況に至る、ということは、このライター氏も前進したのでは?

*意図的に行った、というのは憶測である。

*狭い道に進入する時点で、対向車が確認できた状態で、障害物のある側

(つまりライター氏)が譲歩するのがルールである。

従って、このライター氏はルールに反しているが、それを「法を盾に〜」と自己肯定

を行っている。



<考察>


このライター氏は著名ミュージシャンである。そのためかどうか、「自己中」的。

上記観測の通り、「嫌がらせ」というよりは、ルール違反を行った為に制裁を受けた。

という方が正確だ。(私的制裁は、あくまで違法である。)

しかし、これを「嫌がらせ」と表現するからには、ライター氏は同様な嫌がらせを

受け、それを意識した為にそう表現したのであろう。

つまり、この状況は、ライター氏の過剰反応であるし、被害妄想的である。

状況は、ライター氏がルール(障害物のある側が譲歩する)を守れば発生しない。

しかし、このルールを逆手にとり、無理に進路を譲らせるようなドライヴァも

いることはいるが、そのような連中を相手にしても疲労するだけだ。

主張し、エネルギを消耗するか、少し譲歩して楽するか。

どちらを選ぶかは、その人の自由です。

ただし、このライター氏のように、いつも「嫌がらせ」を意識して注察妄想的に

なると、こころ穏やかにはすごせないでしょう。




<回避のシステム>


ならば、処世術としてどうすればいいか。

対応はいくつか考えられます。


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a)周囲状況への感度を落とす。

b)表出された事柄のみを機械的に判断する。

c)とりあえず関係性をなるべく絶つ。

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具体的にはどのような対応が有効か、というと...。

筆者の経験則ですが。



例1


仲間はずれにする、口を利かない、などの嫌がらせ。



->対応


こちらも無視する。「人間ではない、こういう行為をする者は、従って、私のような

人間と交流する資格は本来ない。」と考え、存在を無視する。



->結果。


自分の業務に集中でき、却って能率は向上した。




例2


背後で聞こえよがしに悪口を言う。



->対応。


聞こえないように、集中する。音楽などを口ずさむ。他の楽しいことを考える。



->結果。


こちらが楽しそうにしていると、なぜかあきらめるようだ。「神経がない」などと言うが。

神経は、かなり昔に歯医者で抜かれたから..。ととぼける。(^^)。

かなり、脱線はしましたが、嫌がらせ行為の一番の害は、

相互に攻撃性が昂進し、しかも対象が見えないためにストレスが解消されないことです。

この対応に、有効であると考えられるのは、




*運動。

*乖離。



などであるか、と思えます。


運動は、そもそも肉弾戦のための獲得形質であるとの仮定から、行動によって解消しよう

との意図です。(効果、大です。実際に、治療の現場でも使用されています。)


乖離は、もともとの情報源を無視してしまえばよい、との発想です。

(筆者は、常用しています。)

嫌がらせかな?と思ったとき、その発想を否定する。

なぜならば、状況判断が不可能(相手の意図を推察するから)なので、

必ず、被害妄想に陥るからです。




そのような状況が、精神の健康上、好ましくない。だから回避するわけです。

今回はすこしテーマをはずして、「処世術」をやってみました。いかがでしたか?

次回は、通常テーマに戻ります。



[ただし!]


これは、周囲からみれば、「非社会的」行動です。


そちら側から見れば、「悪」はこちらでありますのでご注意。


まあ、処世術などというものは、所詮その程度の存在ですが、

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