第34話 金の海のジョーズ達

 翌朝になってメッセンジャーアプリを確認したサンダースは仰天した。


 会ったこともない人間や企業から、山のような件数のメッセージが来ていたからである。


「うっわ、なんだこりゃあ…メールの受信ボックスも酷いことになってそうだな」


 危惧した通り、件名にはずらっと

「私たちはあなたのビジネス買収に興味があります」

「良い提案があります」

「最初のオファーです」

「この機会を伸ばすべきではありません」等の、これまでスパム広告以外で目にしたことのないメッセージが並んでいた。


「逆か。スパムメールの連中が、こうしたビジネスオファーの真似をして書いているのか。よくパターンを勉強して書いてたんだなあ」


 サンダースは妙なところに感心した。

 その間にも、何通もオファーが届き続ける。


「ずいぶん、いろんなところから届くなあ…」


 オファー元も、全く知らない個人名から有名大企業と幅広く、用件も「今すぐ買い取ります」というせっかちなものもあれば「東海岸の本社まで説明に来い」という高飛車なものもある。中には「ビットコインで支払う」―――脱税目的と思われる―――という怪しげな提案もあったり、まさに玉石混交。知識の不足したサンダースには、何をどう整理していいのかすら、とっかかりもつかめない状態だった。


「…なんでこんなにオファーが来るんだ?そんなに警備の仕事がしたいんだろうか?」


 サンダースとしては、自分の手掛けたニッチな事業に世間の投資家達が興味を示す理由が理解できないでいる。

 理解できない事象というのは気持ちの悪いものだ。

 楽をするために事業を売ろうと思ったのに、面倒くさい出来事が押し寄せてくるのではわりに合わなさすぎる。


「誰かアドバイザーを雇ったらどう?大学院の知り合いでそういう方面に行った人はいないの?」


 妻に言われて、サンダースは大学院時代の何人かの同級生の顔を思い浮かべた。


「…そうだね。連絡をとってみるよ」


 コンピューターサイエンスを専門としていた人間で報酬に惹かれて金融業界のキャリアを選ぶ者は多い。

 早速、ウォール街で仕事をしている何人かにSNSを通じて連絡を取ってみると、NY市場が閉まった後でなら、と夕方に遠隔でミーティングを行うことができることになった。


 ★ ★ ★ ★ ★


「よお、久しぶりだな。サンダース。ビジネスで一発当てたみたいだな。おめでとう」


「よしてくれ。素振りしていたらボールから当たりにきてくれたようなマグレあたりさ。久しぶり、ジョー」


 モニターに映しだされたのは、サンダースの大学院時代の友人で、今は世界的大手証券会社の調査部門にいるジョージである。

 アングロサクソン系で明るい金髪の好漢で、しっかりアイロンの効いた白いシャツと大きなカフスボタンのダークスーツが実によく似合っている。

 1日の大半をよれよれの麻の半袖シャツと短パンで過ごすサンダースとは、実に好対照と言える。


「そっちはもう日が沈んでるのか。東部は大変そうだな」


「まったくだ。西海岸の日差しが懐かしいよ…それで、早速だが相談なんだよな?有料相談と無料相談の2種類があるが、どちらがいい?」


「どう違うんだい?」


「有料相談は、1時間200ドル。NDAも結ぶし中立的なアドバイスを約束しよう。無料相談は…」


「ジョーのところが儲かる相談になるし秘密も守れない。そういうことかな?」


「そういうことだ。金融の世界にフリー・ランチはないのさ。よく言うだろ?そこに商品がないとき、商品はあなただ、と」


「やれやれ…なら選択肢は実質的にないじゃないか。今、決済のナンバーを送ったよ。まずは1時間、よろしく頼むよ」


 サンダースが送金すると、モニター向こうのジョーが軽く肯いて笑顔になった。


「ナンバーの確認した。では新任アドバイザーとして、最初のアドバイスをしよう。多くのコンタクトが来ているようだが、ほとんどの連中は無視していい。忘れちまえ。視界にいれる価値もない。ビットの無駄だ」


「ふうん。そういうものかい」」


 なんとなくそんな気もしていたが、専門家からも断言されてサンダースは安心した。しかし、それならそうで別の疑問が沸いてくる。


「ほとんどの提案に価値がないとして、どの提案には価値があって、どの提案には価値がない、とフィルタリングしたらいいんだい?」


「そうだな…まず、オファーしてきたほとんどの個人や企業は、君の事業にはこれっぽっちも興味がない。興味があるのは金さ。君の事業を安く買い、高く売る。転売の手数料稼ぎが目的の連中さ。通販の世界でもいるだろう?スニーカーやらゲームソフトを買い占めては転売する連中が。扱う商品が限定スニーカーから会社になっただけだな。いじましい転売屋さ。オファーの額も大したことないし、売り先を探す力も低い。話を聞くだけ時間とエネルギーの浪費だね」


「なるほど。それは相手にしたくないね」


 値下げ交渉しか能のない素人転売屋の相手を何十件もこなす自分を想像して、サンダースはうんざりした。


「そういう連中の名簿は業界でも出回ってる。それでスクリーニングしよう」


「ありがたいね。他にも気を付けた方がいい連中はいるのかい?」


「もちろん。次に気を付けるのはハイエナ投資家どもだね。そいつらは君の事業に価値があると思っているが、会社ごと買うのは迂遠で損だと思っている。美味しいところだけ頂いて、あとは捨てればいいと考えている奴らだね。企業買収の法律的制限がある国外の企業が多い」


「海外の企業か…それは勝手がわからないな」


「そうした連中の手口は決まっていてね。最初は景気のいい提案で近づいて来て、デューディリジェンスをする、と称して技術や人員を調べて、技術を盗む、技術者を引き抜く、と絡め手から攻めてくるのさ。そうして気がつけば君の会社の中身はすっからかん。そっくりの技術を持ったコピー企業が外国で立ち上がる、という寸法さ。この手の連中は近づくだけでも危険だ。接触を持たないことを勧めるね」


「それは怖いな…そういう連中の名簿も出回っているのかい?」


「企業名はコロコロ変わるが、海外送金口座や代表者はあまり変えないでやっているね。本社所在地も同じことが多い。なので排除はできるだろうね」


「ははあ…蛇の道は蛇というか、大変な世界だね。うかうかと突っ込むと身包みを剥がされそうだ」


「君のような純朴な技術者上がりは、百戦錬磨の詐欺師連中からすればハイウェイにいる丸々と太ったターキーみたいなものさ。あっという間にしゃぶり尽くされてお終い。メリークリスマスのディナー行き、さ」


 ジョーは実に楽しそうにサンダースの未来を描写する。

 実際にビジネスで何件も素人をそういう目に遭わせて来たのだろう。

 味方にしておきたい人間だ。


「なるほどなあ。すると、どういった提案なら聞く価値があるんだい?」


「まずは、サンダースの希望を聞きたいね。どういう企業や個人になら譲渡してもいいと思うんだい?」


 誰になら売ってもいいか。

 サンダースは慎重に予め考えていた条件をあげた。


「そうだねえ…まず警備の仕事を続けてくれることが第一条件かな。事業をする気のない転売屋では困る。僕のビジネスパートナー達は僕を信じて契約してくれた。その信頼は裏切れないよ」


「その意味では、事業をバラして売り払うようなハイエナ投資家も論外、ということだな。他には?」


「他には…僕の開発したA.D.S.Sを理解して手を入れられる数学的素養のあるエンジニアがいるか、それともメンテ係として僕と契約するかのどちらかだね。ドローンは年々進歩しているし、センサーも今使用している型番が廃盤になるかもしれない。そうなったときに、対応できるだけの技術的なバックグラウンドが必要だよ」


「なるほど、それはもっともだな。ちなみに、数学的素養と言うと、どの程度の人材を求めている?」


「君や僕と同じくらい」


「おいおい、そいつはハードルが高くないか?こう見えても、俺は高給取りなんだぜ」


「まあ、コンピューターサイエンスか工学で最低でも修士号を持っていれば大丈夫だと思うよ。建築とか機械分野でも何とかなるはず」


「ふうむ。古い企業だと難しそうだな。少なくとも担当の専門人材を採用する意思がないと、あっという間に事業価値が落ちるわけだな。他には?」


「売却の手続きが面倒くさくないこと!僕は事業を評価してもらいたいけれど、東海岸の本社まで出かけて行って、でかい会議室でスーツの爺さん達相手に10回もパワーポイントのプレゼンテーションをするつもりはないんだ。適正な価格で買って欲しいとは思うけど、売るための手間とコストが大きくなりすぎるなら、そもそもの僕の負担を軽くしたい、という趣旨に反する」


「なるほど。すると国外の企業は難しいな。ちなみに売却の担当を立てる気は?」


「正直なところ管理が面倒くさいから雇う気はなかったんだけれど、今の話を聞いて雇ってもいいかな、と思い始めている。だけど業績連動報酬にすると相手に高く売り込もうとして頑張りすぎる気がするな」


「たしかに、そういうリスクはあるな」


 ジョーはサンダースの危惧に同意した。


「とりあえず提案を送ってきた連中のリストをくれれば、会社ののアラート・リストと組み合わせて注意とリスクを評価するぐらいまでのサービスはやってやるさ。残ったところと改めて交渉すればいい」


「ありがたい、感謝する」


「なあに。君がホームランを飛ばしたら、今度はうちに噛ませてくれればいいさ」


 ジョーは画面越しに拳を合わせるジェスチャーをすると、通信が切れた。

 タイマーを見ればきっかり1時間のミーティング。

 さすが時給で稼ぐ金融の人間だ。


 サンダースはジョーの助言に従い、数百のオファーを全てフィルタリングにかけた。

 するとほとんどの個人や企業はフィルタリングで除外されたが、残った中に意外な団体からのオファーを見つけた。


「軍、か…」


 差出元はU.S.ARMY


 アーミー。つまりアメリカ陸軍である。

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