第23話 犬でも飼えばいいのに
お金持ちの奥さんはこれだから、とため息をつきたくなるところを抑えてアンテナに目配せをしたところ、目線で「絶対に無理!」と強い否定の意思が感じられた。
そうだよね。夏の暑い中を歩いてきて、そこそこの時間を日差しの下で作業したんだもの。
追加料金が貰えたとしても、これ以上の労働はちょっと頑張れない。
普通に拒否したら、きっとこの手のお金持ちの人は機嫌を悪くするだろう。
けれども僕には「宿題忘れを忘れたと言わずに切り抜ける」ことで鍛えた言い訳のスキルがある。
「わかりました。ですが、草刈りドローンは長い間倉庫にあったので充電が十分じゃありません。今は何とか動いていますけど、完全充電するとなると数時間はかかると思いますし、たぶん日が暮れます。そうすると、彼女の両親も心配するでしょう」
「あら…そうね。若い娘さんが夜に出歩くのは危ないわね…」
出汁にされたアンテナの視線を背中に感じたけれど、老夫人が常識をわきまえた人で良かった。
では失礼して、と辞去しようとしたところで
「じゃあ明日、またお願いできないかしら?」
と重ねて依頼されると僕達に断る術はなく、またも老婦人の情報端末を一緒に操作して明日の草刈りドローンセットアップ依頼を処理することになったのだった。
まあ、慣れた仕事で2回も良い報酬を貰えるのだから悪くはないんだけどね。
★ ★ ★ ★ ★
帰宅前に少しお茶でも、と誘われて僕達はドローンで草刈りの終わった裏庭のテーブルセットでお茶をいただくことになった。
とぽとぽとティーセットで僕とアンテナは老婦人にお茶を淹れてもらい「お茶のお味は?」と聞かれて「はい、美味しいです」と型通りの返事はしたものの、正直なところ「このカップ割ったらエラいことになるんだろうなあ」との重圧であんまりお茶の味はわからなかった。
ただ幸いなことにお茶の席での話題の中心はお茶の話ではなく今回の依頼のきっかけとなった冒険者アプリのことであって、僕やアンテナでもそれなりに話題の提供はできた。
「それにしても、この冒険者アプリ?って便利ねえ」
と老婦人は情報端末の掲示板を見ながら感心のため息をついた。
「そうですね。依頼を請ける側もすごく便利だと思います。アメリカでは冒険者アプリの仕事で暮らしたり、それ以上のお金持ちになってスターのような生活をしている人もいるそうです」
「まあ!じゃあ、あなた達もそれを目指してるの?」
「まさか!僕達は高校生ですし、学業優先です。でも、冒険者っていうのは面白いですね。色んなことが経験できます」
「あら…草刈りがお仕事じゃないのね。これまでにどんなお仕事があったの?」
老婦人は意外なほどに話題の引き出し方が上手で、僕もアンテナもこれまでに請けた依頼の話を面白おかしく―――個人情報をボカした上で―――語り、それに興味を抱いた老婦人が質問をして、と思わず話が弾み、日が傾きかけたところで慌てて辞去することになった。
★ ★ ★ ★ ★
翌日は少し涼しい時間帯に作業を始めよう、ということで昨日よりは早く午前中のうちにハケンゴテンへ訪問することになった。
今日も交通費が出るのでドローンタクシーを遠慮なく使える。
正門の場所も憶えたので炎天下を歩くミスもしなかった。
それと、冒険者らしい装備にも少しだけ投資した。
「あら、スイデンも冒険者キャップ持ってたのね」
「登山では買ったけど使わなかったからね」
夏の日差しに備えて冒険者キャップを被ってきたら、アンテナも同じデザインの帽子を被ってきたのだ。
「ウニクロ被りみたいで恥ずかしいわね」
「僕は脱がないよ。暑いから」
「わたしだって脱がないわよ」
冒険者アプリの防具屋では衣類も売っている。
低レベル冒険者のうちは購入できる装備にも制限があるので、こうした「被り」も発生しやすくなるわけだ。
「ウニクロかJU、ザーラで買うんだったわ」
「それだと、僕だけでなく他の人とも被ることになると思うよ」
「…それも嫌ね」
僕の指摘にアンテナは眉をひそめた。
僕達の街は田舎だけあって服屋の種類は少ない。
無人のショッピングモールに幾つかの有名ファストファッションのチェーンが入っているぐらいだ。
アンテナは服装が他人と被るのを嫌がって通販で買ったりしているみたいだけれど、外を歩いている人がろくにいないのに被るのを嫌がる理由が僕にはよく理解できなかった。
「高レベル冒険者になると、帽子もケプラー繊維のやつを被ったりするんですって。動画ニュースでやってたわ」
「ケブラーって防弾の?日本で売ってるの?」
「ケブラー繊維だとナイフとか動物の爪とかも防いでくれるから、クマ狩りする人も被るって言ってたわ」
「じゃあ、赤井さんもそういうの被るのかな」
「きっとジャケットとかパンツもケブラー製だったんじゃないからしら」
そうだったのか。まるで気がつかなかった。
冒険者装備の充実って奥が深い。
お金かかるんだなあ…。
★ ★ ★ ★ ★
「「おはようございます!よろしくお願いします!」」
「はい、いらっしゃい」
指定された時間通りにつくと、お手伝いさんだけでなく老婦人も一緒に待っていた。
完全に充電された草刈りドローンも前庭に運んであったので、さっそく作業を開始する。
正門から玄関へと続く前庭は裏庭の3倍ぐらいの広さがあり、サッカーコートの半分ぐらいはありそうだ。
裏庭が老婦人の趣味で英国風のガーデニングっぽくデザインがまとめられていたのと比較すると、門の瓦屋根や玄関までの玉砂利と飛び石、鯉のいる池や鹿威しなど、かなり日本庭園風に寄ってデザインがされているように見える。
「こちらのお庭は、すごく手入れされてますね」
表の庭は裏庭と比較するとさすがに主要な場所は草刈りがされてあって、生垣や庭木などは専門の職人さんの手で綺麗に手入れされている。
それなのに僕達のような半分素人に草刈りを依頼するのは少しだけ不自然に感じた。
「うちの人が外の人をあまり入れたがらないの」
「そうですか」
老婦人の言葉に、僕は特に動揺したりはしなかった。
お金持ちが人嫌い、というのはフィクションではよくある設定なので、現実でもそうなんだ、と少し感心したぐらいで。
たしかに、これだけ大きな屋敷なのに不思議なほど人を見かけない。
ひょっとすると、老婦人、お手伝いさん、まだ顔合わせをしていないご主人の3人だけで住んでいるのだろうか。
「セイイチが家を出るまでは、もう少し賑やかだったのだけど」
と老婦人はこぼした。
そのセイイチとかいう人が、東京本社にいるという噂のお坊ちゃまで息子さんなんだろう。
年齢から逆算するとセイイチさんのお孫さんが一緒にいてもおかしくない。
3家族同居していたのが、3人だけになってしまったのかな。
それはさぞかし寂しくて心細いだろう。
このお屋敷は夜中にトイレに行くときに凄く怖そうだ。
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