第12話 疾走する冒険者

 僕達の救助依頼に応えてくれた高レベル冒険者の赤井ソニアさんは


「すぐに助けてあげる」


 と無線機を通して励ましてくれた。


 だけど、それが文字通り「すぐに」を意味していたことを、僕とアンテナは驚きと共に知ることになる。


 ★ ★ ★ ★ ★


 無線機を届けたドローンが飛び去ったあとも、僕はぼんやりとドローンが飛んで来た方向の山裾を眺めていた。

 電波が届く、視界が広い、といった現実的な理由とは別に、何かが起こる予感を覚えていたからだ。


「じゃあ今から行くから!」


 無線機から元気よく聞こえてきた宣言に、アンテナと僕は困惑して互いの顔を見合わせた。


 今からってどういう意味だろう?

 今から車を出すとか、今から事務所を出るとか、今から装備を揃えるとか…?


「スタート!救出開始!」


 僕達の混乱をよそに赤井ソニアさんが力強く宣言し、カシュカシュとコードを引っ張るような音に続いて、ドゥドゥドゥド…と、エンジンのアイドリング特有のピストンの往復振動音が響いた。


「…バイク、かな?」


 車にしてはエンジン音が小さかった。

 そもそも今どきの車はスタート時にエンジンを吹かさない。

 電気自動車は全部バッテリーなのでモーター音以外は鳴らないし、ハイブリッド車でも発進時はバッテリーを使用して遠距離の場合だけガソリンエンジンを使う。


 一方、バイクにはガソリンエンジンがまだ残っている。

 完全電気バイクにするにはバッテリー価格がもう少し下がらないと割に合わないらしい。


「まさかオフロードバイクとかで登ってくるのかな」


 動画サイトなどでは凄い斜面を登るスタントライダーを見たことがあるけれど、この山は木が多すぎる。

 彼女が物凄いプロ級のライディングテクニックでも持っていない限り、登山は難しいだろう。

 途中まではバイクで、そこから徒歩で、ということなのだろうか?


「ええと、今どのあたりなのかな」


 弱くてもスマホの電波が復活したので、救出者が今どのあたりにいるかはアプリの機能とGPSで把握できる。


「えっ、近い」


「ほんと、すぐそこじゃない?」


 冒険者アプリのGPS表示を信じるなら、救出者の彼女と僕達の距離は直線距離で1㎞ちょっとしか離れていない。

 標高の差は300mぐらいだろうか。

 なるほど、この距離ならドローンが使えるわけだ。


 感心するやら安心するやら、複雑な気分でマップを見ていたら、赤井ソニアさんを示すGPS信号が猛烈な速度で、ここに向かって移動を開始した。

 笹薮や倒木、きつい斜面も無視して、ほとんど直線に向かってくる。


「はっ、はっ、はっ…」


 つながったままの無線機からは規則正しい呼吸音が聞こえてくる。


「…まさか…走ってる…?」


「無理よ!いくら大人だって山登りで走るなんて…あり得ない」


 山登りはきつい。

 平地を走るよりずっときつい。


 他ならぬ僕とアンテナが今まさに実感していることだ。

 平地を走るのと登山しながら走るのは全然違う。


 部活の練習で例えると校庭のダッシュと坂道ダッシュぐらい違う。

 前へ進むだけでなく自分の体重という重りを重力に逆らって持ち上げないといけないからだ。

 さらに登山では背負った荷物分の重量が両肩に追加して載ってくるわけで、キツさが全く違う。


 いくら何でもあり得ない。


 レベルアップでステータスアップするゲーム世界じゃあるまいし。

 高レベル冒険者だからといって人間業から離れた能力を持つわけじゃない。


 だというのに、GPS信号はスピードを落とすことなく、ぐんぐんと真っ直ぐに山を登り続け、いよいよ地滑りが起きた斜面の端あたりまで来たことを示した。


 ★ ★ ★ ★ ★


「…あれ、その人じゃない?」


「…そうかも」


 アンテナが指さす方向には、大きな荷物を背負って髪を後ろで結んだっぽい人影が見えた。

 その人は、荷物の重さをまるで感じさせないフォームで腕を大きく振って、まるで今走り出したばかりの短距離選手のように、地滑り跡のギリギリを掠めるようにして一直線に走って…そう、走って登ってきている!


「ほんとに走ってる…」


「うそみたい…」


 人は現実とは思えない光景を目にすると理解を放棄して立ち尽くしてしまうという。


 僕もアンテナも助けが来た喜びを感じる暇もなく、彼女が山裾からここまでノンストップで走って登ってくる様子を、ただバカみたいに口を開けて眺めていた。


 それは赤井ソニアさんが僕達の目の前へ駈け込んできて


「はい!記録はジャスト34分28秒!なかなかじゃない?」

 、

 と信じがたい記録達成の宣言をするまで続いた。


 彼女からは、かすかに汗と草の汁と排ガスの匂いがした。


 ★ ★ ★ ★ ★


「新人冒険者達!助けに来たわよ?怪我はない?」


 僕達の救助を達成した赤井ソニアさんは、なんというか、凄い人だった。


 女性なだけでなく、外人さんだった。

 流ちょうな日本語を話す、高身長で筋肉がすごくて、スタイル抜群の金髪白人さんだった。


 身に着けている装備も意味が分からないぐらい凄かった。


 頭には自転車レースの人が被っているような通気性の良い軽いヘルメットをかぶり、目には何かの情報端末と一体化している感じのゴーグルをしている。

 両腕は皮革の分厚い手袋をして、両手首に大きなバンドをして、小さなピッケルの紐を引っ掻けている。

 胴体は軍人のような防弾ベストっぽいものを身に着け、両足の外側に機械のフレームが幅の広いバンドで留められていた。

 靴は軍人が履いているようなコンバットブーツというやつだろうか。ゴツくて堅そうな分厚い底のブーツを履いている。。

 そして背中には普通のザックと透明な丸盾と長く黒いケースと小さな稼働中のエンジンを背負い排ガスと作動音を微かにまき散らしていた。


 僕達は呆けた状態から立ち直ると、慌てて挨拶と救助のお礼を述べた。


「えっと…あの…ありがとうございます…赤井ソニアさん…ですか?レベル27の」


「すごい!どうやって来たんですか!あたし、エダナって言います!レベル5の冒険者です!助けに来てくれてありがとうございます!」


 僕が赤井さんの見た目と装備に驚きすぎて、しどろもどろになっているのと比較して、アンテナのやつは目を輝かせて駆け寄った。


「わりと元気みたいね。結構!冒険者は元気が資本だものね。とりあえず救助活動を始めましょうか?」


 赤井さんは大きな唇でクスりと笑うと、手首の太いバンドから腕にアプリ画面を投影して操作した。

 あのバンドも情報端末なのか。


「すごい、最新のウェアコンだ」


「おしゃれねー」


「オシャレなだけじゃない、すごい高いんだ」


 僕の目はすっかり赤井さんが操作する画面に惹きつけられてしまった。


 ウェアコン。ウェアラブルコンピューターのことだ。

 僕とアンテナは中古で型落ちのスマホをを使っているけれど、今の情報デバイスの流行は薄型変形液晶と液晶レス端末だ。


 前者は紙のような質感と薄さの有機ELで、掛け軸とかスクリーン、巻物みたいな収納と拡げ方をする。

 昔流行ったタブレットに対応して、スクロールと呼ばれたりしている。


 後者はセレブとかオシャレ勢が身につける情報端末で、身に着けたりデスクに置いたりして使う。

 液晶の代わりに端末から映像が壁や身体の平面部分に投射して情報が表示されるのを人が操作し、センサーがそれを感知する。


 共通しているのは、どちらの情報端末も非常に高価で、僕の周辺で持っている人はいない、ということだ。


 僕はリンゴの会社が出しているウェアコンが欲しくてたまらないのだけど、高価で壊れやすくサポートが悪い癖に2年で型遅れになる、という通販サイトの評判を目にして二の足を踏んでいる状態だ。


 たぶん、彼女ぐらいの高レベル冒険者の財力になれば最新端末が出るたびに買い替えて古い端末は部屋の隅で埃をかぶることになるのだろう。

 羨ましすぎる。古くて使っていないやつを貰えないだろうか。


 僕が赤井さんの端末を羨まし気に見つめていたのを勘違いしたのか、彼女は励ますように笑顔をみせた。


「ちょっと張り切ってバッテリーを使い過ぎたわ。充電するまで少し休ませて」


「バッテリー、ですか?」


 今どきの情報端末のバッテリーはかなり持つようになっている。

 僕もゲームに使うとき以外は、2~3日に一度ぐらいしかスマホの充電はしない。

 高レベル冒険者が情報端末を充電しそこなる、などという初歩的な失敗をするだろうか?


 不思議に思い見返すと


「あたしの相棒はね、大食いなの」


 という。


「相棒って?」


 彼女は一人に見えるのだけど、高レベル冒険者だけあってバックアップの人員がいたりするのだろうか。もしくは情報端末を相棒と呼ぶギーク系の人だったりするのだろうか。


 僕の疑問に対して、赤井さんは自分の足の外側にバンドで固定された金属の骨格を軽く、誇らしげに撫でた。


「NINJA2。軍人時代からの、あたしの相棒よ」


 ニンジャ…軍人…僕は日常に持ち込まれた非日常ワードの連続に脳味噌の処理能力が限界を超えるのを自覚しつつ、淀んで凝り固まった日常が叩き壊される光景が幻のように見えていた。

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