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 仙田に電話をした。電話番号も住所も知らない友人に会う方法はないだろうかと相談をしたら、彼は助け舟の代わりに交換条件を提示してきた。それを承諾し、アポを取る。その日は塾まで自転車で向かうことにして、少し早めに家を出て自転車を飛ばし仙田の住まうアパートまで向かった。

「鷺岡くん、待ってたよ我が救世主!」

 訪ねると、芝居がかった身振りで仙田が出迎えた。

「俺も会いたかったぜ、仙人! 我が頼みの綱!」

 ドラマのような口調で真も応えた。彼との小ネタの応酬は心地良い。「悪いけど先払い制で頼むよ」麦茶の用意されたローテーブルに、仙田が夏休みの宿題を広げた。真の頼みをきく代わりに、宿題の難問を手伝えと仙田は言ったのだ。真は誰かの宿題を丸写しさせてもらったことはあるが、逆の立場になったことはない。勉強嫌いの自分がまさか、人の宿題を手伝うなんて――。どこか新鮮な気分で開かれたページを覗きこんだ。国語の問題だ。一度塾の授業で扱った問題だったので、真はさらさらと教えることができた。

 国語の教科書に載っている『大造じいさんとがん』からの出題だった。

「問四、じいさんはどうして残雪を逃がしたのか――。こういう問題はさ、文章の中の言葉を適当に使ってそれらしい文章を書けば大体当たるんだぜ。――ていうか仙人めっちゃ賢いのに、国語だけてんでダメなんだな。超意外」

「算数は公式を覚えれば良いし、理科も社会も暗記で済むけど……国語って全く正解が分からないんだよね。主人公が何を言いたかったかとか、この台詞に隠されている本音は何かとか……空気を読む問題って言うのかね。わたしはそういうのどうも苦手なんだ。だから道徳の時間も苦手だよ。先生の期待に答えられないから」

 ああ、と真はうなずく。

「道徳と国語って似てるとこあるもんな。正解はないから自由に答えろって言うくせに、先生たち、間違った答えにだけはいやに食いつく。それは違うそれはおかしいって。……だからさ、心ではどう思っても、とりあえず人から褒められそうな――絵本のハッピーエンドで使われてそうな答えを思い付けば、それが正解になるんだと俺は思うことにしたよ。現にそれで何とかやれるようになった」

「まさに空気を読むってやつだね。……じゃあ、ここの問題ではどうなるのかね? わたしとしては、このじいさんはプライドが高すぎて損をするタイプだと思うんだけれどね」

 じいさん、と仙人が指差したのは大造じいさんだ。――狩人として誇り高き大造じいさんが、長年戦っていたがんの残雪を討ち取るため、自分のペットのがんを囮に使った。すると横から出てきたはやぶさがペットのがんを襲い、残雪はがんを守るためはやぶさと戦い負傷してしまう。負傷した残雪を大造じいさんは看病し、全快した彼を放してから再び勝負を挑む――明朗で爽やかな物語だ。真はこのストーリーがそこそこ好きだったが、仙田に言わせれば

「誇りをどうのと言ってる間は勝負なんてつかないだろう。相手が手負いならチャンスさ。狙える隙は逃しちゃならない」

 とのことだ。仙田はリアリストだ。この冷酷さが少しでも自分にあれば、と真は思う。人として羨ましいと思えるが、出された問題の正解を考えるのであれば、仙田の痛快さはひとまず捨て置かねばならない。惜しいことに。

「大造じいさんにとっては、残雪がとても誠実なやつに見えてたんだよ。誠実なやつに卑怯なことはしたくない。もし自分のペットを庇って負傷した残雪を討ち取っても、きっと素直に喜べないとじいさんは思ったんじゃないかな。後ほら、ペットを守ってもらった上で、恩を仇で返したくなかったとか。……それっぽい回答は結構思い付くだろ?」

 身振り手振りを加えながら説明すると、なるほどねえと仙田は頷いた。

「確かにそれは、絵本のハッピーエンドに採用されそうだ。……ちなみに参考までに聞きたいんだけど、今教えてくれたやつは、鷺岡くんの本心から考えた答えかい?」

「本心から……?」

 真が話した内容をそっくり解答欄に記入する仙田を見ながら、真は考える。さっきから真が話しているのは、塾の講師の受け売りだ。宿題やテストの設問で問いかけてくるのは、友だちではなく試験官や教師。だから親しく語り合うのではなく、媚びを売って彼らの喜ぶことを書いてやれば良いのだと、講師は教室でがさつに笑っていた。

 講師の話を聞きながら、つまり嘘を言えば正解に近づくのだと真は解釈した。おかげで国語の正答率は上がった。嘘が苦手だった自分が、ずいぶんとしたたかになったものだ。どこか他人事のように思いながら、塾ともうひとつ、自分の嘘を上達させた出来事を思い出す。親の不倫を探るために、たくさんの嘘を生み出し利用した。

 解答欄を埋めた仙田が顔を上げる。真は答えた。

「本心を言えば……俺が大造じいさんなら、それまで自分が頑張って追い詰めた相手を、はやぶさみたいに横からやって来たやつに取られたくなかったんじゃないか、って思うよ。とどめは自分で刺したいだろ」

「……君ってほんと素敵な奴だよ!」

 仙田が声を上げて笑った。その後も仙田が詰まっていた国語の宿題を手伝って、八割程度を片づける頃には出された麦茶ポットの中身は空になっていた。

「今日は本当にありがとう鷺岡くん。ものすごく助かったよ。それじゃあお礼に――」

 宿題のプリントを片づけると、仙田はメモ帳の一枚を破って差し出してきた。真はそれを受けとり、英数字の文字列を見つけて笑みを浮かべた。ゲーム内で使われている、理緒のフレンドコードだ。前に仙田の家に来たとき、真がトイレに立っている間に二人はゲームの話で意気投合して、フレンドコードを交換し合ったのだと仙田が電話で教えてくれたのだ。

「そのコードを打ち込んで友だち申請して、佐生さんが承認してくれればゲームの中で君たちは友だちだ。捕まえたロケモンの交換やバトル、定型文でのメッセージのやり取りならできる。だけど自由文のチャットはできないから、佐生さんが鷺岡くんだと分かる名前でゲームを始めることをおすすめするよ。ちなみに通信施設のある町へは、オープニングとチュートリアルの後にすぐ行けるはずだ」

「ほんっとありがとう仙人!」感極まって真は仙田に抱きついた。「ゲームなら大人に邪魔されることもないし、まずバレにくいよな。仙人が佐生とフレンドコード交換してて良かったよ」

「どういたしまして」

 背中を叩かれる。仙田の手はいつも冷たい。真は「あ」と声を上げて身体を離した。メモ帳を再び見て指さし問う。

「これさ、コード二つ書かれてない? もしかして入力ややこしい?」

 いたずらが成功したような顔で仙田が笑った。

「下のはわたしのコードだよ。実を言うとわたし、このゲーム途中で詰んでるんだ。だから良ければ鷺岡くんと友だちになって、ゲームの進行を手伝って貰えたら嬉しいなって。……でないとレベル差がありすぎてね、佐生さんとまともにバトルができない」


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