2-6
日曜のモールの中は人がごった返していた。老若男女、という言葉がまさに当てはまる。派手なカップルから落ち着き払った家族、遠慮のなさそうな友だちグループ……。あまりに人が多くて、一人一人の顔をいちいち確認するのは難しそうだった。
特に目につくカップル客の多さに、真は理緒が同じことを思っているのではないかと思って声をかけた。
「佐生、覚えてる? 前に一緒に見たサイトの記事」
「ああ……あれでしょ。人が多い場所の方が、かえって堂々と不倫できるってやつ」
予感は的中だったようだ。「そうそれ。下手にラブホになんか行くよりも、こっちの方が都合良さそうだな」
「本当にね。もしかしたら私たちが気づいていないだけでさ、普段すれ違うカップルの中には、実は不倫中の人もいたりして」
「はは、あり得そう」
腕時計はまだ十時をまわったばかりだ。映画の上映まで時間があったので、ひとまずモール内の案内図のリーフレットを貰いに行くことにした。噴水広場の近くにある、大きくてカラフルな案内板の傍からリーフレットを一部ずつ取り、現在地を確認しながら映画館を含むショップリストに目を走らせる。
「不倫カップルが行くところってどこだろ……」
理緒が呟いた。真は案内図から顔を上げて絶句した。人ごみの向こう、自分たちの進行方向に見知った男女の後ろ姿が見えた。まさか、と思っている間に男の方が女の方を向く。その横顔は――いけ好かない、間違いない、鷺岡信治だ!
「佐生こっちっ」
「うえっ? なに――」
理緒の腕を引っ張ってすぐ近くにあったレゴショップへ飛び込んだ。ウィンドウを前に立つ大きなレゴで出来たロボットの背中に、理緒と二人で身を滑り込ませた。
「ちょっと私レゴ興味ないんだけど」
「違うって。あれ見て。あれ、そうじゃない?」
窓の向こうを指さした。え、とレゴから顔を出した理緒は、ウィンドウの向こうに見える男女の姿を見て目を丸くし、ややあって迷うように頷いた。
「ああ……お母さんだ……。あのサンダル、足が痛くなるからってほとんど履いてなかったのに……」
「だよな。その隣のは、うちの親父で間違いない。ネクタイ外してるけど……」
理緒はまるで初めて幽霊を見たという顔をしていた。実際、そうなのだろう。彼女は今、初めて自分の母親の不倫現場を目にしたわけだ。以前にラブホから出てくる姿を見ていた真とは、衝撃が違うのだろうと思った。
信治はキラキラしたピンヒールのサンダルを履いた女性――理緒の母親と、仲良さげに歩いていた。女の方が何かを言うと、男の方が心底おかしそうに笑う。その距離感は近いけれど手は繋いでいないし、男女の友達と言われても納得できないこともない。だが、これが不倫関係にあることを証明するために、真と理緒はわざわざやって来たのだ。
「どうする?」
興奮を抑えて問う真に、理緒は「当然」と言って続けた。
「尾行しよう」
ハッキリとした口調だった。尾行。とうとうこの時が来た――。理緒と真は黙って頷き合い、そっとレゴショップから抜け出した。指を差し、ジェスチャーだけで通路の向かい側にあるアパレル店へ向かおうと真は伝えた。理緒が神妙な顔でうなずき、後ろをついて来る。人ごみの中を、忍者のような動きで二人は抜けた。
「この店に入っちゃえば、中で繋がってる隣の店まで動けるぜ。そしたら窓のこっち側から二人を観察して……」
真がアパレル店に入って背後を振り返ると、そこに理緒はいなかった。
「佐生? ……佐生ーッ!」
小声で叫んだ。通り抜けるはずの広場で、ウサギの着ぐるみに風船を手渡される理緒の姿があった。
「お嬢さん、こんにちは」
「は、はろー……」
理緒が青い顔をして風船を受け取っている。どう見たって人見知りの子どもの態度そのものだった。この非常時に何たる失態だ!
「ちょっと佐生早くこっち――」
せっかく入ったショップから真が飛び出すと、目の前に一人の大人が立ちはだかった。豊満なバストのふくらみと、際どい制服に圧倒される。
「よろしくお願いしまーす」
「うえっあっ――」
綺麗な大人の女性に広告入りのティッシュを押し付けられ、真は情けなくたたらを踏んだ。くそ、どいつもこいつも! 心中叫ぶ。「どうも」真っ赤な顔でティッシュを引ったくって理緒のもとへ急ぐ。あわわ、と青い顔で立ちすくむ理緒に真はうっかり舌打ちをこぼして声をかけた。
「佐生大丈夫?」
「風船もらっちゃった……」
「目立つじゃねーかっ!」
「大丈夫そこらへんに放そう。それより二人は?」
目まぐるしく人々が行き交うモールの中は、気付けば周りは知らない人だらけ。理緒と二人、きょろきょろとあたりを見回したが目的の二人はもういなかった。見失ったことが分かった途端に、悪い予感が足先から頭まで這い上がってくる。尾行が上手くいかなかった。真も理緒も邪魔をされた。もしかしたら信治たちは、真たちの存在に気が付いて逃げているのかもしれない。周りの見知らぬ人たちは、もしかしたら、真たちの邪魔をするためだけにここにいるのかもしれない――。
「もう映画館行こ。この時間からいるってことは、多分十一時からのに行くんだろうし」
震える肩を叩かれて理緒を見ると、至って平然とした顔がそこにあった。理緒は冷静だ、取り乱していない。確かに取り乱す必要はないのかもしれない。ショッピングモールの人間全員が雇われて邪魔をしているだなんて、映画でもなければあり得ない……。真は狂った妄想をすりつぶすようにして、冷えた指先で拳を握った。
「……それが良いかも。映画館は三階だから、下を見渡せるかもしれないしな」
精一杯に明るい声でそう答えた。些細な失敗に怯えた自分が情けなかった。
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