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 映画のスケジュールをメモしながら理緒が言う。

「良い? 当日は絶対に二人に私たちの姿がバレちゃだめだからね。特にその七三分け。目立つからやめなよ。一目で鷺岡真だってわかっちゃう」

「そういうお前こそ、さすがにモールで制服はやめろよな。目立つし分かりやすいし、一目で佐生理緒だって特定できるぜ」

 ついでにバス停の時刻表も確認してから、二人で顔を見合わせた。軽口を叩く顔は笑っていない。PCの液晶モニターに表示されたままの、映画のスケジュールと地元バス会社の公式HP。示し合わせなくても簡単に弱音がこぼれた。

「……本当に、モールの映画館で合ってんのかな」

「……行ってみたら本当は、マジでお母さんのお友だちしかいなかったりして……」

「映画館で一日ずっと張り込みしてさ、誰も来なくて何も起きなくて、俺たち、無駄骨かも」

「あはは、あり得るね。貴重な夏休みの無駄遣いってやつ」

「はは」

「ははは……」

 乾いた笑いの後には、ため息すら出てこなかった。日時を決めて推測をして、本当に不倫現場を探す。見たがっていた光景をいざ追いかけるとなると、浮かせた足が重たくてしょうがない。


 金曜日。塾がなくても自習室は利用できると原木から教わったので、真は張り込み場所ではなく塾へ向かった。理緒が授業へ行ってしまう前に、もう一度予定を打ち合わせたかったからだ。自習室にいた理緒は真が来て驚いていたが、すぐに参考書を閉じてメモ帳を取り出した。

「日曜日は九時四十分のバスに乗るから、バス停で九時半までに待ち合わせ」

「持ち物は財布と時計とメモ帳と、カメラ代わりの佐生のスマホ」

「ねえ思ったんだけどさ、一応サングラスとか持ってた方が良いかな? マスクとか帽子とか」

 真は顔を上げた。早口に語った理緒の顔は少し楽しそうだった。

「もしかして佐生、わくわくしてる?」

「は、ああっ!? わわわわくわくなんてするわけないじゃん、そんな不謹慎な、これはいたって深刻な調査であって決して遊び感覚でするようなことじゃ」

「そうだよな。深刻なことなのにまだちょっとわくわくが抜けきれてなくって……佐生と比べて俺ってほんとガキだよ」

「……えっ?」

 真は口を引き結び、がっくりとうなだれて見せた。

「せっかく佐生が真剣に協力してくれてるっていうのにさ、なんか、夏休みに友達とスパイごっこしてるみたいな気分になっちゃって。ごめんな、決して佐生の真面目な気持ちを踏みにじろうとしてるわけじゃないんだけど……」

「いやっ、そんな……」

 肩を落とす真にうろたえてから、理緒は「あー」だの「うー」だの呻いた後、不本意そうに白状した。

「……いや、あの。正直に言うとさ、私もちょっと、わくわくしてるっていうか。もちろん親の不倫は悲しいことだよ。深刻なこと。でもなんていうか私、今までこういう冒険みたいなのってしたことなくって。男子と遊びに行くのも初めてだし、だからちょっと、まあ、もし不倫現場を押さえられないんだとしても、それはそれで楽しいだろうなって、まあ、わくわく……」

 ちらりと理緒が寄越した視線に、真はとうとう耐えきれなくなって頬を緩ませた。理緒がそれを見て「あ」と声を上げる。とうとう真は噴き出した。

「んっふふふそっかそっかあー。佐生も楽しみかぁー」

「っ! 最低、騙したの!?」

「ノンノン、これはシミュレーションだぜ。ここ最近の俺はスパイ映画を見続けて演技の勉強をしてたんだ。親父たちにこっちの動きを勘づかれないようにな! で、今その成果が見事にあらわれたってわけ。佐生もちょっとは勉強した方が良いんじゃないのー?」

 指をさして渾身の挑発。いつも一つ上をいくような理緒を騙せたことが、真にとって嬉しくてたまらなかった。自分の演技力が上がっているのも嬉しいが、クールな理緒の顔を崩せたことが何より嬉しい。初対面のとき、冷たくあしらわれたのが屈辱だったのもある。

 さすがに怒ったかな――下を向いた理緒を見ていると、以外にも彼女はふうと細く息を吐き、机に頬杖をついて視線を落とした。

「……あーそう。すごい。演技上手だね。そんだけ上手いならもう私の協力なんてなくても一人で不倫暴けそうだね」

「え、佐生? 怒った? おこ?」

「別に怒ってないけど。ただ私じゃ役者不足だって知ってショックでさー。もう鷺岡くん一人に任せて私はやめよっかなぁーこの調査」

 やめようかな、の言葉に真は飛び上がった。

「いやっちょっとっ、冗談じゃん! 佐生はクールだしそのままで良いんだ! でも俺は馬鹿正直だから演技の練習しなきゃって思って、頑張って、それで佐生に試してみたくてつい」

「っんっふふ」

 頬杖をついた手の下で、口角が緩んでいる。愉快そうな理緒の目線がこちらを向き、真はようやくやり返されたのだと気づいた。

「お前こそ騙したんじゃねえかよー!」

「違う違う、私の演技力も試したかったの。いやーこれなら二人ともバレなさそうで安心だね」

 もー! と声を上げると「牛みたい」と言ってからかわれた。ふざけて二人でたくさん笑った。多分、お互いに大げさに笑った。不必要に笑っていないと、何だか緊張でどうにかなりそうだった。

 理緒が授業へ行った後に真は一人で張り込み場所のドーナツショップへ向かってみた。せっかく考案した連絡手段は使わなかった。ドーナツを一つ買って昼間のラブホテル前を見つめてみるが、やはりそこを通る人の中に父親の姿はない。さすがに出勤中は不貞行為などできないか――。

 一時間粘っても何の収穫も得られなかったので、大人しく店を出た。そう何度も同じ場所は使わないのだろう。いつか理緒と話した内容を思い出す。ホテルを使った次は別の場所で不倫をする。そうだとしたら例えば、やはり、ショッピングモールでデートなど……するのだろうか。

 この予想が当たっていたらと考えると、嬉しいよりも恐ろしい。

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