ダブルパンチ!!~小学生vs.ダブル不倫~

才羽しや

第一章 発見、企み、夏休み

1-1

 鷺岡真が「サギオ」というあだ名で呼ばれるのには、二つの理由がある。

 一つ目は鷺岡という名字。「サギオカ」から「カ」を取って「サギオ」。名字をもじった安直なあだ名をつけられたのは、真が健全な小学校生活を送っている証拠だ。

 二つ目は彼の容姿と中身のギャップ。五歳の頃に観た刑事ドラマの主演俳優に憧れて、真はずっと七三分けの前髪で過ごしてきた。加えて生まれつき視力が悪く、幼稚園に通い出す頃から分厚い眼鏡を装着。七三分けの眼鏡の少年を見た誰もから「ガリ勉」の第一印象を抱かれてきたが、しかし彼の本質は極めて明朗快活そのもの。コミュニケーションを厭わずスポーツに精を出し、テスト前以外ではろくに勉強もしない。サボりもズルもお手の物。理知的で生真面目な意見を求めて真に声をかけた初対面の者たちは皆、その馴れ馴れしさと大雑把さに呆れ果てて「詐欺だ」と騒いだのだ。――ゆえに、「詐欺男(サギオ)」のあだ名がついた。


 そんな鷺岡真が、夏休み前。あろうことか地元の学習塾になど顔を出していたものだから、同じ五年三組のクラスメイトたちは当然うろたえた。

「嘘だろ、サギオじゃん! お前は来ちゃだめだろーがこんなとこ!」

「ほんとだぜサギオ、ガリ勉っぽいのにガリ勉じゃないからサギオだったのに、これじゃほんとにガリ勉で、全然サギオじゃなくなる!」

 大騒ぎで駆け寄って来た愉快な男子は、四年生から同じクラスの長沼と、同じマンションに住まう原木だった。どうやら彼らも同じ塾に通っていたらしい。特に真と付き合いの長い原木の慌てぶりは凄まじく、「どーゆーこったよぉー!?」と塾校舎の入り口で肩を大きく揺さぶられた。ビルの隙間から見える夕暮れ空が、一緒にがくがく揺れていた。

「しょうがねえだろーが。母さんが暇なら勉強しろってうるせえんだから」

「暇ってお前、サッカーどうしたよ?」長沼がやんわり原木を引き剥がす。

「あー……監督とケンカした。だからサッカーは、まだやめてないけど、多分もうじきやめる。だってもう行きたくねぇもん。監督の顔見たくない」

 真がばつの悪そうな顔で白状すると、長沼と原木は顔を見合わせるや否や、ぷっと吹き出して笑いだした。

「あー良かったぁそれでこそサギオだ! 先生の言いなりって顔してんのに、監督とケンカしちゃうとかよぉ。ほんっとサイコーだぜ!」

「ホッとしたぁー、受験のためにサッカーやめたとかじゃなくって」

 一体自分はどういう目で見られているのか……内心複雑だったが、真は少し安堵もしていた。夜の七時半を過ぎたこの時刻、いつもなら少年サッカーのチームメイトと練習をしているか、家でテレビを見ているかだった。それがサッカーチームに顔を出さなくなってからは、家でマンガを読むか妹とテレビゲームをするかの怠惰な毎日。見かねた母にせっつかれて通い始めた夕方の塾は正直面倒だったが、友人と努力を共有できるという面では、サッカーとそんなに変わりはないのかもしれない。

「ところでサギオはこの塾いつから通ってんの?」

「昨日から通い始めたばっかだぜ。つまりお前ら、俺の先輩」

「へーえ。初めてねえ……」

 原木の質問に答えると、長沼がたくらみ顔で鼻を鳴らした。真が目を丸くしているうちに、二人は真の両脇をかためて背中を押した。昨日地図サイトで予習した帰り道とは逆の方角へ引きずられる。

「じゃあ俺たちが、何も知らねえサギオ君に塾帰りのタシナミってやつを教えてやるぜ」

「おい、押すなよ長沼」

「覚悟しろよサギオー!」

「原木声でかっ」


***


 プシュッ、と小気味良い音を立ててタブを開け、一気に缶の中身を煽った。弾ける酸が喉を通り抜ける、冷たいはずなのに焼けるような快感がたまらない。疲労した脳に冴え渡る刺激。

「くああーっ、ほんとにサイコーだなこれ! 教えてくれてありがとう友よっ」

 だんっ、と音を立ててテーブルにサイダー缶を置き、真は両脇に座る友人の肩を叩いた。塾の帰り道にあるコンビニのイートインスペース。たまにここで好きな缶ジュースとレジ前の揚げ物を貪るのが、原木と長沼の言う"塾帰りのタシナミ"だった。つまりはただの買い食い。しかしハイペースな塾の授業後にこの糖分摂取は何よりの癒しであり、学校帰りと違って堂々と寄り道や買い食いができる開放感は、真にとって新鮮なものであった。

「この一杯のために生きてるってやつだぜ。俺たちに一日中勉強ばっかさせてよぉ、親にはわかんねえだろなぁ」

 一切迷わず選んだチキンを頬張りながら原木が得意気に語る。

「そうそう。バス代をちょろまかして食うコロッケはうまい。バスに乗らなくってもさ、近道通って小走りで帰ればカロリーも消費できるしあんま遅くならねえし、たまの買い食いもバレねえって算段だ」

 肉まんかチキンかで悩んだ末に選んだコロッケを長沼が噛る。

「……正直今日までさあ、塾って勉強ばっかでガリ勉しかいなくて先生は冷たくて、地獄みたいなもんだと思ってた」

 カップに入った唐揚げを爪楊枝で突き刺して、真はボソボソと呟いた。

「塾に行かされるくらいなら、監督とケンカなんかしなきゃ良かった、サッカー行けば良かったって思ってたんだ。でも、長沼と原木に会えてちょっと気が楽になったっつーかさ……こんな楽しみがあるなら、勉強も悪くねえのかもって、今ちょっと、安心……してます。はい」

 自分で言って思わず照れてしまう。顔が熱くなるのを感じて、自棄のように真は唐揚げにかぶりついた。真を見てにやにやと笑う二人の顔が、正面の窓ガラスに写って見える。昔からそうだ。思ったことがすぐに口から出てしまうから、いつも気づいたときには余計なことを口走っている。馬鹿正直。それが真のコンプレックスだった。

 一足先に食べ終えた原木がトイレに立つと、長沼がこそこそと話しかけてきた。

「なあサギオ。あれ、あれ何だと思う?」

「え、どれ?」

 あれだよ、と長沼が指差したのは、窓の向こうに見える派手な建物だった。このコンビニを初めて利用した真にとって、この辺りはあまり馴染みのない通りだ。だから真はそれを初めて見た。ビルとビルの合間にある、他のビルと比べて妙にギラギラした配色の建物。ネオンが派手に点灯しているこの時間でなければ、きっと真はここに座ったとしてもその存在に気づかなかっただろう。

 隣のビルと間違い探しをして気づいたのは、派手な看板の装飾だ。真は妹がよく好んで着ているTシャツを思い出した。

「……ユニコーン?」

「馬っ鹿そうじゃねえよ! その看板の建物が何なのかって聞いてんの! 原木は馬鹿だから分かんなかったんだけどさ、サギオなら知ってそーだなって」

 長沼に言われて注意深く観察してみると、建物の形は絵本なんかに出てくるような城に似ていた。光るネオンは“HOTEL”の文字を表している。

「ホテル? なんか、ユニコーンのホテル」

「なーんだサギオも知らねぇの。原木もサギオもお子ちゃまなのな」

「どーいう意味だそれ!」

 あれはなぁ、と身を寄せてきた長沼がねちっこく囁く。

「あれはただのホテルじゃなくてラブホっつーのよ。ラブなホテルでラブホテル。つまりだな、ラブラブな男と女が、エロいことするための場所――」

「――お待たせぃ」

 原木がトイレから戻ってきた。その底抜けに明るい笑顔を見ていたら、真と同じ気持ちを抱いたらしい長沼が「原木には内緒だぜ。馬鹿だから」と早口に耳打ちした。真は赤い顔でうなずく。男と女が、エロいことを――確かに原木には何となく聞かせづらい話だと思った。だって原木は馬鹿だから。

 妙に火照った喉に残りのサイダーを流し込み、真はゴミを手に長沼と原木を追ってコンビニを出た。すっかり暗くなった夜の街並みは、どこもかしこも電灯に照らされ、いやに大人っぽく真の目に写った。中でもその、道路を挟んだ向こう側にある、ピンクのネオンでぼんやり光る“ラブホ”とやらが――。

「――は、っ」

 真は息を飲んだ。心音が一発、ドンと大きく轟く。ペットボトルの蓋をどこに捨てるかで言い争う長沼と原木の声が遠ざかり、人の足音や、コンビニの入店音、駐車場で車が発進する音、何もかもが意識から消え失せる。

 車道の向こうのラブホテルなる建物から、趣味の悪いネクタイをした男が出てくるのを見た。紫色の生地に、黄色いチェックとブランドマークの刺繍。昨年の父の日に、母と妹が選んでプレゼントしたものだ。男は鷺岡真の父親の姿をしていた。いや間違いなく、彼は鷺岡信治だった。そして信治と手を繋いで出てきた女は、間違いなく真の母親ではなかった。真には分かる。その女は黒髪だが母の文乃は茶髪だ。文乃は人前で手を繋いだりしないし、そもそもこの時間帯、彼女は真や信治や、妹の実のために夕飯を作っている。こんなところにいるはずがないのだ。

 ――浮気だ、と思った。

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