赤い屋根の校舎

@owlet4242

赤い屋根の校舎

 これは私が母から聞いた話になります。


 母の父、つまり私の祖父はもう亡くなっているのですが、生きていた頃は林業を生業にしていたそうです。

 それも、植林で作られた人工の木ではなく、山奥に生える銘木を扱うような仕事をしていたので、母が子どもの頃は祖父が全国各地の奥山に生えた銘木を追いかけるのに合わせて、何度も引っ越しをさせられ辟易したみたいです。


 これは、そんな母の引っ越しにまつわるお話です。


 母が小学生の頃、祖父がどうしてもしばらく腰を落ち着けて取り組みたい山があるということで、母たちは一家揃って東北のある山間の村に引っ越しをしたことがあったそうです。

 そのときは比較的都会に住んでいた母は、行き先が途方もない田舎だということと、仲良くなった友達と別れるのが辛くて、かなりぐずったそうなのですが、小学生の子どもにはどうすることもできず、結局、一家で村まで引っ越したのだそうです。


 引っ越した先は、もう当時ですら限界集落に近いような村で、母たちは住み手が居なくなった古民家を借りて生活することになりました。

 家というものは人が住まなくなると途端に弱り始めます。だからその家もかなりガタがき始めていて、祖父が住むために最低限だけ家の修理をする間、当時身重だった祖母に代わって母がご近所への挨拶回りにいかされたのです。


 村に住む人の数は少ないのですが、それでも一軒一軒が大変離れた位置に建っていて、それを子どもの足で巡るものですから、母が全ての家を回り終える頃にはもう昼も過ぎていました。

 しかし、母にはまだどうしても回らなければならないところがあったのです。


 それは、母が明日から通うことになる小学校でした。


 祖父がその村を生活拠点に選んだ理由も、母が徒歩で通える距離に小学校があるというのが最大の理由だったのです。

 母は、少し疲れた足を奮い立たせて最後の目的地である小学校に向かいました。でも、その足取りは大変重いものでした。

 なぜなら、都会の綺麗な校舎の小学校で過ごしてきた母には、田舎の森に埋もれるように建つ、古くさい小学校に通うことは憂鬱でしかたないことだったからです。


 でも、そんな気分も小学校の校舎を見た瞬間に吹き飛びました。


 坂道を登った先の窪地に整備された校庭に、小学校の校舎が見えた瞬間、母は思わず「わぁ!」と声を漏らしました。

 その校舎は木造二階建てだったのですが、流石は銘木の産地、全ての木材が極上の天然木で組まれ、防水のために塗布したニスで艶やかに輝いています。木材の表面には精緻な彫刻が彫られたり、寄木細工ようになった部分があったりと、都会の無味乾燥なコンクリートの校舎が霞むような美しさです。

 中でも、美しく深紅に塗られた屋根は、当時流行っていたドールハウスを彷彿とさせて、母は明日から毎日ここに通えるんだと胸を弾ませて校舎に向かいました。


 校舎に着いた母が呼び鈴を鳴らすと、玄関に現れたのは校長先生でした。引っ越しの挨拶に来たことを告げると、人の良さそうな校長先生は、ニコニコした笑顔で母を中に招き入れてくれました。廊下を通って校長室に案内される間、すれ違う他の子どもが笑顔で母に挨拶してくれます。

 田舎というだけあって服などは都会ほど垢抜けていませんでしたが、それでも人柄の良さそうな子が多いことに、母はほっとしたそうです。


 校長室に入った母はふかふかのソファに座ると、校長先生から「いつから通うことになるのかな?」「お家はどの辺りかな?」と色々な質問をされました。母が一つ一つに丁寧に答えると、校長先生はニコニコと満足そうに頷いて、戸棚からお茶菓子を取り出すと、お茶と一緒に食べるように母に勧めてくれたそうです。

 一日歩き通しで疲れていた母は、遠慮なくそれに手を付けようとしたのですが、そのとき防災無線から五時を告げるメロディが流れました。


「今日は早めに夕食にするから、無線のメロディがなったら帰りなさい」


 そう祖父から言われていた母は、伸ばしかけた手を引っ込めると、丁寧にお礼をいってソファから立ち上がりました。それを見た校長先生は、少し寂しそうな笑顔で「またいつでも来てくださいね」と声をかけてくれたそうです。

 そして、校長先生や子どもたちに見送られて、母は校舎を後にしました。帰り際に振り返って見た校舎の赤い屋根が、夕日を浴びてまるで燃えるように輝いて、その美しい屋根の赤を今でもはっきりと覚えていると言っていました。


 それから家に帰った母は、夕飯の席でさっき見たあの美しい赤い屋根の校舎の話を祖父母にしたそうです。

 すると、祖父母は怪訝な表情で顔を見合わせてから祖父が口を開きました。


「お前の言ってる赤い屋根の校舎は旧校舎だ。10年前に少し奥にコンクリート製の新校舎ができてから、旧校舎は廃校状態のはすだ」


 それを聞いた母はびっくりして、そんなことはないと祖父母に何度も言いましたが、何かの勘違いだろうと二人は取り合ってくれませんでした。


 モヤモヤした気持ちを抱えたまま、次の日を迎えた母は、今度は父に連れられて学校に挨拶に行きました。

 昨日と同じ道を辿って、もうすぐ坂を登りきっていよいよ学校が見えるとき。母は最後の坂を一息に駆け上がると、目の前の光景に思わず「あっ!」と叫びました。

 そこに広がるのは綺麗に整備されたグラウンドではなく、一面に野草が生い茂った草原のような窪地でした。その中央には赤い屋根の校舎が佇んでいましたが、屋根の赤はくすんで所々が剥げて、下地が見えてしまっています。壁などの精緻な彫刻や細工もその多くが剥がれ落ちて見る影もありません。


「な、父さんの言った通りだろ?」


 祖父の言葉に半ば呆然としながら、母は更に山の上にある新校舎へと連れられて行きました。


 次に母が正気に戻ったのは、新校舎の校長室に案内されたときでした。

 昨日出会ったのとは全く別人の校長先生に頭を下げて挨拶したその後のことです。顔を上げながら校長室の壁にかかった歴代の校長先生の写真を眺めた母は、再び「あっ!」っという声をあげそうになりました。

 額に入れられて並んだ歴代の校長先生たち。その一番左の「初代校長」というプレートがつけられた額縁の中で、昨日出会った校長先生が、昨日見せてくれたのと全く同じ笑顔で母に笑いかけていたのです。


 結局、それから一年間母は新校舎の小学校に通ったのですが、ついにあの見事な赤い屋根の校舎を見ることはありませんでした。




 日本には「黄泉戸喫ヨモツヘグイ」という言葉があります。これは黄泉の国の食べ物を食べることを表した言葉です。黄泉の国の食べ物を食べてしまった者は、黄泉の国から抜け出せなくなるのです。

 『古事記』でも、「ヨモツヘグイ」をしてしまったイザナミを、黄泉の国までイザナギが助けに来ましたが、結局彼女は黄泉の国からは逃げられませんでした。


 もし母があの時、初代の校長先生から差し出されていたお茶やお菓子に手をつけていたとしたら……もしかすると私はここにいなかったのかもしれません。


 でも、母はこの話をするときには決まってこう言うのです。


 「あの優しい笑顔の校長先生は、きっとそんなことをするつもりはなかったんだよ。多くの人に忘れ去られていくなかで、久しぶりに学校にやって来てくれた子どもが本当に嬉しくて、心からもてなしてくれたんだよ」って。


 初代校長先生が差し出してくれたお茶とお菓子、そこにはどんな意図が込められていたのでしょうか。


 今となってはそれを知る術はもはやありません。



《終》

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