探偵たちの章――Ⅴ
予想通り、『バクスターコーヒー』は俺には似合わない居所であった。しかも病院内部の施設であるため、余計な心臓の労苦を背負わせることになった。ここを待ち合わせ場所にした選択者を恨むしかないが、「どこでもいい」と俺が言った手前、文句を付けられる義理もないのが悔しいところである。
夕刻と夜の切れ間ぐらいの時間帯だが、人はいくばくか多い。会社員や、大学生、高校生もいる。『バクスターコーヒー』には人生が光り輝いてそうな人間ばっかりいるのかと偏見を抱いていたが、さして普通の人たちが机に座っていた。不覚にも安堵したのは否めない。
典型的なコーヒーが飲めればよかったので、メニューを見ずに「ドリップコーヒーください。サイズは中間のものを」と注文した。特に差し障りもなくカップを受け取り、待ち合わせ相手のテーブルへと向かう。足取りは迷わない。先に目付けをしておいたからだ。
やっぱり、目立つな。いろんな意味で。
江田は、サングラスの奥から視線を寄こした。
「久しぶりじゃないか、福山涼亮」
「……お前、何食ってやがる」
「ああ、一度食べてみたかったんだよね」
平然と江田は答える。テーブルにはパフェだろうか、なんとも高級そうなデザートが鎮座してあった。おまけに、クリームの乗ったコーヒーも付いてある。強欲な野郎だ。俺は胸の中で舌を打つ。人の金で飯を食えるからといって、容赦がない。
一瞬でしょぼく見えたコーヒーカップを置き、俺はため息をついた。
「いくらだ」
「ん?」
「全部でいくらと訊いている」
「いいよ。僕の自腹で」
「そうじゃなくて」
スプーンを口に入れた停止した江田。俺は頭を搔いた。
「お前を呼びつけたのも俺だし、金を持つっていったのも俺だ。仁義は通す。示しがつかん。ほら、いくらだ」
「そこまでいうなら……」と、告げられた金額を聞いて、俺は絶句した。ここは渋谷か? そこらへんに良くあるカフェだぞ? 理解できない思いを薙ぎ払いつつ、札と小銭を渡した。
「三原は何かいってたか」
「別になにも」
「そうか」
華月に俺を繋げるパイプ役として、三原には動いてもらってしまっている。何かしらの恩赦をしなければ、と心に留めておくことにした。気味がられるであろう未来が見えるのだが。
「でもさ、僕は意外だったよ」江田はスプーンで縁についているクリームを
「俺が今回の事件を弄ってることがか」
「それもあるけど、福山が華月に行かなかったこと」
俺は机から転げ落ちそうになった。何を今さら、そんなことを。
「変か」
「僕としては、『文麗四天王』を長く見たかったからね」
「あいつらとは、どこでも一緒の仲良し軍団じゃない」
「そうか?」江田は、俺にスプーンを向けた。「彼らといると、ずいぶん生き生きとしているように見えたが。自分ではどう思うのかね、福山涼亮」
俺は、そっぽを向く。冷めたコーヒーでもいいや、と飲むのを放棄してもいい気がしてきた。
「……スプーンを人に向けるな」
「悪い」
江田に悪気はないだろう。悪気がないのが江田の魅力だ。だからこそ、安芸津より
ちなみに、最初は華月に行くつもりでいた。だが、親の薦めで受けた大学付属高から合格通知が届き、特に拒否する理由もなかったのでそっちを選ぶことにした。電車通学は面倒だが、大学進学も保証されるし、なにより親が喜ぶのが一番だった。
その選択が正しかったと、俺は首を強く縦に振れないのが、やっぱりなあと思えてしまう。
「お前を呼んだのは、華月の中で一番の情報通かつ事件を追っていると聞いたからだ。いきなりすまなかったな」
頭を軽く下げた俺に、江田は口の端を上げた。
「待ってろ。これ食い終わってからな」
「早くしてくれ」
急いで残りのパフェを胃に押し込める姿は、どこか滑稽だった。カップを口に付けたら、まだほんのりと温かみが残っていた。
〇
「まず」俺は唇を舐める。「今までの疑問を整理しておきたいんだが。お互いに把握していないところは、その都度尋ねるし、尋ねてくれ」
「うん。分かった」
「じゃあ……まず、なぜ犯人は『ABC』に仕立て上げたのだろうか」
「僕はそこをあまり重要視してないんだけど。だって、犯人に訊いてみなきゃ分かんないじゃない」
「おま……」いきなり話の腰を折られた。こりゃ長くなりそうだ。
「いいか。リーダーの弟でも、左翼の大物幹部でも、暴行を加えた時点で一大事だ。しかも次は『NGC』の幹部。リスクを取って狙ったんだ。何かしらの意図があるに違いないだろ。それとも、お前は快楽目的で政治系の中心人物を襲い、たまたま『ABC』の順番になった、とかいうんじゃないだろうな」
「ああ、それはない」
江田が説明する。どうやら紅林は身分をほとんど明かさないシークレットと化した人物だとか。現場は自宅近く。紅林の住所を調べる手間がかかる、と。
「なるほど。快楽目的なら、他の『左閣』の人間を狙うと」
「そういうことだね」
「ということは、『ABC』は犯人の隠れたルールが隠されている――まあ確かに、当人に訊かなければ一生分からないかもしれんから保留にしとくか」
俺は指を二本立てた。
「二つ目。青沼森吾を狙った理由だ。『あ』から始まる名前なんてたくさんいる。実際、『NGC』にも『相田』とか『青山』とかの名前を持った人たちが属しているらしい。なぜ、リーダーの弟なんだ? もっといえば、なぜリーダー自身を狙わなかったんだ?」
「弟を狙ったほうが、暴動が避けられないことになるから?」
「だとしたら、標的はなおさらリーダーでいいだろう。今よりも警戒は少なかったんだ。チャンスはいくらでもある」
確かに、と江田は右上を見上げる。物分かりが良くて結構。
「三つ目。現場に落ちていたチラシだ。なぜ、数ある中で留学宣伝のチラシを選択したのか、そして二つ折りにした意味は――」
「待ったあああ!」
激しい振動に襲われた。同時にスプーンが地面へと落ち、鋭い金属音が広がる。江田は興奮しているようで、注目される周囲の目も一切気に介していないようだった。
「――留学宣伝? クソッ、そういうことか――」
「は?」
「おい、福山涼亮。そのチラシの写真はあるか」
「その前に」
俺は銀色のスプーンに目を向ける。
「いくら奢りだからといって、拾わせるつもりか」
「あ……」
ようやく我に返ったのか、すごすごと後始末を完了させた。ああ、変に目立つのは好きじゃない。前髪を後ろに掻き分けて、恥ずかしさを紛らわせる。
「お前、知らなかったのか」
「警察か、もしくは生徒会が隠していたんだ。チラシの内容を犯人がボロ出すかもしれないからね」
「なるほどね。まあ、正しい判断だろうな」
新聞部には悪いがな。
スッスッと携帯電話を操作して、兼吾から送られたチラシの写真を見せる。
「カナダ――フランス――」
「表はアメリカとニュージーランドらしい」
「へぇ……」
江田の言葉が止まる。ついさっきの勢いとは打って変わって静まり返っていた。とりあえず写真送っといて、という声は予想に反して収穫を得れなかったことへの失望だろうか。
「そういや、『セントラル』の件で手間かけさせたな」
「ああ、それね」
興味なさそうに、江田は視線を下に向ける。分かりやすい奴だな。
「よっぽど、面倒だったような」
「いや! 違うって! なんでまた……」
まあ、いいや。俺は頭を搔いて、左右両方の人間が襲われたのは、運動そのものに反対をしている人間ではないのか、との仮説を伝える。
「正直、外れだった」
「そうだろうね。僕も想像がつくよ。『セントラル』が犯人である根拠が薄い」
あ、と江田は思い出したように声を上げる。
「生徒会か」
「ん?」
「いやあ、左右――『左閣』と『NGC』の中間にいて張り合える団体なんて生徒会しかいないって三原にもいったなあと」
俺は口に手をやった。前のサングラス男を垣間見ると、ニヤニヤと気持ち悪い笑いをしていた。
「なあ、江田」
「うん?」
「今……お前とたぶん同じ奴の名前を思い浮かべているんじゃないのか」
「決まってる」
江田は言い放った。「安芸津しかいない」
「お前は……あいつを犯人だと考えているのか?」
「いいや。今のところは証拠がない。でも、なんらかの形で関係はしてくる」
実はね、と江田が小声になった。「一人、有力な人物がいてね。明日、なんとしても引っ張り出すつもりさ。簡単にいえば、そのコと安芸津、さらに森吾は繋がってるんだ」
詳しいことはいえないけど、と江田は椅子に大きくもたれかかる。店の客がちらほらと少なくなっていた。外はすでに暗い。店員さんが気にかけるようにこちらを見ていたが、気付かないふりをした。
「福山よ、もし安芸津が実行犯、もしくはそれに準じる罪を犯していたとしたら、動機は何だろうか」
「安心しろ、その点は分かりやすい。あいつは面白いと思ったことしか行動しない。欲望が擬人化したみたいなもんだ。右翼と左翼の対立も、上から眺めて手を叩いているだろうよ」
「安芸津に思想的なものは――」
「ないな」
「ふうん……」
データ主義の江田にとっては想像のつきづらい話だろうか。でも、それが安芸津忍という人間だ。一つのことに夢中になれるなんとも素敵な趣味人のように見れるかもしれないが、そのためには何でも……といった冷酷で非情であることも、見逃しちゃあならない。
「まあ、強いていうなら、下剋上に強い興味があるってことかな」
「下剋上? 戦国時代のか」
「そうだ」
下の身分だった武士が上司を潰してその国を支柱に収める。まともな支配者もいないグラグラな世相を良く表した単語である。安芸津が好きだといった赤松満祐も、その部類に入るのだが。
「生徒会に思想があったら、いろいろと大変じゃないのか?」
「ダメってわけじゃない」江田は手を横に振る。「選挙に勝つか勝たないか、それがすべてさ。右だろうが左だろうが、ね。今は瀬戸内会長が無党派ってだけで。だからこそ、左右のど真ん中になりうる位置へと座れるんだろうけど」
瀬戸内って名前だったか。俺は脳内から過去の情景を引っ張り出した。そういえば、『セントラル』の紫葉って奴がいってたな。
ん。待てよ。
「俺の記憶が正しければ、今の生徒会長は元右翼だとか」
「お、よく知ってるじゃないか」
江田は笑う。「そうだよ。『新世代クラブ』っていう『NGC』の前身団体。リーダーは、当時中学生の青沼兼吾。その一員だったのが瀬戸内倖汰」
いわずもがな、『NGC』と生徒会の仲にはどでかいパイプがあるのだろう。
「元右翼って知ってる人間はどれくらいいるのか?」
「分かんない。少数だっていうのはイメージが付くけど」
江田はテーブルに肘をつき、前のめりになった。表情は真剣さを催していた。
「福山。僕にできなくて、君にしかできないことを頼んでいいか」
「なんだそれ」
「安芸津の目的は知らない。もし、彼が左右の対立を面白半分で企んでいるのだとしたら、背景となるのは『NGC』と生徒会の癒着だ。それがあるからこそ、『NGC』と『左閣』の対立がより鮮明化する要素となるんだ。
しかし残念ながら、事実となるデータ・根拠はない。僕のモットーである『真実・客観・エゴ排除』に反する行為になるからね。行動ができないんだよ」
何をいいたいのか、理解できた。
「つまり、俺にその疑惑をネタにして、生徒会を突けと?」
「そうだ。福山なら守るべきものも何もないだろう?」
勝手に推測しやがって。決して的が外れていないのが、少々歯がゆい。
「だが、どうやって調べる? リミットまであと一日しかない」
「僕の知り合いの知り合いに、『新世代クラブ』のメンバーだった人に心当たりがある。その人ならいろいろと知っているんじゃないかな」
瀬戸内という男の過去、それから現在まで。ヒントが転がっていればいいのだが――。
「僕のセンも大当たりな確証はない。だからまあ、保険みたいなものさ。嫌だったら、辞退してくれて構わないよ」
「別に、断る理由もない。
江田は満足そうに頷いた。生徒会であろうと、それに属する安芸津であろうと俺が追っていくべきラインは変わることはない。
時計は七時前を指している。おっと、もう出なきゃ、と江田が慌てて立ち上がった。周囲に客は一人もいなかった。なるほど、この時間で閉店なのか、と新たに知識を習得した。
「福山」
江田はサングラスの奥で笑う。
「自由にやれよ」
「心外だな。いつもフリーダムに生きてるつもりだが」
目にかかった前髪を、そっと横に掻き分けた。
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