新聞部員の章――Ⅰ
僕は、幼い頃から怖がられていた。
〇
横断歩道を渡るとき、速足の会社員とぶつかりそうになった。
その人は謝罪も因縁もなく過ぎ去っていき、僕の心には少しの罪悪感だけが残る。ああ、嫌な感じだ。「ごめんね」の一言もいえないとなると、後味が悪い。
「おい、
携帯電話を左手で持ちながら、
「やめろ、廿日市。喧嘩は趣味じゃない」
「臆病者の強がりにしか聞こえねえな」
「馬鹿言え。その論理でいったら平和主義者みんな腰抜けになるぞ」
「拳さえ持たない野郎が平和云々語るのはおこがましいぜ。よお」
爆発頭をぐしゃぐしゃと潰される。僕は長身の廿日市を見上げた。
「……ロン毛の金髪に絡まれたんじゃ、犯人ドンピシャでバレるだろうが」
「はは。俺って、有名人か?」
「ウチの学年では、知らん奴はいないだろうね!」
廿日市はポケットに手を突っ込み、ライトで照らされた車道を見据える。下校時刻をとっくのとうに超えていたので、あたりはもう真っ暗だ。家路に急いでいる車が連なり、雑音がぐんぐんと耳を鳴らしてくる。
「で、弟クンたちは?」
「ああ、ウチのことは気にすんな」
「……そうかよ」
疑うような表情だったのだろうか、廿日市は小さく笑いかけた。まともな髪型だったら、黄色い声をかけられる日常だった顔貌。僕はいつも惜しく思っている。
確かに、誘った手前、祭りを盛り上げなきゃいけない。私情を気にしてしまうのは良くないことだ。うん、反省しよう。廿日市が「良い」といっているなら、それは「良い」なんだ。友達を信じなくて、どうする!
廿日市は携帯電話をポケットにしまい、「あ、そうだ」と思い出したように立ち止まる。後ろを振り向き、僕のかけているサングラスをグッと押した。
「前、見えてるか?」
今日は、少し暗かったかもしれない。視界が押されたまま、僕は目を細める。
「大丈夫。いつもどおり」
機能停止した左目。右目は快調。以上の意味での「大丈夫」だ。
「そうか」
安心したように、廿日市は進んでいった。
〇
僕も彼も、生物学的に兄だと分類される点で共通項があるが、僕には「らしさ」がない。廿日市は、「お兄ちゃん」って呼ばれても違和感ないのに、なんでだろう。「江田には弟がいるぜ」といえば、大方ビックリしてくれるので、気まずい空気を和らげる便利な道具である。
が、なんだかモヤモヤしてならない。
「そりゃ、お前」
冷や水をちびりと飲んだ廿日市がいう「背負ってるものが違うんだよ。いろんな意味で」
「そりゃ……そうだけどさ」
「いやいや、いいことばかりじゃないぜ。羨ましいよ。江田の自由奔放さは」
僕は空になったラーメンの器に目を落とす。
「自覚の足りなさかなー。んー」
「悩むほど深刻なことか?」
そこまでではない、とかぶりを振る。でも、兄としての権威下落は後々大きな問題になりかねないので、早急に対処しておきたいところではあるが。今、僕らの前に立ちはだかってる謎はただ一つ!
「連続暴行事件の犯人は誰だ、という難題が僕らにはある」
新聞部員の名を元に、解決すべき事案である。
「でもよ、取材を結局断られたじゃねえか。右にも左にも」
「……石の上にもなんとやら!」
「そん時には大学生になってるな」
困った。そう、状況はあまりよろしくない方向に進んでいる。
二日前の土曜日に発生した、学生左翼団体『左閣華月支部』の紅林、そのちょうど一週間前、右翼『NGC』の青沼森吾――二つの事件を結びつけるのは、同じ土曜日であること、同じ文京区内での事件だということ、そして現場には同じチラシが落ちていたこと――。
「悔しいな」僕は拳をテーブルに叩く。「疑心暗鬼にもほどがあるだろ!純白清廉で名を売ってる我らが新聞部を邪険にするなんて!」
「江田。少しうるせえ」
「あぁ! あぁ……ごめん」
興奮しすぎた。
中華屋『
「おっちゃん! 水ちょうだい! あと、杏仁豆腐!」
「あいよ」
「なあ、おっちゃん」廿日市が、カウンター席から少しだけ身を乗り出す。「最近、赤とか青の服着た若い連中見ないかい?」
「華月の奴らか?」
私立華月高校とは、ここから徒歩八分の僕らが通っている学校である。
「いいや。とにかく、同じ色に染まってる集団が、最近また暴れだしそうでさ」
「ああ、そういやまたよく見るようになったな」
廿日市は僕と目を合わす。たぶん、『左閣』か『NGC』に参加してるメンバーか。前者が赤、後者が青の服装をイメージカラーとしている。まるで一昔前の、カラーギャングみたいに。
「あれは」おっちゃんが、下から目線を逸らさずにいう。「政治を変えようってやってる子たちなんだよな」
「そうだよ」僕が返す。
「だよな……」
おっちゃんは、後の言葉を出そうとはしなかった。想像との乖離か、過去の記憶との乖離か。とにかく、華月高校に特有な政治系部活動の存在がよく見られてないことは、四方八方から噂されてるし、面と向かって苦情を申し付けた人もいる。
「あいよ、水と杏仁豆腐!」
「お、サンキューおっちゃん」
一口するりと食べると、甘い味わいが口いっぱい広がる。不味いわけがない。
「にしてもよ」と廿日市は不満げな口調になる。「今日の臨時号で、書きゃよかったのに。次の土曜日、また事件が起こるぜって」
「ダメだ。それは僕らが扇動することじゃない。読者が判断することだ」
「愚直なんだな」
「当たり前だろ」
僕はスプーンを、隣の高身長に向ける。
「『真実・客観・エゴ排除』。新聞部のキーフレーズを創始者として不遵守することは愚の骨頂さ」
「俺らまで神経使わなきゃいねえのがな……」
「一年間、僕の文章を見てきたんだ。そろそろ取材一辺倒を脱却したいとは思わないかね、廿日市よ」
苦笑いする。「まあ、大体は
すると、廿日市の携帯電話が振動する。画面を見て、「噂をすれば」と呟いた。
「
「さあ――あ、もしもし。俺。うん、うん……」
律さんの言葉一つ一つに、廿日市は丁寧に頷く。気になりだしたら止まらない。豆腐を食らう手を止め、自然と廿日市の身体へと寄り添う。
目が悪い分、耳の良さは人一倍だ。
『――だから、大見出しは今日中にたぶん終わると思う。
淡々と、抑揚のない声が聞こえる。
「ん。分かった」廿日市は僕をチラリと見る。
「横に江田いるけど、電話交代――」
『いい』
即答。
苦しい。
でろりとテーブルに横たわる。ストレートの一発KO負け。
「……今、江田が死んだけど……あまり泣かせてやるなよ」
ここから、律さんの声は聞こえなくなる。
「まさか。人前で泣く貧弱体質じゃないと俺は信じているけどさ……ん、そうだね。あ、あと、お母さんに昨日の食事のお礼を……いや、弟と妹がまた食べたいってせがんで……ああ、悪いな、いつも。また今度、改めて礼をいうからさ……じゃ、はーい、はい」
廿日市の、吐く息を耳にする。
ああ、まったく、ダサい。洒落さがない。スマートじゃない。なんでこう、違う方向に転がっちゃうんだろう。廿日市みたいに――いや、律さんとこの奇怪変種人間はいわゆる幼馴染という関係らしいが、それを差し引いたとしても僕の態度が明らかに――。
知らん。二人の過去なんて興味がない。今。今が大事なんだ。
「宮島ちゃん怒ってた?」
「別に。いつも通りじゃね? 律がそっけないのは」
「まあ、そうか……」
ホッと安堵をする僕を尻目に、廿日市はふふんと鼻を鳴らす。
「江田の恋路は苦難を極めるなあ」
「なっ……てめえ!」
「いいっていいって、落ち着けよ江田」
そして僕の肩に手を回し、
「何だ貴様、偉そうに!」
「いいから聞けって。律が江田と結ばれようが、お前の妄想するようなふしだらな関係以上の特別な繋がりが俺にはあるんだ。つまり、江田が何をやろうとも俺には敵わないってことよ」
「うるせえ! 指図されるいわれはねえ!」
くそぉ、なんだかものすごい敗北感だ。
ただ一つわかったことは、廿日市は僕の恋路と並走する敵対者じゃないってこと。ということは……?
いや、まさかあ……。そんなあ……。
いいや待て待て。焦りは禁物だ。律さんの意向も考えず勝手に突っ走ってしまうような真似だけは、真似だけはするな。
僕はおかしな高揚感に見舞われながら、残っていた杏仁豆腐をかきこんだ。
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