月末で派遣契約打ち切りと宣言されたけど、辞める間際に受けさせられた一斉業務能力テストでトップの正答率だった。今更延長して欲しいと言っても、もう遅い!

ただ巻き芳賀

短編 月末で派遣契約打ち切りと宣言されたけど……

「今月末で契約終了だそうです」

 

 所属している派遣会社の担当に言われた言葉で、目の前が一瞬にして暗闇になった。


 一体何がいけなかったのか。


 契約打ち切りを伝えられる前に、派遣先の責任者から職場の皆がいる場でキツイことを言われていた。


「採用のときはもっと積極的に働いてくれるかと思ったけど、君は期待外れだった」


 今時そんなこと、本人に直接言うかね。


 正社員に対して教育というか発破を掛けるためなら言う場合があるかもしれないが、それにしても今の時代に合わない。


 言われたときは相応のショックを受けはしたが、人員整理が目的で残留を主張されないようにキツメに言ったのだと想像して、派遣の身ならば仕方がないと気持ちを納得させた。


 今派遣で来ているこの会社は吸収合併される予定だそうで、来月から経営者が一新されるというのは職場でも聞いていた。

 さらにはこのコールセンターが経費圧縮の対象にされているとのことで、人員削減が確定的だと噂になっていたのだ。


 あの「期待外れ」発言で自分が人員削減の対象になっているのだとショックを受けたのだけど、まさに今引導を渡された感じだ。


 それにしては違和感もある。


 一ヶ月前に採用された長身の男だ。


 こいつが常におどおどしていて頼りなく、物覚えが極端に悪い。

 まあ、それだけなら人間誰しも、得意不得意があるから仕方ないかという話だが、たびたび仕事の仕方が分からなくて質問してくるのに、私の話に対するこいつの返事があまりに酷くて辟易とする。


「あの、分からない点があるんすよ」

「なんです?」


「客が怒り狂って製品が動かないって電話してきても、こっちは状況が分からないんだから対処できる訳ないんすよ」

「ならばどんな状況かお客さんに聞いて、その故障状況を向こうの部屋にいる技術者に説明してください」


「いやね。そんなことしなくても、最初から業者行かせたらいいと思うんだよね」

「故障じゃなくてお客さんの勘違いの場合もよくあるから。酷いと本体の電源が入ってないとか、リモコンの電池が切れてるとか。そんなんで業者行かせたら、本当に故障している現場へ行ける人がいなくなるでしょ」


 ちゃんと説明してあげたのに、納得いかないようで私の方を見てあからさまに顔をしかめる。


「何言ってんの? 相手ブチ切れてんだよ。そんなの聞ける訳ないじゃん」

「いやいや、ここのコールセンターにかかる電話なんて、ほとんどが切れたお客からだから。それをいなして故障状況を聞き出し、業者を行かせなくてもその場ですぐ解決できれば、お客にとっても会社にとってもベストだから」


「僕はそれ、違うと思うな!」

「え?」


「あのね。それじゃ僕がつらい思いをすんの。何でブチ切れた客の相手なんかしなきゃいけないんだ。ただ黙って業者を手配すべきだと思うね」

「……」


 ……何言ってんのコイツ。

 動作から故障個所が特定できたら、客先に向かう際に交換部品を持って行けて手間が省ける。

 だから、故障状況を事前に聞くのは必須なのに。

 

 こっちだって派遣の身だから、偉そうに仕事のやり方を語りたくなんてない。

 ただ配属当初は誰だってマニュアルだけじゃ分からない部分もある。

 本人が解らないから教えて欲しいとワザワザここまでやって来るので、仕方なく説明するだけなのだ。

 それなのにあれこれ言われると嫌なのか、先述のような失礼な態度をとる。


 これがもうこの一ヶ月ずっと続いた。


 正直うんざりである。

 なんで役職手当ももらっていない私が、こんな奴の育成までしなけりゃいけないのか。


 性格的な面だけならまだしも、何よりつらいのがすぐ隣の席にいるこいつの香水がかなりキツイのだ。


 いわゆるスメハラという奴だが、汗臭かったり、息が臭かったりなら聞いたことがあるものの、香水臭いというパターンがあるのはこの時に初めて知った。


 匂いがキツいので、とてもデスクで昼食を食べられない。

 なんで私の方が寒い中、ワザワザ外に食べに行かなきゃならんのか。


 ところがこの長身の香水野郎は、どうも来月も契約を延長するらしく私の代わりの仕事をするそうなのだ。


 これには何となくだが、二週間ほど前に思い当たることがあった。



 その日は久しぶりに問い合わせの電話が多くて、コールセンターが賑わっていた。


 こんな日に限って、部隊の責任者であるリーダーが休暇を取っていて現場の指揮をとる者がいない。

 スーパーバイザーは他の製品を担当する複数のコールセンター部隊を全て統括しているので、私たちの部隊にリーダーが不在だからと言って専属で指揮をとる訳にはいかない。


 そんな理由もあり、部隊の中で一番所属が長い私が積極的に動かざるを得なかった。

 

 自分としてはチームを指揮したり、誰かに指示したりするのは得意ではないのだけど、誰かがやらなければいけないことだし、何より自分自身、多少忙しい方が嬉しいのだ。


 想像して欲しい。


 何にもやる仕事が無くて、でもスマホやインターネットも許されず、ぼーっと八時間も椅子に座っていることを。

 

 最初は誰だってあまりの楽さに喜ぶかもしれないが、三十分もすればあまりの時間経過の遅さに苦痛を感じ始める。


 昼を過ぎた頃から更に時間経過が遅くなり、もう一時間経ったかと思って時計を見てもまだ五分しか経っていないということになる。


 その点、難しい仕事ではなくても継続して何かやることがあれば、淡々とこなす間にいつの間にか定時を迎えていて、後は愛しのわが家へ帰ってネットゲームに没頭できるのだ。


 そういう訳で、久しぶりに訪れた仕事の忙しさに喜びを覚えながらその日を過ごしていた。


 ところがだ。

 例の長身香水野郎が忙しい中、ちょくちょく離席するのである。


 在職二週間の彼が居たからと言って大した戦力になる訳でもないし、むしろ頻繁に質問に来られて大変なので、少しくらい離席してもまあいいかと気にしないでいた。

 だが、四回目の離席で気になって彼の行動を目で追うと、全体統括のスーパーバイザーの所まで行って話をしているのだ。


 その後、香水野郎を後ろに従えたスーパーバイザーが私たちの元へやって来るとこう言った。


「どうもこの部隊は仕事が回っていないようだな。今から俺が指揮をとる」


 え? 全ての問い合わせ案件は即座に皆で協力して処理できていて、対応処理待ちはゼロなんだけど。


 私が疑問に思っていると、スーパーバイザーが香水臭いあいつの肩に手を掛けた。


 こいつがスーパーバイザーに対応をお願いしたのか。


 まあ、私としても派遣の身で偉そうに同僚へ指示指図するなんて最初から嫌だったのだ。

 別に正社員で責任者のスーパーバイザーが現場を仕切ってくれるならいいかと、そのときは思ったのだけど……。



 それから連日の様に香水野郎がスーパーバイザーの所に行き、挙句にはスーパーバイザーとリーダーの三人で立ち話をするようになった。


 つまり香水野郎は権力者に上手く取り入ったのだ。


 私の仕事のポリシーは、まず最優先で「出しゃばらない」、そして「仕事はきちんとやる」というものであったけど、権力者に気に入られるというのも処世術なんだなと何となく見ていたが……。


 結果は、私が今月で派遣契約を終了され、先月入った香水野郎は来月も契約を更新されることになった。

 まさか、私が香水野郎にとって代わられるとは……、何て情けないことだろう。


 リーダーが月末で終了する私に対して、担当の仕事を香水野郎に引き継ぐように指示するので機械的に引継ぎを開始した。


 とは言っても私が個別に対応している顧客がいる訳でもなく、単に奴が今まで覚えた範囲で私の仕事を出来るハズなのであるが。


 奴は未だに初日に聞いて来たことを質問してくるし、少し怒った客からの問い合わせがあれば、慌てふためいてパニックになっている。


 一緒に働いているメンバーにとって、香水野郎の仕事の頼りなさは周知のことなのだけど、責任者には分からないのだろうか。


 よく上司は思っている以上に部下を見ているというけど、あれは嘘だな。

 嘘というか、部下に騙されて真実に気付かない場合もあるのだろう。

 上司も人間なのだから。


 しかし流石に堪える出来事が、この職場を離れる一週間前になって起こった。


 なんとリーダーは、私のデスクの周りにいるメンバーたちをデスクに座らせた状態のままで、業務研修を始めたのだ。


 私よりも後から入ってきた連中なので私が知っているようなことも分からず、リーダーが手取り足取り教えている。


 私はというと、今月で契約終了なのでこの業務研修の対象には入っておらず、通常の電話受付業務をいつも通り自分のデスクでこなす。

 ただ、その日に限って客からの問い合わせの電話も鳴らず、ボケっと座っているだけであった。


 なぜ、辞めていく私の周りでワザワザやるのか。

 このデスクは客からの電話を受ける場所なのでそういう意味でも不適切なハズである。


 しかも研修の中身も大した内容ではなく、やる意味があるのかと疑問に思うものだった。


 辞めていく私への配慮など無く、これからの話を皆にするリーダーに腹が立った。

 でもそれ以上にみじめで自分が情けなかった


 まるで君は辞めていくのだから我々とは関係ない人間だよ、と言って聞かされているようだった。


 この状況があまりに酷いことは研修に参加していた人らも感じていたようで、リーダーの冗談にも一様に苦笑いして、私からは完全に目を逸らしていた。


 ただ一名、私のことを見てにやにや笑い、リーダーの問いかけに大げさに頷くあの香水野郎を除いては。


 その日、夕食で使った食器を洗いながら、悔しさのあまり嗚咽をもらした。



 職場を去るまであと五日なった。


 今日はなんやかんやと忙しい。


 もう離れることが決まっているこの会社は経営者が一新するのだけど、今日はその新体制移行の前準備として、コールセンター全体で業務能力確認テストを一斉実施するというのだ。


 私はもう職場を去るのになんと無意味なことか。

 

 そして会社から帰ったら、今度は新しい職場を見付けるために、希望する派遣先企業の社員と面接である。

 このご時世でWEB面接になったので、仕事の後でも移動時間が無くて間に合うので有難い限りだ。


 まず業務能力確認テストだけど、コールセンター業務に差支えが無いように複数班に分けて時間をずらして自分のデスクで受験する。


 この試験で私は、久しぶりに本気を出した。


 どうせ辞める職場だ。

 自分のポリシーはまず最優先で「出しゃばらない」ことなのだが、もう多少目立とうがこの際関係ない。

 二年間務めた職場で得られた経験がどれほど蓄積されたのか、自分自身で再確認する意味で全力を出した。


 問題を見て驚いたのだが、この試験はかなりの難易度だった。


 受験直前にあった説明では八十点が合格ラインだそうだが、この難易度だと派遣だけじゃなくある程度務めた社員でも八十点を切る人がいるかもしれない。


 だが、自分の場合は逆の意味で困った。


 何の因果か、全ての問題の正答が解るのだ。


 十問ほど業務では直接関わりのない、システム関連の問題があったけど、ここでパソコンオタクのスキルが無双した。


 パソコン、サーバー、クラウドの構成詳細や最近メジャーなVPN接続の詳細など選択式だったので余裕だった。


「DXと称されるデジタルトランスフォーメーションにより、将来実用の可能性のあることについて30文字で書け」とかコールセンターに関係あるのか?

 まあこれなどは書きたいことがありすぎて、逆に文字数を絞るのに困った。


 ありがとう、週刊アス○ー。


 君のお陰でこの職場に一矢報いることができたよ。


 困ったのは下手すると全問正解になることだ。


 この難易度でもし全問正解した場合、不正を疑われるかもしれない。


 このテストは自分のデスクで受験するため、周りに社員がいる状況だから不正なんてしようが無いのだけど、最後の最後で不正を疑われて疑惑を抱えたまま辞めるのも詰まらない。


 仕方がないので、一問だけワザと間違えておくことにした。


 かといって、難しい問題をワザと間違えておくのはちゃんと解けるのにもったいない気がする。


 結局、問題の中身よりもどの問題をワザと間違えるかに一番悩んで、一番最初の誰でも解るサービス問題を間違えておいた。



 無事今日の仕事が終わったので、次は新しい職場のWEB面接を受けなければならない。


 大急ぎで家に帰ってWEB面接を受ける。


 仕事帰りの恰好なので、身なりはキチンとしていたハズだ。

 面接をしてくれた相手企業の方は、礼儀正しくて好感を持てる人だった。

 一応、今までの職歴について提出した資料に加えて口頭で補足説明もした。


 特に、単なるコールセンター業務の経験だけではなく、商品内容に関する技術的知識がありテクニカルサポート的な付加業務にも対応していたと丁寧に伝えた。


 でも少し自信がない。


 もうすぐ辞める職場は時給千六百五十円だけど、面接を受けた会社は時給千九百円なのだ。


 いきなりの二百五十円アップは、ちょっと夢を見すぎだったかもしれない。

 あまり期待せずに次の職場も探そう。



 翌日、会社に到着して執務室へ入ろうとすると、手前の廊下で人だかりができていた。


 どうやら昨日のテストの結果が張り出されているようである。


 私は自信をもって張り出された紙から自分の名前を探したのだが……。


 おかしい。


 上から順番に探しているのに、自分の名前が見当たらない。


 そもそも自己採点では、あのワザと間違えた問題が二点だとして九十八点なのだ。

 もし仮にサービス問題だからと、あの問題に十点の配点があっても九十点になるのだけど……。


 とうとうテスト結果を載せることからもハブられたかと馬鹿馬鹿しくなったけど、それならテストを受けさせるのも可笑しいと困惑する。

 成績結果の一番下まで見たところで、最下位に自分の名前があるのを確認した。


 点数は五十点だった。


 つまり、あのサービス問題はなんと配点が五十点だったのだ。


 そんな馬鹿な話があるかッ!

 この会社は、一体どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのか!


 ちなみにあの香水野郎の点数は、私の一つ上の五十二点だった。


 馬鹿馬鹿しい。

 もういいや、今日を含めて後四日でこの職場ともさよならだ。

 しっかり勤めを果たして、あと腐れなく辞めよう。


 テストのことを考えると腹が立つので考えない様に無感情で仕事をこなし、私の昼休みである十四時になった。

 コールセンターなので昼休みをずらして取る必要があり、私の昼休みは十四時から十五時までの一時間だ。


 スマホを取り出してメールをチェックすると、派遣会社のエージェントから一件来ている。

 たぶん次の職場候補の紹介だろうとメールを開いて目を疑った。


 なんと、昨日面接した千九百円の職場から採用内定が出たそうだ。


 マジ!? 奇跡の二百五十円アップ!?

 信じられない!


 読み間違いかと思い何度もメールの文面に目を通すが、間違いなく内定と書いてあった。

 あとは相手企業と派遣会社が契約書を交わすだけだそうだ。


 喜びを隠しきれず、にやけ顔になりながら執務室を出る。

 離席する際に、にやけ顔を同僚に見られて怪訝な顔をされたが、今ならどんな反応をされても気にならない。


 今日は前祝いで、いつもより少しお高いランチを食べちゃおうか。


 浮かれながら廊下を歩いていると、背の低い白髪のおじいちゃんが杖を突きながら背伸びしているのが目に入った。

 どうやら、廊下の張り紙を見ているようだ。


 私に気付いたおじいちゃんは、杖を持っていない左手で私に手招きをしながら話しかけた。


「このテストの結果だが」

「はあ」

「この最下位の五十点と次の五十二点の奴だけ、なんでこんなに他より悪いんだ?」


 仕事では目立たないのが最優先のポリシーである私だけど、次の仕事が決まって浮かれていたのかもしれない。

 事情を詳細に説明してしまった。


「つまりお主が言うには、この最下位の奴は二十六問中二十五問正解で、間違えた一問がサービス問題でその配点が五十点だったということか?」

「そうです」


「しかもサービス問題を間違えたのは、満点で不正を疑われるのが嫌だという理由で、どれをワザと間違えるか悩んだと。でも、せっかく解ける難しい問題をワザと間違えるのはもったいないから、最初の一問目を誤答にして提出したら配点が五十点だった、ということか?」

「そうです」


「何でお主にそんなことが分かる? お主が採点者なのか?」

「違います。私がその最下位得点の者だからです」


「……お主、面白い奴だな!」

「いえいえ」


「ちなみにこの最下位から二番目の奴だが、こいつはサービス問題と別の一問の計二問正解で五十二点ということか?」

「たぶんそう思います。自分のことではないので断定はできませんけど」

「ふむ」


 少し考えたおじいちゃんは、さっきまでよりもしっかりと私の目を見てから聞いてきた。


「それでお主は何処の部の社員なのだ?」

「私は社員ではなく派遣です。まあそれもあと四日ですけど」

「? なぜあと四日なのかな?」

「契約を更新されずに派遣切りされたからですよ」

「……」


 私は無言になったおじいちゃんに丁寧にお辞儀をして別れた。


 ようやくおじいちゃんから解放されたので大急ぎで建物の外に出ると、いつも気になっていた焼肉屋のランチセットを注文するために大通りを急いだ。



 さっきのおじいちゃんのお陰で出足が遅れて、戻ってきたのが昼休み終了の五分前になってしまった。


 それにしても、昼食で焼肉なんて最高の贅沢だ。


 まだ口の中に残る幸せの余韻に浸りながら自分の席に座ると、スーパーバイザーとリーダーが青い顔でこちらの方にやって来た。


 またどうせ香水野郎に用事があるのだろうと思い、自分の仕事の準備をしていると二人が私の前で立ち止まり、リーダーが私に向かって言った。


「ちょっと応接室まできてくれるか」


 疑問形ではなく業務指示である。


「午後の業務はどうするんですか?」

「そんなものは他の奴らに任せておけ」


 そんなもの……。

 人が一生懸命やっている仕事をそんな風に言われるとカチンとくる。


 せめて、周りの皆のために辞める私が一言だけ言おう。


「そんなものとはなんですか!」


 私の反発を予想していなかったのか、一瞬面食らったようだけど、すぐに立ち直ると早く来るように急かす。


「いいから早く来い。お待たせする訳にいかないんだ」


「業務指示なので従いますが、一つだけ。私たちの業務をそんなものと言ったことは撤回をお願いします」

「はあ? お前何言ってんだ? いいから早く……」


「撤回をお願いします」

「うるさいっ、早く来い!」


「撤回をお願いします」

「困るんだよ。早く行かなきゃ」


「撤回をお願いします」

「……」


 私たちの問答を見ていたスーパーバイザーが、リーダーを見て舌打ちしてから私を睨んだ。


「撤回したら来るんだな?」

「はい」


「業務をそんなものとリーダーが言ったことをスーパーバイザーである私が撤回する、これでいいか?」

「分かりました。行きましょう」


 リーダーが言ったことをスーパーバイザーが撤回するのも変な気がしたが、これ以上ゴネても残る皆のためにならないので了承した。


「おい、お前も来い」


 香水野郎も一緒に呼ばれた。


 なんだろう。

 私と香水野郎の組み合わせは、辞める者と残る者で一緒に組んで仕事をするとも考えにくい。


 そもそも派遣の私がなんで応接室に呼ばれるのか。



 広大な執務エリアの端の方に応接室があった。


「失礼します」


 スーパーバイザーを先頭に、リーダー、香水野郎と続き最後に私が入った。


 香水野郎はすっかり私よりも立場が上だと思っているようだ。

 まあ、私は契約を更新されず、彼は更新されたのだからあながち間違いではないか。

 いいさ、もう新しい仕事が決まったんだ。

 今更悔しくもない。


 応接室に入ると上座の客が座る場所に、なんとあの白髪のおじいちゃんが座っていた。


 私たちが入っても立ち上がりもしない。


 おじいちゃんの前のデスクには出されたコーヒーが横に避けられていて、真ん中に書類の束が置かれていた。


 二枚だけ書類の束とは別に並べられている。


「あっ!」


 驚きで思わず声が出てしまった。

 並べられているのは昨日の一斉業務テストの回答用紙だ。

 しかも並んでいる二枚は……、私と香水野郎の答案だった。


 立ったまま遠目から見るに、私の答案は最初だけレが記されて、それ以外の問題は〇のようだ。

 よかった。自己採点通りだ。


 ちなみに香水野郎の答案は、最初と次の問題だけ〇で、それ以外の問題はレが記されているようだ。

 こちらも想像通りだ。


「私が指示したのは、人柄は面接で後で判断するから、まずは業務スキルをテストで計れ、だったよな?」

「は、はいっ」


 スーパーバイザーが直立で返事をしている。


「こんな馬鹿げた配点にしたのは誰かね?」

「い、いや、その、サービス問題がないと八十点に届かない者が沢山出ると意見がありまして……」


 リーダーが額に玉のような汗をかきながら、必死に弁明している。


「誰が配点を決めたのかね?」

「リーダーからの提案がありまして……」


 スーパーバイザーの方も汗だらだらだ。


 このおじいちゃん、そんなにヤバイ相手なのか?

 さっき話した感じだと、孫を愛する好々爺みたいな感じだったんだけど。


「ふむ、それで誰が決定したのかね?」

「……」


「誰かと聞いている!」

「……わ、私です……」


 スーパーバイザーが観念したように小さく手を挙げた。


「ちなみにサービス問題があるべきだと意見したのは誰だ? 参考に聞いておこう」

「彼です」


 スーパーバイザーとリーダーが揃って香水野郎を指さした。


 そうか、お気に入りの香水野郎を合格させようと三人で仕組んだことなんだな。


 当人の香水野郎はポカンとしている。

 こいつ馬鹿なんだろう。

 自分の置かれた立場がよく分かっていないようだ。


 ダンとテーブルを叩く音が聞こえた。

 おじいちゃんが手の平でテーブルを叩いたようで、私たちをじっと見据えている。


「今この場に大変優秀ながら、我が社を去る様に仕組まれた者がおる。管理職の立場でありながら、私が出した業務命令の優秀な者を残せ、という指示に逆らった者のせいでな!」


 スーパーバイザーとリーダーが睨まれている。


「この優秀な派遣社員を我が社へ引き留めて、契約を更新できなければ、君らの態度を業務命令違反とみなして降格の上、他部署へ移動させる」


「ちょ、ちょっと副社長本気ですか?」

「……ぐッッ!」


 副社長はスーパーバイザーの質問には答えず、無言のまま彼らを睨んでいる。


 副社長の発言が本意であることを確信した彼らは、急いで私のすぐそばまで来ると、スーパーバイザーが私の左手、リーダーが右手を握って来た。


「き、君の様な人材は我が社にとって必要だ。ぜ、是非契約を更新して欲しい!」

「私が間違っていた。また一緒のチームで働いて欲しい!」


「あっ、二人ともそれって俺にも言ってたじゃないっすかあ」


 空気を完全に無視した香水野郎が、面白いことを言い出した。


 私はこの香水野郎がそんなに嫌いでは無くなった。

 ただの阿呆だと分かったから。

 問題なのは残念な上司の存在である。


「頼む。君が居てくれないと困るんだ!」

「わ、私の右腕になってくれないか!」


「それも俺に言ってるじゃんかー」


 スーパーバイザーとリーダーの必死の訴えも、香水野郎のせいで冗談みたいになってしまう。


「と、こ奴らは訴えておるがどうかな? お主の気持ちは?」


 こりゃおじいちゃんも私がイエスかノーか最初から分かってて聞いているな。

 だってニヤニヤ笑っているし。


 仕方がない、そろそろ引導を渡してあげるか。


 握られた左右の手をそっと振り払うと、一歩下がってからスーパーバイザーとリーダーを見据えた。


「月末で派遣契約を打ち切りしておいて、一斉業務能力テストでトップの正答率だったからって、今更契約を延長して欲しいと言っても、もう遅いです! 既にここより高い時給で次の職場に採用が決まりましたっ」


 その言葉を聞いた私の両隣の男たちは、二人ともあんぐりと口を開けて表情が固まった後、いい歳してガックリと床にひざを突き茫然自失になった。


 阿呆の香水野郎は手で口を塞いで笑っている。


 副社長のおじいちゃんはニコニコと笑いながら私の目を見ると、白いあご髭を触りながら聞いてきた。


「この二人とは関係なく私からの頼みだが、正社員としてこの会社に残ってはくれないか?」

「そのように慰留していただき嬉しいです。ですが、私は多くのスキルを高めたいから、様々な仕事ができる派遣社員をあえて選択しています。そして、心は既に採用してくれた次の職場へ向いています」


 私がやんわり断ると、副社長のおじいちゃんは「覆水盆に返らずか」とつぶやいて急にかっかっかっと笑い出した。

 そして「次の職場でも頑張れよ」と言い残すと杖を持って応接室を出て行った。


 私は清々しい気分で白髪のおじいちゃんが出て行った扉へ向かうと、続いて応接室を出たのだった。

 後ろでうなだれている彼らのことなど振り返りもせずに。


 了

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