猫目さまの祠

関谷光太郎

第1話

 湿気を帯びた空気が重く垂れ込めていた。今朝まで降り続いていた雨が、木々を濡らし地面に水たまりを作っている。


 ふだん人の出入りの少ない場所で、多くの村人が集まって同じ場所を覗き込んでいた。


 彼らの視線の先には、鬱蒼うっそうと茂った草むらがあり、その奥に草刈りをされ手入れの行き届いた一角が見えた。


 猫目さまのほこら


 しかし、大小さまざまな形の自然石で組まれた台座に本来あるべきものがない。


 そのことが知らされたのは、つい三十分ほど前のことであった。


 こけむしたほこらに安置されていた猫の目をした地蔵が粉々に砕かれていたのだ。


 押し合うように顔を並べた村人。


「誰だぁ、猫目さまの像に酷いことをした奴は……」


「罰当たりなことをしたもんだぁ」


 騒然とする村人をかき分けて、白髪の老婆が血相を変えて現れる。


「おお、こりゃいかんぞぉ! 猫目さまの像は魔物を封印する役目を果たしておったのだ。それを粉々にしたとあっては、魔界の呪いが解放されてしまうぞぉ!」


 村人は「それはナイナイ。迷信だぁ、迷信」と口を揃えて否定した。


「なにを言うか愚か者が! お前たちの世代が知らんだけで、わしは幼い頃に面白半分で猫目さまを動かした村人が死んだところを見ているのだ」


「婆さま、そりゃ猫目さまに手をだすのは罰当たりだと思うが、魔界の呪いで人が死ぬってのはありえんよ。きっと子供だった婆さまの夢だ夢」


 村人のひとりが笑って言った。


 老婆は「ふん。夢ならよいがのぉ」と目を細めて続けた。


「わしが見た死人は女子でな。赤い血糊ちのりのバッテンが顔に描かれておったのよ」


「そりゃ、なにかの罰ゲームだわ。昔は羽根つきで負けたもんの顔を墨でバッテンしたそうだから、きっとそれに違いない」


 ほかの村人が物知り顔で言った。


「……なら、いいがのぉ」


 老婆が意味ありげに微笑んだ。




「ひ、人が死んでいる!」


 次の日の早朝。老婆の証言を子供の見た夢だと笑った村人が血相を変えて駐在所に駆け込んだ。


 現場は駐在所に駆け込んだ村人の玄関先。朝の散歩に出ようとして、道端に転がる死体を発見したのだ。


 駐在が駆けつけると、すでに村人が押し合い圧し合い死体の周りに詰めかけていた。


「おい、通してくれ。ええか誰も現場を触るんじゃないぞ。県警に連絡入れたらすぐに現場検証が始まるからな!」


 村人をかき分けながら駐在が現場に到達すると、そこには白髪の老婆と外国人の若い娘が立っていた。


「あんたら、なにをしてんの?」


「この娘は霊媒師じゃ」


 老婆が高らかに宣言した。


 駐在は訳が分からず「どいて」と言いながら死体に近寄った。


 死んでいるのは、中年の女性だった。グレーの上着とタイトスカート。駐在にはこの女性に見覚えがあった。最近この村に頻繁ひんぱんに訪れていたので保険の営業かなにかだと思っていたが。そして顔には、赤いバッテンが描かれている。


「ちょっと、あんたらか。このバッテン描いたんは?」


「これは魔物の仕業じゃ!」


「あんた、寄木よせぎの婆さまじゃねえか。そんな白装束しろしょうぞくを着とるからわからんかったぞ」


「魔物と戦うための白装束しろしょうぞくよぉ。魔界の封印を解き放った馬鹿のおかげで、この女子は犠牲になったのじゃ!」


「冗談はやめとけ。人が死んどるのに不謹慎やぞ婆さま」


「なにが冗談じゃ!」


 婆さまは外国人の娘の手をとって、集まる村人の前に引き立てる。


「このテリー嬢は、死者の声を聴きわれらに伝える能力を持っておる。さあ、死者の声を聴け!」


 あおい瞳を輝かせた娘が口を開く。


「う、うううううう。いや、来ないで! か、怪物の群れが私の身体を引き裂いていく! やめて、やめて、きゃああああ!」


 モデルといっても通りそうな外国人女性が発するよどみない日本語。


 村人の間に恐怖が走った。


 ──こりゃ本物だ。


 ──魔物のたたりだ。祟が人を殺した!


 ──婆さまの言う通り顔にバッテンだ!


 ひとり冷静な駐在が村人の反応をいさめにかかるが、誰一人聞く耳を持たない。


 騒然とする空気を切り裂いて、笑い声が響いた。


 笑い声の主は、ルーフ付きの原付バイクにまたがって颯爽と現れる。みながその顔を知っていた。


銀大地恭介ぎんだいちきょうすけ!」


 駐在の呼び掛けに、銀大地恭介は「よっ」と片手をあげた。


 彼こそが、猫目さまの祠の管理人である。


「みんな騙されてはいかんよ。これは魔物の祟りなんかじゃない!」


 バイクから降りた銀大地は、タブレットを持ち出して村人へ掲げる。


 そこに映し出された映像にみなの目が釘付けになった。


 夕暮れの祠前で、もみ合う二人の姿。ひとりは死んでいる女性で、もうひとりは。


 鬼の形相の婆さまだった。


「なにが『火星の新天地』だ! お前がわしに売った火星の土地、ありゃ大嘘だったんじゃないか!」


「やだわぁ、寄木のお婆ちゃん。ちゃんと現実の物件を見てもらったじゃない」


「物件だって、ありゃVR映像を観ただけじゃ!」


「VRだってちゃんとリアルに制作されているのよ。火星に行けばちゃんとお婆ちゃんの買った土地が確保されてるし家だって建つのよ!」


「誰が火星に連れてってくれるんだ。誰が火星に家を建ててくれるって言うんだよ? 宇宙人か、宇宙人がやってくてるってのかい!」


「もう、疑り深いのも大概にしてよね!」


「わしの二億を返せ!」


「無理よ、もう火星人に渡しちゃったから!」


「うううううう! こんな嘘になんで騙されたかね!」


「そりゃあんたが馬鹿だからさ!」


「このぉっ!」


 おもむろに婆さまが振るったのは鉄パイプだった。


 ぱこん! と音をたてて女性の脳天が割れた。血飛沫を撒き散らして女性は倒れる。


 しばらく呆然とする婆さまの姿に、しとしと雨が降り始めた。


「お婆ちゃん」


 映像の隅から新たな人影が映りこむと、婆さまは血相変えて叫んだ。


「なんで来たんだテリー!」


「だって放っておけないもの」


 画面には霊媒師と紹介された外国人女性が、その美しい顔を雨に濡らしていた。


 婆さまは祠を見やると、意を決して鉄パイプを振り上げる。


「なにするのお婆ちゃん?」


 がん、ごん。地蔵を破壊する鉄パイプの音。


「猫目さまが壊されて、封印を解かれた魔物の祟りがこの女子を殺した」


「そ、それって……」


「もちろん大嘘さ。火星の土地なんて大バカな嘘に騙されたんだ。このくらいのハッタリでどこまで逃げ切れるか試してやろうじゃないか!」



 その後、死んだ女性を二人がかりで抱えようとあくせくする映像が続いたが、事の真相はそこまでで十分だった。


「なんで……こんな映像が」


 婆さまの疑問に銀大地が即答する。


「あの祠には防犯カメラが取り付けてあるんだよ。小さくて高性能、音声まで収録してくれる。ここ最近、猫目さま地蔵を目当てにやって来るマニアが居てね。思い出だって地蔵に名前を掘ったり、削った欠片を持って帰るなんて奴のために俺が準備したんだ」


 ざわつく村人から声があがる。


「じゃあ、魔物封印の話は作り話か?」


「顔にバッテンも、婆さまの仕込みだったんじゃ!」


 酷いことを。酷いことを。人殺しめ。


 村人の囁きに婆さまは怒りを露にした。


「おおそうじゃ、わしは人殺しよ! 酷いことを平気でやる鬼婆よ!」


 婆さまはそのまま地面にへたり込むと、オイオイと泣き始める。


「わしは身体の弱い孫のため火星の土地話に乗った。だって環境がどんどん悪くなる地球はもうすぐ滅ぶっていうじゃないか!

 まさか、それも大嘘なのかい?」


「お婆ちゃん!」


「おお、テリーや。わしの可愛い孫。息子がアメリカ人と結婚するって言った時はびっくりして反対もしたけど、こんな可愛い孫を見せられちゃ、もうたまったもんじゃないよ」


 遠くサイレンの音が近づいて来る。駐在が県警に連絡を入れたのだ。


「言っとくけど、ここに死体を運んだのはあたしひとりだよ。霊媒師ってのも、わたしが無理やりやらせた。孫は一切無関係なんだからね!」


 そして天を仰ぎ、婆さまが吠えた。


「火星のバカヤロウ! あたしゃ孫の未来を買ったんだ! なんか文句でもあっかよ!」


 婆さまの孫、テリー・オルセン寄木が村人の眼前に飛び出した。


「魔物の祟りは嘘ではありません! わたしは本物の霊媒師で、死んだ人間の声が聞こえるのです! 犯人は魔物です。魔物……」


 銀大地が、彼女の後ろからそっと肩に手をかけた。


「もう、ホラは必要ないんだよ。ミス・テリー」


 娘の碧い瞳に涙が溢れる。



 晴れた空に、サイレンだけが響いていた。

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猫目さまの祠 関谷光太郎 @Yorozuya01

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