設備屋の瑕疵物件探訪記

古博かん

第四回お題作品「ホラー」or「ミステリー」KAC20214

 今から、ちょうど一年前のことだ。


 設備屋の俺は、新築物件のまま長らく空き家となっていた、とある住宅へと仕事に来ていた。ようやく決まった施主せしゅたっての希望で、入居前にフルリノベーションをするらしい。


 施主と業者の間に入って調整するコーディネーターは、俺の友人だ。

 設備屋の俺は、電気配線と給排水設備の移新設のために呼ばれている。設備屋で電気と給排水の資格を両方有しているのは珍しい具類だ。そんなわけで、友人には体よく使われている。

 まあ、こんなご時世だ。仕事があるのは、ありがたいことだ。


 新築のまま空き家だっただけあって、物件は綺麗そのものだ。これを、フルリノベーションする施主は、夫婦揃って開業医だというから、世の中、あるところには、金はある。

 俺の仕事は、解体屋が入ったあとだから、現状と図面を照らし合わせて、移新設・増減箇所を、コーディネーターである友人と確認しながら、一通り物件を見て回って、その日は終わった。


「何で、空き家だったんだろうな」

 駅から徒歩十分圏内、立地も周辺環境も悪くない。

 マンションの外観ツラだって良い。


 ふと素朴な疑問を感じて、何となく友人に声をかければ、友人は返答までに、妙な間をあけた。


「新築同然だし、気になる瑕疵かしは無いんだが、オーナーがコロコロ変わってるんだよな、この物件」


「どういうことだ? オーナーって、ここ、テレビCMもバンバン流すような大手だろ?」


「ああ。その大手が、コロコロ変わってる」


 友人曰く、大手が代替わりしたのは、これで三回目だそうだ。

 その度に、いつも同じ部屋が売り余る。

 まあ、住宅供給過多のご時世だ。それ自体は何ら不思議はない。大手が、大手に安く払い下げることだってあるだろう。いずれにしても、俺は依頼された設備工事を、決められた日程にだけの話だ。


「あれ。今日、雨の予報なんてあったか?」

 駐車場まで戻ってきたところで、気まぐれな天候が俄かに時雨しぐれた。この時期の雨には、降られると辛いものがある。辟易ヘキエキとしながら、俺は友人と別れてバンに乗り込んだ。


 冷えた車内で軽く身震いをしながら、エンジンをかける。シートベルトを締めて徐ろに発車し、次の現場へと向かう道中のことだった。


(何か、肩重いなあ。冷えたか?)


 妙に、肩から背中にかけてダル重い。カラダ資本の商売だ、風邪でも引いたら敵わない。普段以上に安全運転に気を使い、バンを走らせる間も、ずっと背中の不快感は拭えなかった。


 例の物件の設備工事は、解体屋が入った来週半ばから順次の予定だ。他に抱えている案件の整理をしながら、体調管理にだけは十分に留意した。


 翌週、すっかりと内装をひん剥かれた現場は、無骨なコンクリートと既存の配線、配管が剥き出しになった、何とも愛想のない姿に様変わりしていた。


「何だ、もう壁ふかしてるのか」


 すっかりひん剥かれた側から、一部の壁は新たに下地を入れ終えていた。図面上は、この壁に新たな配線を通すことになっている。

 友人はまだ到着していないようだが、こちらの仕事に差し支えはない。さっさと作業に取り掛かる。

 指図どおりの寸法で墨出しを終え、電動ドライバドリルに持ちかえ必要箇所に必要なだけ穴を開けていく。その時だった。


 開けた穴の一つから、水が吹き出してきた。


「うわ、まじか」

 どうやら、水道管に穴を開けた。

 図面上、配管は数センチけているはずだったが、測量ミスか設計ミスか、とにかく先に開けた穴を塞がなければ。

 まあ、元々、設備屋だ。処置自体は問題ない。


 問題は、床一面を水浸しにしてしまったことだ。不慮の事故とはいえ、溜息を吐きながら、そろそろ到着するであろう友人に電話を入れる。友人もまた、「まじか」と同じ反応だ。


「掃除道具一式、持ってくわ」


 溜息まじりの声が、スマホの向こうから聞こえてくる。

 正直、こういう現場では、何かしらトラブルは起こるもので、お互い慣れたものだ。床も剥き出しのスケルトンだったおかげで、被害は最小だった方だ。


「お前、何やってんだよ」

 到着した友人は、コーディネーターという一見華やかな肩書きとは程遠い、清掃員ばりの用意で姿を現した。


「悪い。ここに配管通ってるとは思わなかった」


 友人は深々と溜息を吐く。

「実はな、先週も、解体中にヤラカシタんだよ。フローリングいでる時、業者がうっかり床暖のクダ切りやがった」


「水浸しか」

「ああ。これで二回目だわ」


 所々に白髪が混じる短髪をガシガシ掻きながら、友人は慣れた手付きで床掃除を始める。手伝おうかと思ったが、「先に配線やれ」とにべもなく言われ、本来の作業に従事する。

 その間ずっと、肩や背中が妙に重だるく感じたのは、気のせいだと思いたかった。


 配線自体は一日で終えられる作業だったが、余計な掃除オプションがついたおかげで、すっかりと予定を押してしまった。「あー、肩凝るわ」と友人がボヤく。確かに、ずっと重だるい。


 この現場での次の出番は、内装を終えてからの照明器具類の取り付け設置と、新調する水回り設備の配管接続だ。

 やれやれと思いながら長い一日を終え、ようやく家で一息ついて、風呂に入ってビールを飲んで、さあ就寝という頃だ。


 寝入りばな、顔に妙に生暖かい空気の流れを感じた。


(何だ?)

 何となしに目を開けると、すぐ目の前の空間が、ぽっかりと黒い人型にくり抜かれている。何かの見間違いかと思って、一度目を瞑って再度開くと、やっぱり空間がぽっかりと人型にくり抜かれており、ふー、ふー、と呼気が鼻先に掛かった。


(何だ、これ?)

 別に、金縛りに合うとかではない。

 暗がりに目が慣れると、そこはベッドから見上げる普段の寝室で、見える範囲の天井も壁も何もかも普段どおりだ。ただ、目の前の空間だけが、ぽっかりと黒く人型にくり抜かれている。

 距離感で言えば、腕立て伏せをしている人の真下に潜り込んだくらいの感覚だ。その黒いポッカリ人型空間は、俺の至近距離で、直立不動状態で、浮かんでいる。


「……」


 あまりに唐突な出来事に、驚きも恐怖も何処かにすっ飛んでしまって、ただただ沈黙するしかない。

 人型であることは分かるが、目鼻立ちなどはサッパリだ。男女の判断などつかない。正直、名探偵コ○ンに出てくる黒犯人が目を閉じているような状態——と表現するのが、一番近い。


 まあ、いい。とにかく寝よう。


 俺は深く考えることを放棄し、ゴソゴソと横に寝返りを打つと、そのまま布団を耳元まで被って程なく爆睡してしまった。


 朝になると、黒いポッカリ空間は跡形もなく消えていて、俺も何事もなく快調な目覚めだ。


(何だったんだろうなあ)

 起き抜けの時は、そんなことも考えたが、今日一日の糧のため仕事に従事している間に、すっかりと昨夜の怪異は忘れ果てていた。


 その晩、昨夜の寝入り端と同じ現象が起こった。


 ふー、ふー、と鼻先にかかる生暖かい空気の流れに目を開ければ、やっぱり同じように黒いポッカリ人型空間が出来ている。

(またか)

 恐怖らしい恐怖を覚えることもなく、これは一体何なのだろうな、と思いながら、やっぱり昨日と同じように寝返りを打って、そのまま爆睡してしまった。


 そんなことが、まる四日続いた。


 くだんの現場に、顔を出したのは、その日の午後だった。

「あ、お疲れ様です!」

 友人の雇っているアルバイトが、元気に挨拶をして、にぱっと無害な笑みを浮かべる。手にしているのは、どうやら掃除道具らしい。それを見て、無条件に(またか)と思った。


「おお、来たか」

 相変わらず、どこの清掃員だと思うような出立ちで、友人が現れた。


「今度は、どこが噴いた?」

「床暖、二回目。剥き出しのパネルに、資材落としたとさ」

 続けば続くものだな、と妙に納得してしまった。


「あ、降り出したっすね」

 アルバイトが、ベランダを眺めてぽつりと呟いた。通り雨だろうか、音もなく静かに、しかし結構な雨量で降っている。


「やれやれっすね〜。諸行ムジョー、諸行ムジョー」


 軽いノリだが、アルバイトもまた肩を押さえて首を左右に振っている。

 設備屋として、一応現場のチェックを終えて帰宅すると、不思議と全身が軽くなった気がした。

 その晩以降、何事もなく、黒いポッカリ人型空間も、ぱったりと出現しなくなった。


 まあ、世の中、色々あるよな、と思って然程さほど、気にも留めなかったが、内装工事が終わった終盤、照明器具を取り付けに訪れた現場で、継続採用となったらしいアルバイトが元気にボヤいていた。


「聞いてくださいよ〜。まじ、奇妙なことあったんすよ」


 手を動かしながら、聞くとも無しに聞いていると、どうやら俺が寝入り端に経験した現象と、同じものに見舞われていたらしい。

 しかし、アルバイトは血色も良く、ピンピンとしていて元気そうだ。


「あ。ご安心、今はもう起こらないっすよ」

 楽しそうに話すアルバイトが言うには、現場を上がった翌日は全身ダル重くて辟易したそうだが、オフを利用してをしたらピッタリとおさまったと言う。


「凄くないっすか? あ、ちゃんとお寺さんに納めましたからね! 書きっぱじゃないっすよ、念の為!」


 今風のチャラチャラとした物腰とは相反して、アルバイトは随分と根が真面目なようだ。納経のうきょうとは感心する。

 それにしても、一匹狼で脱サラした友人が、よもや人員を雇うとは。


「あいつ現場に置いとくと、肉体労働軽減、精神疲労緩和で何だかんだ楽なんだよ。も、どうも、あいつんトコ寄ってって、なぜかピッタリ治るしな。それが雇った理由」


「お前……」


 軽々と重い資材運びをしながら、ご近所さんに、元気に挨拶をしているアルバイトの能天気な様子を、ほんの少しだけ哀れに思った。とんだ男に捕まったな、と。


 あれから一年。アルバイトは、今年も元気に現場に出動している。

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