第115話 見学

 屋内訓練場は、騎士団宿舎と離れの別館――王族の私有地内で働く使用人の、住居の呼称だ――との、ちょうど中間あたりに設けられている。

 まるで「表」の総合体育館のようなつくりで、よく見えるからという理由で和巳に案内されたのは、建物の中二階。ギャラリーやキャットウォークと呼ばれる、天井設備の点検にも使われる細い通路だ。


 確かに高所から俯瞰ふかんで見ると、室内の様子がよく分かる。舞台のように高くなった場所に立つのはもちろん、若手の指南役――軍師の幸成だ。

 普段は笑顔を絶やさず、どこか軽薄な雰囲気が付き纏う幸成。しかし、さすがに訓練中は様子が違う。彼はいつも以上に鋭い瞳で、室内全体を見渡している。


(わあ、幸成くん凄い……なんて言うか――怖いなあ……!)


 綾那は幸成の表情、その纏う雰囲気に気圧されて、やや引きつった笑みを浮かべた。まだ十九と若輩じゃくはいではあるが、さすが『軍師』という責任ある肩書を背負っているだけある。

 しかも王族だからなのか、くすりとも笑わずに立っていると、威厳のようなものをひしひしと感じられて――見ているだけで、委縮してしまいそうになる。


 綾那は一時期彼にスパイの疑いをかけられて、丸二週間ほど厳しい尋問のような監視を受けた事がある。しかし今の幸成を見る限り、どうやらあの時は随分と手加減してくれていたようだと察する。

 もし二週間幸成が傍について居たらと思うと――想像しただけで身震いしてしまう。


 ちなみに若手騎士はどんな訓練をしているのかと言うと、二人一組で訓練用の木剣を持ち、打ち合っているようだ。さすがに室内で魔法の撃ち合いは出来ないのだろう。

 魔法とはただ便利なだけではなく、相応の危険を伴う――とは、ここ数日間子供達の訓練を目の当たりにしてきたから、よく分かる事だ。


(見応えあるなあ)


 綾那は感心して、騎士の動きを見守った。魔法を使わずとも――もしかすると、「身体強化ブースト」あたりは使用しているのかも知れないが――騎士は剣技も優れているようだ。

 魔物の中には魔法が通じないものもいるらしく、きっと魔法だけ優秀でも、仕事にならないのだろう。剣技に優れ、魔法の詠唱を暗記できて――文武両道でなければ、騎士にはなれないという事か。


(まあ、世の中には五百以上ある魔法の詠唱を丸暗記するような人も居る訳だし? それを考えると、一属性だか二属性だかの詠唱を覚える事くらい、できて当然……なのかな。たぶん、颯月さんが群を抜いて異常な事は間違いないけれど)


 綾那がそんな事を考えながら見学していると、打ち合いをしていた騎士の一人が鍔迫つばぜり合いに押し負けたのか、木剣を床に飛ばしてしまう。カラーンと乾いた音が室内に響いたかと思えば、舞台に立つ幸成がまなじりを吊り上げた。


「――オイ、ゴラァ! 気ぃ抜いてんじゃねえ!! これが実戦なら、テメエの人生終わりだぞ!!」

「すッ、すみませんでしたぁ!!」

「魔物も眷属も、武器を拾う時間なんざ与えてくれんからな! 死にたくなけりゃあ、容易く武器を手放すんじゃねえ!!」


 幸成の低くドスのきいた怒声に、綾那は思わず「ひぇえ……!」と、情けない声を漏らした。決して己が怒鳴られている訳ではないが、しかしあれは迫力があり過ぎる。威厳溢れる王子様が、途端に軍隊の鬼教官に早変わりだ。


(またこっそり撮影しようと思って、予備の魔具カメラ持ってきたけど……これは、怖すぎて配信できない――)


 こんな映像を街で流せば、あまりの恐怖で騎士を志す者の心がバキバキに折れてしまう。そっと魔具を片付け始めた綾那の横で、和巳がおかしそうに笑った。


「屋内訓練場の時は周りの目を気にする必要がありませんから、幸成もイキイキしていますよね」

「……イキイキ」

「外の訓練場は、街の者が自由に見学できる造りでしょう? しかも最近は綾那さんのお陰で、ただでさえ見学者が多い。彼も仕事とはいえ体面を気にして、普段は指導も控えめなんですけれど――

「ね、ねー……」


 暗に「見学者が居なければ騎士団の評判に傷がつかないため、何をしたって構わない」と言っているような気がして、綾那は「ハハ」と乾いた笑みを漏らした。


 騎士団がとんでもブラック社畜集団だという事はよく分かっているが、もしやパワハラまがいのまで横行しているのだろうか。そう考えると、本当にこのまま『広報』として騎士の人員補填に勤しんでいて、大丈夫なのかと不安になる。


(いやでも、この訓練を乗り越えた人じゃなきゃ、配属先が決まらないんだものね……? 実際命の危険がある仕事なんだし、厳しい指導があって当然か――それにしたって、幸成くんは怖すぎるけど)


 うーんと悩み始めた綾那を尻目に、和巳がある一点を指差した。


「ほら、あちらに右京さんがいらっしゃいますよ」


 指された方向を見やれば、確かに小柄な少年の姿がある。右京は体格的に他の騎士と打ち合いが出来ないせいか、それとも本来の実力が『若手』とは比べものにならないほど高いせいか――木剣の打ち合いを免除されているようだ。

 その代わり床にじっと座って瞳を閉じて、瞑想しているように見える。


 騎士達の木剣がカンカンと衝突して弾かれる音や、幸成の怒声すらも一切気にした様子はない。同じ空間に居るはずなのに、まるで彼だけ別世界に居るようだ。


「あれは、魔力を効率的に練る訓練ですね。悪魔憑きの彼からすれば、お遊びのようなものでしょうが……一応、として入団している以上は、訓練を全面的に免除する訳にはいきませんから」

「なるほど……私は魔力を感じられないから分かりませんけれど、アレも訓練なんですね」


 右京は――本人曰く、あくまでもお試しで――アイドクレースに入団して、結局『広報』を希望する事なく一般騎士として仲間に加わった。そのため若手に混じり訓練を受けるハメになっているのだが、旭曰く本人は煩わしく思うどころか、存外楽しそうにやっているらしい。


 彼は故郷アデュレリア領では悪魔憑きであると周知されていたし、しかも迫害の対象であった。それゆえなのか、元々の性格なのかは分からないが、どうも彼は、普通の人間のフリをして一般人の中に混ざるのが好きなようだ。

 なんにせよあの演技力の高さは、いずれ動画の演者として遺憾なく発揮されるに違いない。


「あれ? そういえば、伊織くんは――」


 右京と同日に入団したはずの伊織。その姿を探してみたものの見当たらず、綾那は首を傾げる。


「ああ、伊織は……颯月様の特別コースを受けていますからね。幸成が言うには、「アレは二、三日休ませなきゃ死ぬ」と。だから一般騎士の訓練は、一時的に免除されているんですよ。あまりお気になさらずに」


 朗らかに笑う和巳を見て、綾那は複雑な気持ちになった。

 気にするなと言われても、彼はそもそも綾那に求婚するために王都まで追いかけて来たのだ。全くの無関係ではないし、これでもし何かあればと思うと――どうしても気にかけてしまう。


 颯月が悪魔憑きの子供達に施している特訓も、なかなかに苛烈だとは思うが――怪我はともかく、死の危険はないように思う。しかしどうにも、伊織には頻繁に死の影がちらつく。

 恐らく伊織に施されている教育は、颯月が正妃に施されたものをそのまま流用している可能性が高い。それを考慮すると、尚更見て見ぬふりをして良いのかという気持ちにさせられる。


「あの……伊織くんに、あまり無理をしないようにと伝えて頂きたいです。命あっての物種モノダネですから――」

「どちらかと言うと、伊織よりも颯月様に直接進言する方が有意義だと思いますが――まあ、一応伝えてみましょう」


 そうして和巳と訓練の様子を見学していると、不意に背後から声が掛けられた。


「――綾那?」


 聞き覚えのある落ち着いた女性の声で名を呼ばれて、綾那は驚いて振り返る。

 一体いつの間にギャラリーへ登って来たのか、そもそも何故ここに居るのか――綾那を呼んだのは、この国の『美の象徴』正妃その人であった。

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