第93話 領主の屋敷へ

 隼人と別れた一行は、再び領主の屋敷へ向かった。

 先頭を歩くのが案内役の騎士。その後ろを、まるで姉弟のように手を繋いで歩く陽香と右京。そして数歩遅れて颯月――と、彼の腕の中で横抱きにされている綾那だ。


(うう……暑い)


 蒸し暑い外気温に意識を揺り起こされると、綾那はパチリと目を覚ました。

 己が今どういう状況に置かれているのか、意識を手放す前はどこで何をしていたのか――そんな事を考えながら、焦点の合わない目でぼんやりと黒い騎士服を眺める。


(あれ――?)


 揺れている。移動している。しかし、綾那は一歩も足を動かしていない。誰かが運んでくれているのだ。

 数度目を瞬かせれば、見覚えのあり過ぎる胸章が間近でジャラジャラと音を立てている。視界と思考が少しずつクリアになって、綾那はサーッと血の気が引いていくのを感じた。


 恐る恐る目線を上げれば――綾那が覚醒した事に気付いたのか――颯月に顔を覗き込まれて悲鳴を上げる。「きゃあ」なんて可愛らしい悲鳴ではなくて、「いやあぁあ!」というシャレにならない叫び声だ。


 その声に驚いた陽香と右京、そして先導する騎士は目を丸めて振り向いた。しかし、叫ばれた当の颯月本人は慣れた様子で、「ああ、照れているだけだから気にするな」と笑うばかりだ。彼は「おろしてください」と手足をばたつかせる綾那の事を、泣き出した子供を宥めるように揺らすだけ。


 陽香は――二人の茶番に付き合っていられるかといった様子で――目を眇めると、さっさと歩き出してしまった。


「そ、颯月さん、お願いですから、本当に勘弁してくださいぃ……!」

「俺はまだ、綾を抱いていたかったのに――」


 今にも泣き出しそうな声で懇願すれば、颯月はようやく綾那を地面へ下ろした。酷く残念そうな顔で嘆く颯月に背を向けて駆け出すと、綾那は陽香の腕を掴んで引き留める。


「陽香、酷い……! どうして起こしてくれなかったの?」

「颯様に言えよ、颯様に! てか、あの状況で爆睡したアーニャの自業自得だしな!?」


 すげない態度で正論をぶつけられた綾那は、ぐうと唸って下唇を噛みしめた。

 陽香の主張はもっともであるが、綾那は昨晩から一睡もしていないのだ。そんな中、ただでさえ包容力と安心感のある颯月の腕に抱かれてしまったら、寝落ちしても仕方ないではないか。


 そうして情けなく呻くだけの綾那を、陽香はしばらく無言で眺めていた――かと思えば、いきなり大きな舌打ちをした。突然舌打ちをされた綾那としては、目を丸めるしかない。


 確かに、「友人として適切な付き合いを心掛けるように」と忠告されているにも関わらず、腕の中で無防備に眠るなんて、あってはならない事だ。しかし陽香のこの機嫌の悪さは、それだけが原因ではない気がする。これは恐らく、長年一緒に過ごしていたからこそ分かるものだろう。


「ええと……私が寝てる間に、何か嫌な事でもあった?」


 綾那が問いかければ、陽香はひくりと口の端を引きつらせた。そして、たっぷりと間を空けてから大きなため息を吐くと、「ナギが怖い……怖いんだ――」とだけ言い残して、その後は綾那が何を聞いても一言も話さなくなってしまう。

 己が眠っている間に、一体何があったのだろうか。そうして心配する綾那の背に、颯月が声を掛ける。


「気にするな。自分の軽率な発言を悔いているだけだから」

「軽率な? よく分かりませんけど……陽香、渚が怒った時には、私も一緒に謝るから――」

「だーかーらー! ナギは、お前には何も言わねえの! アーニャの前では笑顔振りまいて、裏で陰湿な事するタイプなの!! アーニャには悪いけど、こうなったらもうアリスに賭けるしかねえぞ! 絶対に「偶像アイドル」で颯様を釣ってもらう……!」


 祈るように両手を組んだ陽香の言葉に、綾那は苦く笑った。細かい経緯はよく分からないが、やはり陽香は「綾那と颯月の関係に反対だ」という意見で落ち着いたのだろう。


(いや、まあ……これだけ問題が山積みな関係、反対されて当然なんだけど――)


 綾那にとって、颯月が鬼門の顔であるという事を前提に――そもそも住む世界が違うわ、一夫多妻だわ、「表」のスタチューや『四重奏カルテット』の事だって、蔑ろにはできない。

 そうして俯いた綾那の肩を、おもむろに颯月が抱き寄せる。弾かれたように顔を上げれば、彼はうっとりするような甘い笑みを浮かべていた。


「な、なんですか……?」

「いいや、別に? 綾は何も気にしなくていい」


 気にするなと言われても、宇宙一格好いい男に間近で触れられて、気にならないはずがないのだが――。

 綾那はウッと胸を押さえた後、蚊の鳴くような声で「お陰様で仮眠が取れました」と、ようよう礼を述べた。颯月は満足げな表情で頷いたものの、何やら居た堪れない気持ちになる。


「あの、呑気に眠っていた身でアレですけれど、今向かっているのは領主さんのお屋敷ですか?」

「そうだよ、とりあえず話すだけ話してみよう。やれる事をやって、それでもダメだったら――その時はもう、面倒くさいから逃げる事だけ考えようかな」


 あれだけ堅くきっちりしていた右京が、気付けば随分と砕けた考え方をするようになっている。悪魔憑きの姿を一行に見られて、しかも陽香にペット扱いされた事で、色々と吹っ切れて自棄を起こしているのだろうか。


(でも、前よりとっつきやすくなってて良い気がする)


 綾那は笑みを浮かべて続きを促した。


「お姉さんが伊織に逆恨みされている件は――まあ最悪、紫電一閃に任せてみたら? そっちもダメなら逃げちゃえば良いよ。無駄な事はさっさと終わらせて、アイドクレースに戻ろう」

「なんだ、ようやく俺の下で働く決意が固まったのか?」

「だから、まだ騎士団に入るかどうかは決めてないってば……誰が大っ嫌いな人の下で働きたいと思う?」

「うーたんは素直じゃないな」


 毒を吐く右京に、颯月は軽口を返した。もちろん右京は眦を吊り上げたが、しかし彼が「うーたんはやめて」と言葉を発する前に、先導の騎士が足を止める。どうやら、話している内に領主の屋敷へ到着したらしい。


 屋敷の周囲は騒然としていて、綾那が壁を壊したせいか、庭には立ち入り禁止のテープが張られている。大工らしき業者の姿も複数人見受けられて、彼らは忙しなく屋敷の出入りを繰り返しているようだ。

 先導の騎士は「到着を伝えて参りますので、こちらで少々お待ちください」と言い残して、一人屋敷の中へと入って行った。


「そうか、ゴリラが壁ぶち抜いた件も詰められんのか」


 まるで他人事のように「全く、困ったもんだ」と呟いた陽香に、綾那は「壊せって言ったのは、陽香なんだけどなあ」と眉尻を下げる。

 とは言え監視カメラに収められているのは、拳一つで壁をぶち抜く綾那の姿だろう。結果そのお陰で、街に被害が出る前にキラービーを退治できた訳だが――どうせ、それとこれとは話が別だ。


「もし賠償問題になっても、私まだ無一文なのに――」


 騎士団の広報として雇われたと言っても、綾那はまだ満足のいく結果を出していない。そもそも、やっと働き始めたところに色々な出来事が重なって、デュレリアまで旅に出ているのだ。

 この旅がアイドクレース騎士団の広報活動に繋がるはずもなく、賃金だって発生しない。むしろ、旅の間も颯月のポケットマネーで衣食住が保障されている事を、有難く思うべきなのだ。


「いっそ賠償問題になれば俺一人で解決できるから、かえってその方が助かるんだけどな」

「えっ、いや、でも――」

「綾が起こした問題の責任は、全て俺がとる。婚約者なんだから当然だろう?」


 颯月は空いた方の手で綾那の髪の毛を梳くと、ひと房持ち上げて口づけた。両手で顔を覆い隠して「ふぐぅ……っ、無理無理のムリぃ――!」と呻く綾那に、陽香が胡乱な眼差しを向ける。


「じゃ、話し合いで解決できずに逃げ出す時は、アーニャがこの屋敷全部ぶっ壊すって事で。後の事は颯様がなんとかするだろ」

「いや、あの……せっかく戦争のない世界なのに、これ以上火種を撒くのはどうかと思う……」


 そうして屋敷の入り口前で話し込んでいると、いきなり真上から「アア!」という声が降ってくる。ふと見上げれば、屋敷の開いた窓から身を乗り出すようにしている、軽率そうな男――「転移」もちの男の姿あった。

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