第84話 右京の出自

 ぽつりぽつりと身の上話を始めた右京によると、彼は現アデュレリア領主の息子――長男として生を受けたらしい。


 次期領主として教育を受けながら、父母から大事に、そして愛情たっぷりに育てられた。美少女と見紛うほど愛らしい容貌をしていた事から、街の者からも大層可愛がられていたそうだ。

 右京が十歳になってすぐ、ずっと欲しいと思っていた念願の兄弟――弟も生まれて、家族全員が幸せの絶頂期を迎えていた。


 しかし、もうすぐ十一歳を迎えるという時の事。まだ赤ん坊の弟に悪さをしようと、眷属が姿を現した。幼い右京では太刀打ちできない相手だと分かっていたが、運悪く周囲に大人の姿はない。時は一刻を争うのだ。助けを呼びに行っている間、可愛い弟が呪われては敵わない。

 そうして覚えたての魔法をぶつけて気を引こうと試みた所、右京は見事――眷属の怒りを買った。


 眷属は弟ではなく、右京を呪ったのだ。


「――そこからは、最悪だった。周囲の人間は僕の姿を見て悲鳴を上げるし、母に至ってはショックで失神した。悪魔憑きは、呪いの元になった眷属さえ祓えば元に戻れるのに……そんな気の長い話に付き合っていられるかと、家督は弟に譲る事になって、家を追い出された。皆あれだけ可愛がってくれていたんだから、誰か一人くらい助けてくれるんじゃないかと期待したけど、無駄だった。アデュレリア領は、ただでさえ悪魔憑きに対する迫害意識が強いんだ。昔、何人もの人を殺し回ったバカが居るらしくてね――」


 バカな事をしたが悪いのであって、悪魔憑きを嫌悪する理由にはならないのに――綾那は、腑に落ちない気持ちになった。


(でも、差別ってそういうものなのかも。「表」でも人種や性別、肌の色なんかで人間性を決めつけて、抑圧したり迫害したり、忙しいものね……悪目立ちする個が問題なのであって、全体をひとくくりにする必要はないのに)


 神子だって、ごく一部の調子に乗ったバカのせいで「神子は総じて鼻持ちならない、高慢な人種である」なんて決めつけられている。

 神子は総人口の二割にも満たない、希少な存在だ。ただでさえ母数の少ない神子は、例えばたった一人がバカをしただけで「アイツは調子に乗っている。やはり神子だからだ」と、一部の突出した特徴に囚われてしまう。悪い方面のが働くのだ。


 きっと悪魔憑きも同じなのだろう。無尽蔵の魔力をもち、強力な魔法が使えるからといって、全員が人を傷つける訳ではない。颯月や右京、教会の子供達のように、人を思いやって行動できるよい人間が多いのに――ごく一部の悪魔憑きが人を傷つけるせいで、総じて悪い人間と思われる。


 魔法が使えるファンタジーな世界なのに、どうしてこう妙に生々しく、いつもロマンに欠けているのか。創造主の性根の悪さが、世界に表れているのではないか――。

 綾那がルシフェリアに対する不敬極まりない感想を抱いていると、右京は更に続けた。


「結局、「悪魔憑きは戦力になる」って団長が拾ってくれたから、子供でもなんとか生き延びられた。あらゆる魔法が無詠唱で使えるからって、色んな魔法の名前を覚えさせられて――領主の命令で、僕一人が北に送られる事もあった」

「え……北って、魔物の巣窟になっているのでは?」

「悪魔憑きなら簡単に潰せるだろう、で終わりだよ。それに両親――領主は、僕が死んでもなんとも思わないレベルにまで達しているからね。どっちに転んだところで、メリットしかないでしょう?」

「社畜でなく、鬼畜の所業ではないですか――」


 愛する息子が突然『異形』の悪魔憑きになって、悲しいのは分かる。しかし、だからといって我が子の死を望むなんて、無茶苦茶である。

 綾那は、眉根を寄せて唇を噛んだ。綾那が憤っても仕方がない、これは右京の問題だ。仕方がないのだが――どうしても、悔しいと思ってしまう。なぜ弟を守った彼が、そんな仕打ちを受けなければならなかったのだろうかと。


「悪魔憑きになって、一年ぐらい経った頃――ようやく「時間逆行クロノス」の存在を知った。バケモノになる前まで体の時間を巻き戻せば、普通の人間になれるんじゃないかと思って……この姿の時は、皆優しかったし」

「うーたん、それでずっと子供なのか?」

「うん……そういえばちょうどその頃、街で『紫電一閃』を見かけたよ」

「何? ――ああ、地獄のパレードか……」


 正妃に全国行脚の苦行を課せられていた当時の事を思い出したのか、颯月は途端にげんなりとした顔つきになった。そんな彼を見て、右京は「――地獄?」とフードを被ったまま首を傾げている。


「悪魔憑きなのに呪いが半分で、髪はともかく、眼帯一つで『異形』を隠せて――生まれてすぐ悪魔憑きになっても、実の母親に命懸けで守られるほど愛されていたって言うじゃないか。しかも実母が亡くなった後には、血が繋がってすらいない義理の母親……正妃様から愛されて、パレードの輿こしで幸せそうに笑って。悪魔憑きバケモノのくせに、街の人間に向かって手なんか振ってた」


 忌々しそうに、僅かに震えた声で捲し立てる右京に、颯月はなんとも言えない複雑な表情になった。そして、たっぷりと間を空けてから口を開く。


「………………否定はせん。否定はせんが――少なくともパレードの時は、「幸せそうに見えるように振舞わないと、絶対に許さない」ってに脅されてたんだ……少しは、こっちの事情もんでくれ――」

「お、鬼って、颯月さん! 不敬ですよ……!」

「これだけ離れていれば、本人の耳に入る事はねえだろう」

「そういう問題ではないと思いますけど――」

「――え? てか待て、なんか今しれっとスゲー事言わなかった? 颯様が国の――正妃とやらの、義理の息子……?」


 困惑した様子で頭を抱える陽香に、颯月は「なんだ、話してなかったのか?」と首を傾げた。綾那としては別に、陽香相手なら話しても良かったのだが――ただ、他人様の複雑な家庭事情をべらべらと吹聴するのはどうなのかと思って、濁していたのだ。

 綾那が曖昧な笑みを浮かべると、陽香は「知ってたのか……知った上で、そんなヤバめな地位に居る人間を口説いてんのか――心臓ハート強すぎん?」と呟いて、檻の天井を仰いだ。


「言っておくが、今はもう王家となんの関係もねえぞ。義弟が生まれて、継承権が移ったんでな――勘当されて家を放逐されたのは、俺も同じだ」

? その義理の弟とは互いの存在を認識し合ってて、周りが呆れるほど仲睦まじいって噂を聞いた事があるけど――それでも、僕と同じなの?」

「…………確かに、維月いつきとの仲は良好だが――いや、アンタさっきからなんなんだ? 俺と不幸自慢対決でもしようってのかよ。別にいい、受けて立つぜ。言っておくが、俺はまだ本気を出してねえぞ……あまりに辛すぎて、まだ綾にすら話せていない事がいくらでもあるんだからな」


 颯月は目を眇めると、格好いいんだか悪いんだか、よく分からない主張をし始めた。


「そういう訳じゃあ……ただ、僕は――羨ましかったんだ。かたや死地に送られ続けている僕と、かたや義理の母親にさえ目を掛けてもらえて、幸せそうに笑う君……その対比が、あまりに苦しくて――だからずっと昔から今も変わらず、君の事は大っ嫌いだ」

「……アンタ、確か二十五なんだろ? ずっと子供のフリしてるせいで、精神……考え方まで幼児退行してんじゃねえのか?」

「いちいち一言多いというか、うるっさいなあ、ホントに!」


「喋り方も子供そのものだしよ」と肩を竦めた颯月に、右京は外套にくるまったまま「放っといてよね!」と吠えた。

 颯月の放った「二十五 (歳)」というワードに、陽香は「嘘、だろ……? うーたん、あたしより四つも年上なのか……? この姿で――?」と大層ショックを受けており、綾那は綾那で、口論し始めた颯月と右京をはらはらと見守っている。


「そもそも、ただでさえ気に入らないのに……幸せいっぱいの顔して「契約エンゲージメント」までしてるとか、意味が分からない! ――それも、相手があんなお姉さんだなんて狡い!」


 ビシッと己を指差した右京に、綾那は目を白黒させた。いきなり水を向けられても困る。反応できずにいる内に、颯月が得意げに鼻を鳴らした。


「なんだ、俺が天使を捕まえた事がそんなに妬ましいのか?」

「――天使はやめてくだざい゛ッ……!」


 綾那は、颯月の言葉を聞いて床へ突っ伏した。その横では、右京の年齢を知った事によるショックからすっかり立ち直ったらしい陽香が、冷めた眼差しで見下ろしている。


「やはり、アイドクレースの美醜の基準が間違ってるんだな。他所の領では好まれるだろうと思った」

「当たり前でしょ、こんな人そうそう見かけないよ! 見た目はもちろんだけど、『異形』を見ても嫌悪しないし――紫電一閃しか眼中にない。そんな相手、悪魔憑きに現れるはずないのに……ホンットいけ好かない! 魔法の詠唱全部暗記して得意げになるような、気持ちの悪い男のくせにさ!」

「うーたん、それ以上は俺が気持ち良くなるだけだぞ? そろそろやめた方が賢明だ」

「誰がうーたんだ!!」


 出自について話した事で色々と吹っ切れたのか、右京は颯月に対する遠慮が――いや、容赦がなくなった気がする。彼は外套に身を包んだままではあるが、随分と元気を取り戻せたようだ。まだ何一つとして解決していないし、窮地に立たされている事に変わりはないが、よい傾向に思う。

 綾那が小さく息を吐き出していると、横から陽香に「いつまで伸びてんだ、バカ」と肩パンチされて、渋々床に座り直す。


「――とりあえず、作戦変更だ」

「でも、どうするの?」

「このまま、領主や悪魔がノコノコやって来るのを待つつもりだったけど……それじゃあ、うーたんは間に合わないんだよな?」


 問いかけられた右京は、無言のまま小さく頷いた。陽香もまた頷き返すと、改めて綾那を見やる。


「アーニャ、「怪力ストレングス」の鎧って、魔法も弾けるのか?」

「……まだ、魔法は試した事ない」

「今日この場で試す度胸は?」

「ええと……ちなみにソレって、と戦わせようとしてるのかだけ、聞いても――?」

「うーたんと颯様を檻から出すには、作った悪魔をシメるしかないだろ」


 綾那は困り顔になった。

 ルシフェリア曰く、悪魔は強力な魔法でないと倒せない。つまり綾那が戦ったところで、多少痛めつける事は出来たとしても、決して勝てない相手である。しかし――悪魔に痛覚がある事は、ヴェゼルで立証済みだ。


(ここに居る悪魔――お兄さんの方。人間に擬態してるって話じゃあ……そんな人を相手に「怪力」のレベルマックスで戦ったら、とんでもないスプラッターシーンを披露する事にならない? だって、ヴェゼルさんの足を切り落とした時の感触、ほぼ豆腐だった。悪魔って魔法じゃないとっていうだけで、体自体はヤワなのでは――?)


 綾那は眉尻を下げて唸ったが、ふとある事に思い当たると顔を上げた。


「あ……でも考えてみたら、「解毒デトックス」が魔法由来のキラービーの毒を打ち消せるんだから、「怪力」の鎧も魔法に耐えられるのかな……?」

「そっか、じゃあビビる事ねえな!」

「簡単に言ってくれるよね――」


 あっけらかんとした態度で背中をばしばし叩いてくる陽香に、綾那は苦笑いを浮かべた。その視界の端に、心配そうにしている颯月の姿が映る。


「とりあえずこっちの檻ぶっ壊して、多少暴れてやろう。そうすりゃ嫌でも領主――悪魔も気付いて、様子を見に来るはずだ。もうその後は、野となれ山となれって感じで、アーニャがこう……いっぱい頑張る」

「……すごいフワッとした作戦だけど、本当に大丈夫?」

「行ける行ける! 何せあたしらシアの――何? 祝福? もらってんだから!」


 彼女は、そのルシフェリアのありがたい祝福を打ち消すほどの呪いを受けているという事を、忘れてしまったのだろうか。明るく笑い飛ばす陽香の胆力には感服するが、しかし実戦を任される綾那としては、堪ったものではない。


「肝心の悪魔が姿を見せるギリギリまで、ゴリラアーマーは大事に取っておいてだな――」

「ゴリラって言うの禁止」

「そんでいくらか痛めつけてやれば、二人を檻から出す方法も吐くんじゃねえの?」


 そこで一旦言葉を切った陽香は、隣の檻の隅で外套に包まれて、膝を抱えて座る右京を見つめて笑った。


「うーたん、魔法が切れる前に出してやるから、安心しろよ」

「……だけどオネーサン、あまり、無茶な事は――」


 言いかけた右京の言葉を遮って――他に誰も居なかったはずの室内に――突然「にゃーん」という、猫の可愛らしい鳴き声が響いた。


「――にゃっ、にゃんこ!? ど、どこだ! さっきはよくもやってくれたな――と言いたいところだが、アーニャが居るからもう、触り放題なんだ! 頼む、モフらせてくれ!!」


 陽香は機敏な動きで立ち上がると、鳴き声の出所を探すためキョロキョロと周囲を見回した。そんな彼女の変わり身の早さに、右京が小さく「さっき死にかけたばかりなのに――」と呟いている。


 綾那も苦笑いしつつ猫の姿を探すと、ドアノブにぶら下がってノブを回したのか、頭を使いぐぐーと外から部屋の扉を押し開けている猫の姿を発見する。なんて賢い猫だと感心していると、開いた扉の隙間からするりとしなやかな体を通らせて、猫が入室した。品種は「表」のアメリカンショートヘアに似ているだろうか? 灰色っぽいシルバーの毛並みに縞模様が入っていて、可愛らしい。


 猫は扉を開けるひと仕事を終えて、やれやれと言った様子で顔を上げた。そして真っ直ぐに檻を見やると――途端に「フシャー!」と、立派な毛並みを逆立てさせた。


「オウ……なんだ? 随分とご機嫌ナナメだな……うーたん、コイツ本当にあたしに擦り寄ったのか?」

「……うん、間違いない。この猫だったよ」

「なんだよ……あたしの方から触るのは、無理無理のムリだってかー? 猫ってそういうトコあるよなあ……いや、もしかして動物の本能で、ゴリラを恐れているのでは――?」

「ゴリラじゃないんだってば」


 じとりと目を眇めた陽香に見上げられ、綾那は小さくため息を吐いた。ギフトによる人外じみた膂力については認めるが、少なくとも見た目だけはゴリラではない。何せ、颯月からは『天使』と評され――と考えた事に自分で恥ずかしくなり、綾那はぐっと眉根を寄せた。


(あれ? でも確かにあの子……言われてみれば、私の方を見て威嚇しているような――?)


 毛を逆立たせて威嚇しながら、一歩、また一歩と慎重に近付いてくる猫。まるでビー玉のような瞳は、猫にしては珍しい深紅色で――その色は悪魔憑きの瞳に似ている。いや、もっと濃くて深いだろうか。

 ――こんな色の目を、どこかで見たような。綾那は記憶を手繰るように「うーん?」と首を傾げた。


 すると、その時。檻のすぐ近くまで歩いて来た猫が、突然眩い光に包まれた。なんの脈絡もなく間近で目つぶしを食らった一行は、顔を腕で覆い、光が収まるのを待った。

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