第82話 檻の中へ
綾那と颯月が寝たふりをし始めて、だいたい十分ほど経った頃だろうか。物音少なく、客間の扉が開かれた。侵入者は息を潜めて、室内の様子を注意深く確かめているようだ。
瞳を閉じているため正確に把握する事はできないが、恐らく人数はそう多くない。人の気配は三、四名ぐらい――昏睡状態の綾那達を見ても一切はしゃぐ素振りを見せない所からして、慎重で手堅い気質をもつ相手だ。きっとアデュレリアの騎士だろう。
「本当に、こんな事をして……後でどんな目に遭うか――」
騎士の一人が、嘆くような声色で呟いた。その声に呼応するように、他の騎士も次から次へと口を開く。
「仕方ないだろう。領主様に逆らえば、俺達も第四分隊の二の舞だ。通行証もなく家族諸共追放されて、生きていけるはずがない――死刑宣告に等しい」
「し、しかし。右京さんにしろ、アイドクレースの団長にしろ――悪魔憑きなんだぞ? 今はまだしも、意識が戻ればひとたまりもない……!」
「そもそも民間人まで巻き込むなんて、どうかしている! 最近の領主様は一体、どうされてしまったのか――」
「言うな。俺達はやるしかない、やるしかないんだ――もう後戻りはできん」
綾那は薄目を開けて、そっと騎士の様子を窺った。人数は四名。右京と同様くすんだ赤――バーガンディ色の騎士服に身を包んでいる。どうやら、各騎士団によって制服の色が分かれているようだ。アイドクレースは黒で、アデュレリアは赤なのだろう。
(この人達、上から命令されて仕方なくやってる――って感じなのかな)
何せ彼らは揃いも揃って、この世の終わりのような悲壮感溢れる顔つきで、ああでもないこうでもないと言い争っている。綾那達に毒を盛る事も、右京と陽香に
どうやら、アデュレリアの領主が深く関わっているのは間違いないらしい。
「とにかく、眠っている内に運ばなければ……「
「わ、分かった。空と大地を渡りし者よ、我がもとに集いて、運び手となれ――「空中浮揚」」
騎士が魔法の詠唱を終えた途端、綾那と颯月の体がふわりと宙に浮き上がった。
(う――わっ!? ちょっ、ちょっとこれ、不安定で落ち着かないな……!?)
誰に支えられるでもなく、ひとりでに浮く体。魔法で空を飛ぶなど、綾那にとって初めての経験である。何にも縋れず、まるで突然、無重力空間に投げ出されたようで気持ちが悪い。昏倒している設定にもかかわらず、ついついバランスを取ろうと体に力が入ってしまいそうだ。
正直、こんな心許ない感覚を味わわされるくらいなら――多少体に触れられたとしても――見知らぬ男性に抱え上げられる方が、よほど良かった。
(脱力……! 脱力して、私! 今はまだ、寝たフリしている事がバレるとまずい――!)
綾那は両目を硬く閉じたまま、ほんの僅か眉根を寄せた。しかしすぐに力を抜かなければと思い直すと、気持ちの悪い浮遊感に絶えず襲われながらも、なんとか寝たフリを続行した。
◆
道中、何度か薄目を開いて周囲の様子を窺ったところ、騎士団本部から目的地までは隠し通路で繋がっているようだ。客間から運び出された綾那と颯月は、本部にあるなんの変哲もない廊下に隠された扉から、地下へと降ろされたのである。
灯りの乏しい薄暗い通路をしばらく進んで、辿り着いた先は――騎士達の会話からして――街の中央へ位置する領主の屋敷らしい。
時刻は既に、朝の四時ぐらいだろうか。そろそろ宙に浮かぶ光源の役割が、月から太陽に変わる時間帯だ。一行は地下通路を抜けて、領主の屋敷の中を上へ登って行く。
これはあくまでも綾那の個人的な意見だが、人を攫って幽閉する場所といえば、地下牢というイメージが強かった。しかし今、綾那と颯月は上へ運ばれているようだ。どうか、最上階からポイッと投げ捨てるような真似だけはしないで欲しいと思う。
騎士はやがて、とある一室に辿り着くと、ノックもなしに扉を開けた。中からは、聞き覚えのあるハスキーな声が響く。
「――ねえ、ちょっと……嘘でしょう?
声の主――右京は、嘆くような、それと同時に呆れたような声を上げた。騎士らはグッと言葉を飲み込むと、何も答えずに室内へ足を踏み入れる。
「アイドクレースの団長は、右京さんの檻へ。女性は隣だ」
「あのさあ、その人達は関係なくない? 領主は僕が消えれば、それで満足なんでしょう?」
「その――
「伊織の……服屋のお嬢さんが原因か。いや、それよりも医者を呼んでくれない? かなりまずい状態なんだ」
「医者は……すみません、難しいです。領主様より、誰も通すなと命じられておりますから――」
右京と騎士が問答している間にも、ガチャン! と金属同士がこすれ合う、耳障りな音がした。そして、宙に浮いていた綾那の体がようやく床に横たえられる。
檻とは、なかなか物騒なワードが聞こえたが――しかしこれで、気持ちの悪い浮遊感から解放された。
今すぐに目を開けて状況を確認したいものの、騎士が居る間は寝たフリを続けた方が良いだろう。薄暗かった通路と違い、この部屋は灯りが煌々と点いているため、薄目を開けただけでバレそうだ。
声からして、ひとまず右京が捕らえられている事は分かった。後は、陽香の行方だけ――と、その時。綾那の耳に「アーニャ」と酷く掠れた囁き声が届いて、身体を強張らせる。
「アーニャ……起きてんだろ? 手、貸してくれ……アナフィラキシーで死にそう――」
どうやら、綾那と同じ檻に陽香も入っていたらしい。彼女の声は途切れ途切れで、僅かながら喘鳴も混じっている。離れている間に何があったのかは分からないが、彼女が動物アレルギーを発症している事だけは確かだった。
陽香は、喋るのも――息をするのも辛そうだ。呼吸器疾患まで起こしているとは、一体どれだけの時間アレルギー症状に苦しんだのだろうか。綾那は陽香の声を頼りに、そっと手を伸ばした。
陽香に手を掴まれるのと同時に、「
「医者がダメなら、せめて誰か光――治癒魔法が得意な騎士を連れて来てよ。効果があるかは、怪しいけど……」
「いや……うーたん、もう平気だ。治ったから」
「――は? 嘘、あれだけ発疹が出てたのに?」
「アーニャが来たから、助かったわ……ああ、しっかし、マジで死ぬかと思った。なあ、アンタら運び屋の仕事は終わったんだろ? もう用ないし、帰ったら?」
まだ息苦しそうな気配は残っているものの、さすが陽香だ。物怖じしないというか、なんというか――誘拐された挙句、檻に閉じ込められた状態で、よく犯人グループ相手にそんな言葉を投げかけられるものだ。
騎士らはたっぷりと間を空けてから、「申し訳ありません」と一言だけ謝罪すると、部屋から出て行った。足音が遠ざかったのを見計らって、綾那はぱちりと目を開き、慌てて起き上がった。
「よ、陽香、大丈夫!? 何があったの?」
綾那の目に映る陽香は、いつもより顔色が悪いものの――「解毒」でアレルギー症状ごと打ち消したため、呼吸は落ち着いている。右京の言葉から察するに、つい先ほどまで蕁麻疹も出ていたようだ。
「おー、何があったって言うとまあ、色々あった訳だけど……アーニャこそ、なんでこんな事に? 眠剤入りの茶なんか、お前「解毒」で効かねえだろ――颯様がヤられちまったとか?」
陽香の視線を追うように隣を見やれば、鉄格子を隔てた先に右京と颯月の姿がある。颯月は身を起こしてその場に胡坐をかくと、肩を竦めた。
「――そもそも、飲んでねえよ」
「ハハッ、まさかあたしらの場所を探すために、一芝居打ったって事? 面白い事やってんなあ……ただちょっと、まずい事になったぞ」
「何があった?」
颯月の問いかけに、陽香と右京は揃って渋面になった。やや間を空けてから、やがて右京がぽつりぽつりと話し始める。
「君達と別れて、退団の手続きをするために騎士団本部へ向かった。一番手っ取り早いのは団長と直接話す事だから、面会しようと試みたんだけど……通された客間で、催眠毒入りの茶を出されて飲んだ」
「俺達と全く同じ流れだな――アンタ「
「領主の手ずから出されたモノならともかく、わざわざそんな事しないよ。これでも、同じ騎士の事は信頼していたんだ――その結果が『檻』とは、笑い話にもならないけどね」
自嘲気味に吐き捨てた右京に、颯月は短く「そうか」とだけ返した。
「結局団長とは会えないまま、次に目が覚めたらここだった。オネーサンが瀕死状態に陥っていたのは……彼女が昏倒して意識がない間に、ここで飼ってるらしい猫が檻の中へ入り込んで、擦り寄ったから。追い払おうにも、僕は手も足も出せなくてね」
「猫――それでアレルギーが出たんですね」
「せめて、意識がある時に来てくれりゃあよ……いっそ心ゆくまで撫で繰り回して、大往生してやったのに」
「お願いだから、こんな所で――しかも、そんな理由で往生しないで」
陽香は明るく笑いながら首筋当たりをひと撫でして、「治ったはずなのに、なんかまだ痒い気がする……アーニャが居なかったら死んでたのかも」と、まるで他人事のように呟いた。そんな事を言われた綾那は、思わず身震いしてしまう。
探しに来るのがあと少しでも遅れていれば、陽香とは永遠にお別れだった可能性もある。綾那は、彼女の手を握る力を僅かに強めた。
「騎士から訳を聞いたら――やっぱり、僕が原因らしい。ここの領主は元々、ちょっと頭が足りなかったんだけど……ここ最近は特に酷いって話をしたでしょう? 僕は望み通りに退団して、アデュレリアから出て行こうとしているだけなのに……何故か、僕が領主を殺しに帰って来たと思い込んでるみたいでね」
「それは穏やかじゃないな」
「どうにかして僕を始末したいのか――それとも、遠い僻地へ送るつもりなのかは分からないけれど。とにかく、この通り檻に入れられて、困っているところさ」
「それなんだが、アンタどうして大人しくしてる? 魔法で壊せば――」
言いかけた颯月の言葉を遮って、陽香が片手をヒラヒラと振りながら口を開く。
「颯様の意識があったんなら、檻へ入れられる前に是が非でも止めりゃあ良かったな。どうもその檻、魔法が使えなくなるらしいぞ」
「――何?」
颯月は目を瞬かせると、途端に綾那を真っ直ぐに見やった。そして、ややあってから眉根をグッと寄せて、頭痛を堪えるような表情で額を押さえる。
「綾が「分析」できん、なんて事だ――!」
「よりによって今、その魔法を試しますか!?」
「綾の健康管理ができないんだぞ? これは、由々しき事態だ」
綾那が条件反射のように突っ込めば、颯月は至極真剣な表情で答えた。緊張感の欠片もない彼に、今度は綾那が額を押さえる番だった。
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